着古したジーンズを履き、サングラスをかけたサウスダコタ州の若い農家、ジェイソン・マックヘンリーの農場を訪れると、マックヘンリーは大きな穀物タンクの脇にある鋼製の階段を上がるよう勧めてくれた。タンクの上から中に降りると、大豆がでこぼこの山を作っている。手ですくってかじってみると、うっすらとした甘みがした。
米国の大豆収穫量は年間約1億886万トン。米国の農家にとって畜牛、トウモロコシに次ぐ収入源だ。大豆の90パーセントは遺伝子組み換え作物(GMO)である。つまり多くの場合、ある土壌細菌から取った遺伝子を加えることで、ラウンドアップ(Roundup)と呼ばれる除草剤に対する免疫性が付与されている。
だが、マックヘンリーと私が座っている約109トンの大豆は、「遺伝子編集」で改良された新しい種類の植物である。大豆を絞って採れる油を普通の大豆油よりもオリーブ油に近くするために、あるスタートアップ企業が脂肪酸合成に関わる2つの遺伝子に変更を加えているのだ。
マックヘンリーが初めてこの大豆についての宣伝を聞いたのは2016年12月、サウスダコタ大豆加工共同組合の近くのホテルでのことだった。セールスマンは農家に対し、「これまでにない、新しい素晴らしいことが起きています」と言った。「トランス脂肪酸のことは聞いていますよね?」。トランス脂肪酸は、大豆油に水素を付加して部分硬化させ、固体に変えるときに生まれる有害な脂肪酸のことである。米国政府が禁止して以来、大豆油の市場は縮小を続けてきた(P&Gの食用油クリスコ(Crisco)を思い出してほしい)。トランス脂肪酸をめぐっては死者も出ている。有害食品なのだ。
遺伝子編集した大豆から採った油はトランス脂肪酸の問題を解決してくれる可能性がある。水素を付加する必要がないからだ。マックヘンリーが聞いたところによると、農家がこの大豆を植えることは、スーパーの棚を低カロリーのギリシャヨーグルトや健康に良い食材で埋めたり、環境にやさしい包装を使ったりする革新的な流れに参加することになるという。さらに、1ブッシェル(約27.2キロ)あたり数十セントの収入増にもなる。「多少のお金にもなります。素晴らしい経験もできます。革命に参加することにもなります」と話すのは、トマス・ストダードだ。生物学者から種子セールスマンになったひょろっとした男は、私と一緒にマックヘンリーの農場を訪れていた。
自らの意思で農業を選び、借金を負い、土地を手に入れたばかりの農家であるマックヘンリーにとっては、この宣伝文句が正しいものに思えた。ラウンドアップ耐性のある大豆はマックヘンリーの父親が栽培しているものの、高いコストがかかっていたし、ラウンドアップはタンブルウィード(回転草)には効かず、人間の腰の高さまで成長するようになっていた。しかも、「市場全体を見ると、ヨーロッパと中国は遺伝子組み換え作物を疑問視しています」(マックヘンリー)。「消費者が求めるものを作らなければなりませんし、農家としては他の生産者との差別化も図らなければなりません。もし狙っている市場にこの先なくなる可能性があるなら、別の案を考えなければならないのです」。
新しい大豆を作ったのは、カリクスト(Calyxt)というスタートアップ企業だ。ストダードが働くカリクストはミネアポリスの近くにあり、マックヘンリーの農場からは高速道路90号をほぼ真西におよそ480キロほど行ったところにある。カリクストの温室では毎週、数千もの植物が遺伝子編集によって改変されている。遺伝子編集の優れている点は、外来DNAを含まないデザイナー植物を作れることだ。遺伝情報の断片を加えたり切り取ったりする遺伝子編集の技法は、結果としては従来の品種改良と似ているものの、達成までの時間はずっと早い。最も重要なのは、ある大豆の形質が気に入り、それに対応する遺伝的指令が分かっていれば、遺伝子編集ならを1回の分子的操作でその形質を他の大豆に移せることだ。
多くの科学者は、耐乾性があり、病気への免疫性を持ち、味の良い植物を短期間で作り出せる新しい手法として、遺伝子編集に無限の可能性を感じている。スーパーで買ったトマトがおいしかった? だとすれば、在来種をおいしくする風味遺伝子を科学者が復活させたのかもしれない。穀粒の数が倍もあるトウモロコシはどうかって? 科学者は、もし自然の摂理が許してくれるなら、遺伝子編集で作出できるかもしれないと信じている。
遺伝子編集が産業界に興奮を巻き起こしている理由はもう1つある。米国農務省はこれら新種の植物は「規制対象品目」ではないという結論を出したのだ。理由は法の抜け穴にある。農務省の規制は、バクテリアのような植物病原菌またはそれらのDNAを使って作出された遺伝子組み換え作物だけに適用される。つまり、カリクストは、遺伝子組み換え作物に必要な許認可も検査も安全性試験もなしで大豆を商品化できるのだ。種子会社が遺伝子組み換えで1つの新種を作出して農家に届けるまでには平均して13年、1億3000万ドルがかかっている。カリクストはそれらを少なくとも半分に削減できると期待している。
遺伝子組み換えに反対の立場の人にとって、規制を受けない新種の作物は恐怖だ。彼らは長年に渡って遺伝子組み換えは安全でない可能性があると主張し、反対してきた。遺伝子組み換えによってアレルギーを起こしたり、毒を持った蝶が現れたりしたらどうするのか? カリクストのような企業は異なる種のDNAを使わずに新しい植物を作れることから、安全性を巡る攻防は変わってきている。カリクストらは、遺伝子編集は単に「加速化された品種改良技術」だと主張できるからだ。
批判的な立場の人にとって、人工的に作り出した植物を「自然のもの」に再分類することはあり得ない話だ。「許認可の要件を満たさなくてよいとするなら、農業における遺伝子組み換えについて再び争うことになります」と話すのは、環境問題のロビー活動をしている非営利団体、ETCグループ(ETC Group)のジム・トマス代表だ。「カリクストなどにとっては夢のようなことでしょう。遺伝子組み換えの定義を自ら作り、遺伝子編集が定義に含まれないようにしているのですから」。
政府機関や食品団体を説得する努力はすでに地球規模に達している。ニュージーランドは新種の植物は結局は遺伝子組み換えだという決定を下し、米国農務省内の有機作物諮問委員会も同様の決定をした。オランダとスウェーデンは遺伝子組み換えではないと判断した。中国はどちらとも語らない。EUはまだ決定ができていない。世界の穀物輸出において、最終的に数十億ドルが行き先なく宙に浮く可能性がある。
反対論者は法律も規制もラベルも変えるよう戦う準備があるという。「私たちの立場はずっと一貫しています。今回も遺伝子組み換えの一種なので、これまでと同じ対応をすべきです。つまり安全性評価が行なわれなければなりません」 …