いつになったらES細胞で
1型糖尿病を直せるのか?
幹細胞で糖尿病を治療するための研究に、多くの時間と費用が費やされている。 by Aleszu Bajak2016.08.12
息子が生後6カ月で1型糖尿病と診断されたとき、ハーバード大学のダグ・メルトン教授はにわかには信じられなかった。
「夜に妻と私で息子のかかとに穿刺器具で血糖値を調べ、『いや、そんなはずはない。そんなはずはない』と言ったのを思い出します。外れくじを引いたように感じました」
その後、メルトン教授の娘も同じ診断を受けることになった。その頃には、メルトン教授はそれまでの仕事(カエルの卵を研究していた)をすでに中止し、研究室にあった採取細胞から膵臓細胞を生成する研究を開始していた。1型糖尿病では、膵臓のベータ細胞が全滅してしまう。メルトン教授は、これを胚性幹細胞から生成した新しい組織で置換できるのではないかと考えた。
30人のハーバード大学研究員とスタートアップ企業セマ・セラピューティクス(メルトン教授が息子のサム、娘のエマにちなんで名付けた)が参加したメルトン教授の研究は、幹細胞を移植可能な組織に変える、かなりの費用と時間を必要とする研究であり、出だしからつまずいたり、行き詰まったりすることも多かったとメルトン教授も認める。
「科学には多くの失敗がつきものだということを、世間の人たちは決して理解しないのです」
実は、バイオテクノロジーの分野で、胚性幹細胞ほど多くのことを約束しておきながら実際の治療で実績を上げていないものはない。人体に対する研究はほんのわずかしかなく、目立った成果も上がっていない。体外受精の胚から取り出した細胞は、体内のあらゆる種類の細胞に分化できるため、無限に代替細胞を供給できるはずなのに。
簡単なようでいて、簡単ではない。メルトン教授の研究チームが、幹細胞を、グルコースを感知しインスリンを分泌する膵臓ベータ細胞に変えるために必要な各分子段階を明らかにするまでに15年かかった。この作業では、化学薬品の混合物と3次元培養システムを使って、背の高い回転フラスコで濁った赤のゲータレードのような液体を作り出す。こうして30日経過すると幹細胞が分化し、完全に機能するベータ細胞となるのだ。
今年の初め、メルトン教授は、マウスに人体のベータ細胞を移植して、血糖値を6カ月間コントロールできることをついに実証できた。メルトン教授は、同じことは人間でも実現可能で、治療効果を1年まで伸ばせると考えている。この目標を引き継いだセマ・セラピューティクスは、細胞を保持、保護する移植可能な袋も設計している。
この2年で、セマ・セラピューティクスはベンチャーキャピタルのカリフォルニア再生医療機構やノバルティス、メドトロニックなどの協力企業から5000万ドル弱の資金を調達した。セマ・セラピューティクスの役員でハーバード・ビジネス・スクールのウィリアム・ザールマン教授は「この実験に多額の資金が投入される環境は整っている」と語る。インスリンの世界市場が年間300億ドルを超えているからだ。試験紙とモニターによりこれが倍になるかもしれない。
1型糖尿病では、血糖を調節する膵臓細胞を免疫機能が攻撃するため、1日に何度も患者の指に針を刺して血糖値を計測したり、インスリンを注射したりする。1型糖尿病患者は寿命が10年以上も短くなる可能性がある。
「幹細胞による治療が自然な解決策だといえるようになる日がそこまで来ています。技術による解決策ではありません。グーグルでも解決できません。問題に対する自然界の解決策です。欠けている細胞を補充するのです」
ただ、技術による解決策を試している企業も存在する。血糖値を継続的に監視する装置、インスリンポンプ、投薬を制御するアルゴリズムを組み込んだセンサーを組み合わせた人工膵臓を電子的に開発するのだ。その中の1つ、メドトロニックの「クローズドループ」システムは、米国食品医薬品局(FDA)の承認を得るまであとわずかだ。スマホサイズのMiniMed 670Gは、初期の試験で優れた機能を示した。グーグルの兄弟会社の1つであるベリリーは、血糖値を検出するコンタクトレンズと極薄センサーを自社開発している。
