資本の私有は、世界の経済の大半を決定づける要素だ。資本の所有者と、資本家のために働く労働者の対立は2世紀にわたる歴史で明らかだ。カール・マルクスが産業経済を批判する自著に分かりやすい『資本論』という書名を付けたのは、それなりの理由がある。しかし、資本の性質は歳月の経過とテクノロジーの進展に伴って変化する。世界は間もなく、マルクスによって活発に議論されるようになった資本と労働というまったく異なる2つの関係が、新しい対立の時代を迎えるかもしれない。
産業史の大半にわたって資本とは、目に見える織機のような機械や、注意を怠ると落ちてしまう危険がある溶鉱炉といった、具体的なものを意味していた。資本家は工場の設備に莫大な費用を注ぎ込み、工場の生産量の最大化を何よりも優先した。だが、資本家は機械を操作する労働力の増大にも頼っていた。資本と労働は、両者の関係の条件、およびその関係から生まれる利益の配分の主導力を相手が得ることを互いに阻止しようとした。
今日の巨大企業は、まったく異なる需要から、様々な種類の資本に依存している。最近刊行された『Capitalism Without Capital』(2017年、未邦訳)で、ジョナサン・ハスケルとスティアン・ウェストレイクは、2006年のマイクロソフトについて述べている。当時のマイクロソフトの時価総額はおよそ2500億ドルだった。しかし、簿価は700億ドルに過ぎず、その大半が現金と金融商品であり、通常、資産と考え分類される工場や設備などは、わずか30億ドルほどだった。マイクロソフトの価値の大半は、知的財産やブランドのような無形資産だった。資産の無形性はテック企業ではきわめて顕著だが、経済全体から見ても無形性は重要になっている。格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P:Standard & Poor's)による企業500社の時価総額の20%未満が貸借対照表上の有形資産だと、最近の分析で判明した。1970年代に主流だった有形資産と無形資産の比率が逆転しているのだ。
現在、少なくとも金額ベースでは、大半の資本が工場のフロアではなく、ニューロン(人の頭の中)とシリコンに存在している。歯ブラシからピックアップ・トラックにいたるすべてのコンピューター化は、ますます多くの価値が運用するソフトウェアから生じていることを意味している。そのような商品の設計と構築(および商品を実際に生産する複雑なサプライ・チェーンの管理)に必要なノウハウもまた無形資産の1つの構成要素だ。成長し続ける人工知能(AI)の能力と魅力は、資本の定義をさらに拡大している。機械学習プログラムは、以前は人がしていた仕事をするために、人によって生成されたデータで訓練された疑似労働の変則的な形態である。だが、機械学習プログラムは、トラックやコンピューターと同様に、企業によって所有され、管理されている。
この進化は資本と労働の関係を根本から変革する。産業資本主義の世界は資本と労働の対立によって形作られた。それにもかかわらず、テクノロジーの変化によって可能になった富の解放に互いを必要としていたこともあって、両者の間にはある程度の力の均衡があった。デジタル資本主義はそうではない。
一方では、機械の自律性が増大するにつれて、資本家が必要とする労働者は …