例外的事態かもしれない。24日の早朝、イタリアのアマトリーチェ北部を襲った地震の規模はマグニチュード6.2で巨大ではなかった。日本や南米など、はるかに強力な地震がここ2、3年のうちに数回発生しているが、これほどの惨状はもたらしていない。
240人以上の犠牲者が出た地震の惨状を過少に見るつもりはない。どちらかといえば、惨劇はより大きいといいたいのだ。イタリアは先進国だ。地震への対処は継続的に続けられており、全土にまたがる地震観測ネットワークもある。来るとわかっている地震で、これほど深刻な被害を受けるはずがない(正確にいつか、がわからなくても)。その上で、今回の地震は過去10年間で、イタリアで4番目に深刻な被害をもたらした地震なのだ。2009年にラクイラを襲ったマグニチュード6.3の地震では、街のほとんどの建物が倒壊し、300人が犠牲になった。政府は科学者を責めて、国民の不満を部分的にそらした。
被害の本当の原因は、堅牢なインフラを建造することへの関心の薄さだ。イタリアの大部分の建造物は第二次世界大戦後の数十年間に建てられた。当時は人口が急増していたが、建築規制は耐震についての項目がなかった。1970年代に刷新された関連法規の多くは無視されてきた。病院や学校ですら規制を守っていなかったのだ。最近の建造物は地面が揺れ始めた時、バランスを失って潰れることがある。震源地近くから伝えられたワシントンポスト紙の記事は、被害の典型的パターンの特徴を次のように述べている。
ジャーナリストのサブリナ・ハイゼンガは地震発生時、ローマから北東へ約140kmにあるイッリカ村にいた。「その晩の睡眠から衝撃で目が覚めたとき、私は壁に大きな一本の亀裂を見ました。子どもたちを抱え、階段を下りて避難するのにぎりぎり間に合いました」とハイゼンガはANSA通信に伝えた。「1700年代に建てられた最も古い家々も損傷を受けています(中略)が1970年代の建物は崩壊しています。持ちこたえたのは1980年代以降に耐震基準にのっとって建てられた建物だけです。
地震が発生すると、不測の事態であったことや人災、無力な防災ばかりに注目が集まる。ハイテクな手法が取りざたされたり、地震波の襲来前に安全を確保する早期検出ネットワークが検討されたりする。
しかし、建築物の基準を改善すること(準拠すること)は、命を救うためのもっと効果的な手段だ。もちろん、建築規制に改善の余地があるのはイタリアだけではない。多くの発展途上国の状態は、イタリアよりはるかに劣っている。イタリアにも独自の事情がある。だが、失われる命を最少にとどめる構造を作る資源、ノウハウ、法制も、自国にあるのだ。それでもなぜか 災害に見舞われるたびに、同じことが繰り返されているように見える。