ビアサイト(本社サンディエゴ)は、ジョンソン・エンド・ジョンソンと協力し、人体の胚由来の膵臓細胞を初めて使用した。ビアサイトは、未発達のベータ細胞を入れた移植可能な袋を開発し、体内で膵臓に分化することを期待している。臨床試験は昨年始まった。
一方でセマ・セラピューティクスは、胚性幹細胞を、インスリンを分泌するベータ細胞に変えるだけではなく、完全に機能する膵島(膵臓にあるアルファ細胞、ベータ細胞、デルタ細胞、これに付随する細胞などの細胞群)に変える必要があると考えている。より複雑な目標だが、こちらの方が生物学的には本物に近くなる。「こうした細胞が近接しているのには、進化の過程における理由があるのです」とセマ・セラピューティクスの共同創業者でメルトン教授の研究室にも古くから在籍するフェリシア・パリウカ研究員はいう。
セマ・セラピューティクスは、研究室で作成した膵島を糖尿病患者に移植するため、内容物が免疫システムから隔離された、iPhoneサイズの回収可能な袋のプロトタイプを開発している。これにより、腎臓を移植した場合に必要な免疫抑制薬を服用せずに済む。セマ・セラピューティクスのクリストファー・サノス副社長(移植担当)は、チームではデバイス内部およびデバイス周辺を、生理学的プロセスをモデルとして構成し、酸素、栄養、インスリンの濃度を変えて実験している。
細胞の保護は不可能だと考える外部の専門家もいる。「カプセル化が解決策になるという楽観的な見方はしていません」と話すのは、ピッツバーグ大学のデイビッド・クーパー教授(外科)だ。豚の体内で人間の膵島を培養する実験に取り組んでいるが「個人的にはデバイスが機能するとは思いません。害な物質をすべて入れないようにすることは不可能です」という。クーパー教授は、外来の異物に反応して体内で発生するサイトカイン、抗体、そのほかの化合物を挙げ、「実際、カプセルが免疫反応から完全に守ってくれるという証拠はほとんど存在しません」という。
生きている間、毎年手術が必要になる可能性も現実的な懸念材料だ。一生のうちに50回、60回、70回の手術をしたいと考える糖尿病患者は何人いるだろうか。切開する部位の複数の傷はどのような影響を及ぼすのだろう。毎年手術を受けなければならないとしても、指に何千回も針を刺したり注射をしたりするよりはマシだとメルトン教授はいう。
「私の子どもたちは、月に1度でも問題ないとおいます。これは言い過ぎかもしれませんが、年に2回ならやるべきでしょう」
セマ・セラピューティクスには、デバイスが機能しなかった場合のある種のバックアッププランがある。セマ・セラピューティクスは、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って患者本人の組織から膵島を作成するために、CIRM(カリフォルニア再生医療機構)から500万ドルの助成金を受けている。iPS細胞は、皮膚細胞のような成熟細胞を初期化し、幹細胞にするプロセスだ。iPS細胞は、外来の異物として拒絶反応を引き起こすことがなく、しっかりと保護する必要がなくなる可能性があるが、そもそも1型糖尿病に罹患するプロセスでの損傷を避けられない可能性もある。患者はそれぞれ異なる原因で糖尿病に罹患しているが、セマ・セラピューティクスはその患者の一部は助けられると考えている。
セマ・セラピューティクスは、バイオテクノロジーによる移植可能な膵臓を実用化するためのタイムラインをまだ示せていない。メルトン教授の子どもたちも、もう少し待たなければならない。メルトン教授は「長くかかってしまって申し訳ありませんが、実現に向かっています」という。
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クレジット | Illustration by Marina Muun; other images by BD Colen and Aleszu Bajak |
- アレッソ バヤク [Aleszu Bajak]米国版
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