世界最大級ゲノム解析企業を
作った男、次なる野望は
究極のAIヘルステック
世界最大級のゲノム解析企業である北京ゲノミクス研究所(BGI)の元CEOが、大量の身体データを分析して、人工知能(AI)による個別健康管理を提供するスタートアップ企業を設立した。患者たちのオンラインフォーラムを運営する企業に出資したり、イスラエルの医療IT企業を買収したりして準備を進めている。 by David Ewing Duncan2017.10.19
「このスマート・ミラーは大してスマートじゃありませんね」。膝に穴の空いたデザイナージーンズをはいたジュン・ワンは、全身鏡の前に立ってそう言った。「これはただのカメラと鏡です」と、少しだけ動揺した面持ちで(というよりはむしろまったく動じない男が、できるだけ平静さを失ったような顔で)で続ける。手で太ももをなぞるようにさすったワンは、「私が欲しいのは、ここを3Dスキャンしてくれる鏡です」と言い、続けて「そして、ここです」と痩せた腹を差して見せた。「人間の正確な3次元図面が欲しいのです。脂肪や筋肉などの体全体の形、顔認識、肌の状態までわかるものです」。そう言うと、ワンは鏡の右上を指した。「それから、体重、血圧、心拍数とDNAの相関を示す数値を使って、健康状態を表示させたいですね。歯磨きしながら見える位置にです」。
構想段階にあるこのスマート・ミラーは、生物学者でありコンピューター科学者でもある41歳の起業家ワンが、これから作ろうとしているガジェットの1つにすぎない。こうした装置を使って、ワン自身の、できれば数百万人分の膨大な量の健康データを収集、分析し、表示したいと考えている。ワンが、ここ中国南部の深セン市に野心的で非現実的とも言えるパーソナルヘルス企業、アイカーボンエックス(iCarbonX:ICX)を共同創業したのはそのためだ。
ICXは、これまでよりもずっと多くの身体データを集めようとしている。DNA配列をはじめ、フィットビット(Fitbit)が販売しているようなウェアラブル型機器で測定した歩数、心拍数、睡眠パターンなども収集する。さらに、血液検査を頻繁に実施して、さまざまなタンパク質や酵素を測定し、心臓の健康状態や初期がんの兆候などを調べる。収集するデータには、食べた物を体内で消化する過程で生じるさまざまな代謝物質レベルの監視データ、従来から実施されているコレステロール値や血糖値を測定した血液検査データ、心電図による心臓データ、医療履歴情報なども含まれる。ワンCEO(最高経営責任者)の最終的な目標は、健康状態を常時監視して、健康な状態から病気の初期段階へ移行する前に、食事や行動パターンを改善するように提案することだ。
こう聞くと、長年議論されてきた個別医療と変わらないように思えるかもしれない。だが、ワンCEOの狙いは病気の治療にとどまらない。パーソナライズド・ヘルス(個別健康管理)と言ってよいだろう。「あなたの感情を左右する体温や心拍数、体内の微生物が、今どうなっているか知っていますか。もしアレルギーがあったら、あるいはあなたが太っていて痩せたいとしたらどうしますか」。
DNAシーケンシングや、体内を整える数千という生体化合物や生体内作用を測定するためのコストが大幅に下がることにより、こういった個人向け健康管理サービスが実現しつつある。膨大なデータが何を意味しているのかは、一般の人にはよくわからない。すべての数値が互いに関連している場合は特にそうだ。だが新興勢力を形作る企業の一つであるICXは、データの中の重要な兆候を見い出すことで、病気にかかってから治療するだけの医療にピリオドを打とうと考えている。できるだけ少ない費用で、人々が健康を保てるようにしようとしているのだ。数百万もの情報の断片をつなぎ合わせてパズルを解くには、人工知能(AI)や高度なコンピューター技術の出番となる。「AIを使えば、すべての情報を解析して、自分でも気づかない健康状態を通知できるのです」(ワンCEO)。
ワンCEOの構想どおりに進むとしても、かかるコストは安くないだろう。ICXはすでに6億ドルの資金を調達している。健常者向けのハイテク検査を提供するプロジェクトにしては驚くべき金額だ。「しかし、ワンCEOの考えるすべての検査をするのであれば、6億ドル、あるいはそれ以上必要でしょう」と指摘するのは、マウント・サイナイ・アイカーン医科大学(ニューヨーク市)の学部長を最近辞任したエリック・シャド(分子生物学者および数学者)だ。ゲノミクスおよびマルチスケール生物学を研究するシャドは、主に病気治療中の患者のゲノムや分子バイオマーカーをスキャンするヘルスデータ企業、セマ4(Sema4)を自ら立ち上げた。
ICXは巨額の資金を使って、ワンCEOの包括的なビジョン(身体面だけでなく精神面などさまざまな療法を取り入れた治療)の実現に役立ちそうな企業に出資したり、買収したりしている。たとえば、1億6100万ドルを出資したコロラド州のソマロジック(SomaLogic)は、血液中の5000種類のタンパク質を計測するチップを開発している。50万人以上の患者が健康状態や病気に関する体験や心理物理量、自身の気持ちを共有するオンラインフォーラムを運営しているマサチューセッツ州ケンブリッジの企業、ペイシェントライクミー(PatientsLikeMe)には1億ドル以上を出資。4000万ドルを出資した同じくケンブリッジのエイオーバイオム(AOBiome)は、肌を健康にするスプレー式の微生物を販売している。最近では、血液サンプルからがんや自己免疫疾患などの病気の有無と進行度合を表す抗体を特定するカリフォルニア州サン・ラモンのヘルステル(HealthTell)にも投資した。さらに数社の中国企業と共同研究をしている。
ICXはさまざまな企業と提携して、あらゆるデータを分析できるAIシステムを構築しようと積極的に動いている。AIシステムの構築を主導するのは、昨年、イスラエルのイマーグ・ビジョン・テクノロジー(Imagu Vision Technologies)を買収して設立したアイカーボンエックス・イスラエル(iCarbonX-Israel)AI研究開発センターである。イマーグは、コンピューター断層撮影(CT)画像などの医療画像の解析ソフトウェアを開発するために2005年に創業された。イマーグとICXの技術者は …
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