自動車崇拝
BMWのディーラーでパンク修理が終わるのを待つ間、私は今週に入ってからの走行距離が160キロメートル以上、ハンドルを握っていた時間が5時間になることに気付いた。しかも、まだ水曜日のお昼時というのにだ。フェニックス市民は、この都市が決めたように生活を送るのが当然だと思っている。
急降下する高速道路や大きな幹線道路が不規則に伸びる道路網。フェニックス中心街は、多くの米国人にとって都会を象徴する自動車文化の巨大な展示物だ。ここに住むには、自動車が必要となる。能動的にせよ受動的にせよ、いかなる行動にも、さらに広い意味では文化そのものに、自動車が組み込まれている。数は少ないものの、近所を歩くだけで用が足りるダウンタウンに住むという選択肢もある。しかし、食料品店やドラッグストアなど生活必需品を手に入れる店の選択肢はきわめて制限されるだろう。友人に会ったり、子どもを学校に送っていったり、コンサートや映画を見に行ったりするためには、自動車文化や渋滞、駐車場探し、自動車のメンテナンスの責任などすべてを受け入れなければならない。しかも自動車は高価で、その価値はすぐに失われるときている。
主要幹線道路であるキャメルバック・ロードは、53キロに及ぶ自動車崇拝の中心だ。歩く気持ちを失わせる6車線のキャメルバック・ロード沿いには、それぞれが広大な駐車場に囲まれた自動車ディーラーや修理工場、小規模ショッピング・センター、洗車場が建ち並んでいる。この情景は、個人所有の自動車を原動力とした繁栄が続くと信じる都市計画家や事業主、政治家、一般市民によって築かれたのだ。
しかしキャメルバックは米国の生活における自動車の地位に、自動車発明以来最大の混乱が起こる中心地になるかもしれない。カリフォルニア州近辺に拠点を置く多くの自動運転自動車の開発企業が、規制がゆるいことで有名なアリゾナ州内で試験走行を開始したのだ。
議論のほとんどは、その安全性に集中している。特に、3月にアリゾナ州テンピで歩行者がウーバー(Uber)の自動運転自動車にはねられ死亡する事故が起きてから顕著だ。しかし、安全性だけが先決問題ではない。交通事故で亡くなる歩行者数では、アリゾナ州は全米最悪だ。そもそも交通事故死を一番に心配するのであれば、はるか昔に都会の道路から自動車を排除していたはずだ。
むしろ、自律型移動手段メーカーによる試験走行とロビー活動が続くなか、安全性などを超越した方法でそうしたテクノロジーに順応する社会が再設計されていくのだろう。自律型移動手段はただ単にハンドルを握る必要性を排除するだけではない。自律型移動手段によって、まったく新しい輸送法や車両管理が可能となり、個人の車両所有が減少していく。すると、自動車関連のインフラやサービス、小売、文化的経験を育んできた豊かな生態系はどうなるのか。自動運転自動車という再発明によって、フェニックスや他の数百にも及ぶ似たような都市で何が起こるのか。
未来の共有
ハンドルを握るドライバーのいないウェイモ(Waymo)の自動運転自動車はすでに予約可能だ。配車サービスのリフト(Lyft)やウーバー(Uber)のドライバーから仕事を奪うだけではなく、こうした都市を訪ねる数百万という旅行者の過ごし方を変える可能性がある。
なぜなら、自動運転自動車は無人運転になるだけではなく、少なくとも通常の意味での所有者もおそらくいないからだ。ウェイモは、まじめに移動手段を共有するモデルを狙っているようだ。ウェイモの自動運転自動車は自律型タクシーとして営業するだろう。すでにウェイモはアリゾナでの試験車両の修理、整備のため、レンタカー会社のエイビス(Avis)と提携を結んでいる。2017年12月、ウェイモのジョン・クラシク最高経営責任者(CEO)は、「自動車を所有するのではなく、自動車を利用する」方法で、数少ない自動運転自動車でも地域全体に貢献できるかもしれないとのビジョンを語っている。テキサス州オースティンをモデルにしたシミュレーション上の都市での研究によれば、自動運転自動車の1.6キロメートルあたりにかかるコストは、個人的に車を所有する場合とほぼ同額か、もしかすると少ないかもしれないことが分かった。
現在のフェニックスにとって最も過激な変化は、将来的に自動車の本質が変わってしまうことだ。クラシクCEOは自動車が「主たる利用者としてのドライバーのために設計される必要は、もはやないでしょう」と主張する。代わりに、スターバックスのバンや、バーガー・キングのクーペに乗り込んで、食事しながら通勤するようになるかもしれない。これは、ダッチ・ブラザーズ・コーヒーのキャメルバック地域にあるフランチャイズで、数十台の車が列をなすほどのドライブ・スルーの最後を意味しているのかもしれない。ダッチ・ブラザーズ・コーヒーは、現場第一主義の顧客サービスがミレニアム世代のドライバーに好評な企業だ。
移動手段の共有の未来で想定されるこういった変化は、キャメルバックのような数千もあるあちこちの道路で波紋を起こすかもしれない。全体の時間の95%は動いていないとされる消費財から、1.6キロメートルごとの価値を最大化する任務を負う全体管理アルゴリズムによって監督される馬車馬へと進化するために、市場規模が1兆ドル近い米国自動車産業は、多額の資金を再投資する必要があるかもしれない。一部の企業は長年使用することを前提に設計された余計な装備のない自動車で、より安価な相乗りサービスを始めるのは想像に難くない。
自動車購入者数が減ると、キャメルバックに並ぶきらびやかな自動車のショールームの多くは閉鎖されてしまうかもしれない。フォードは、今後はSUVとトラックにシフトして、セダンは2モデルのみを販売すると発表した。しかし原油価格が上昇した場合、経済学や物理学の見地からSUVを手放し共有モデルを使うように仕向けられる可能性がある。フォードなど自動車産業関連メーカーと提携するエクスペリメンタル・デザイン(Experimental Design)のラリー・ゴールドバーグ共同創業者によれば、フォードは「自動車に関する考え方を劇的に変え」、自動車販売ではなく自動車関連サービスを提供することで近未来に順応しようとしているという。
「サービスとしての移動手段」というフレーズは、 …