ハーツ・ナザレは穏やかな物腰の画家だ。七色のヤシの葉やスカートをくるくるさせて躍っている女性を明るい色を使って描くことを好む。だが、一部の作品は暗い印象だ。たとえば、黒を背景に、青みがかった紫で描かれた奇形の円盤とそれとは対照的に深い赤で描かれた丸い円盤。あるカンバスには、赤や青のさまざまな形の中で溺れているひとりの黒人の顔が描かれている。目には涙が溢れ、口が痛みで大きく開いている。これらの作品は自身が苦しむ先天性遺伝子疾患、鎌状赤血球症の経験を反映しているのだ。
43歳になるハイチ系アメリカ人のナザレは、子どもの頃から300回以上も入院を繰り返してきた。ナザレたち鎌状赤血球症の患者にとって、この病気の最大の問題点は消耗性の痛みだという。「極度の痛みなので非常に恐ろしいです。痛みと常に戦っています」とナザレはいう。
米国における鎌状赤血球症の患者数はおよそ10万人とされ、ほとんどがアフリカ系やラテン系の米国人だ。その他にも、中東系やアジア系、インド系、地中海系の患者もいる。寿命は40歳から60歳と、平均的な米国人に比べてずっと短い。
鎌状赤血球症の原因が解明されてから1世紀になるが、医学界や医薬品産業はあまり熱心に取り組んでこなかった。だが状況は変わろうとしているかもしれない。鎌状赤血球症の遺伝的原因が、塩基配列が一カ所だけ突然変異している点突然変異で、研究も進んでいることを鑑みれば、遺伝子編集技術クリスパー(CRISPR)を使った治療法は魅力的に映る(「Genome Surgery」を参照)。
鎌状赤血球を作り出す突然変異の部分をCRISPRで修正して、患者の体が正常な赤血球を作り出せるようにしようという考えだ。この治療により、鎌状赤血球症による疼痛などの症状が緩和される。研究者はすでに実験室で、ヒトの鎌状赤血球を使ったCRISPRの試験をしており、臨床試験に向けた手法の開発に取り組んでいる。初期の実験結果は、鎌状赤血球症が、CRISPRによって根本的に治癒される最初の疾患になる可能性を示唆している。
CRISPRの安全性に関する世の中の懸念はなかなか消えないが、鎌状赤血球症の患者や医師たちはすでに歓迎ムードだ。「『臨床試験に参加したい』と最初に手を挙げるグループに入りたいと思っています」とナザレはいう。ナザレが最初にCRISPRのことを知ったのは、CRISPRを開発したジェニファー・ダウドナ教授とエマニュエル・シャルパンティエ教授を取り上げたYouTubeの映像を見た2年前だ。以来、ナザレはずっと鎌状赤血球症の治療にCRISPRを活用する考えにとりつかれてきた。
鎌状赤血球症は最も一般的な遺伝病のひとつで、世界中で数百万人が苦しんでいる。体中に酸素を運ぶタンパク質であるヘモグロビンを作るHBBという遺伝子の突然変異によって生じる病気だ。正常なヘモグロビンを持つ赤血球は赤く円盤形をしている。ヘモグロビンに異常がある赤血球が小麦を刈り取る鎌のような形をしていることから、鎌状赤血球症と呼ばれるようになった。
奇形細胞は粘着性があり凝集反応を起こす。凝集した赤血球が大きくなると血管を塞ぎ、周囲の組織へ送られる酸素を遮断してしまうため、重篤な疼痛を引き起こす。感染症や、眼の疾患、臓器の損傷なども発生しやすい。
何社かある遺伝子編集スタートアップ企業のひとつ、CRISPRセラピューティクスは鎌状赤血球症の新しい治療法を探究している。 …