グーグルの自動運転責任者は
なぜ辞めたのか?
アルファベットの自動運転車の事業化が停滞しているように見える一方、競合他社のプロジェクトが追いついてきている。 by Tom Simonite2016.08.12
7年以上の技術的ブレークスルーと、公道での約289万kmの走行実績により、アルファベット(グーグルの親会社)の自動運転車は、今でも全ての自動運転車の目標だ。しかし商業化への目処はたっておらず、アルファベットの自動運転車は独走状態ではなくなっている。
プロジェクトを率いたクリス・ウルムソン技師長は先週グーグルを去り、自動運転の実現を放棄した有能な人のリストに加わった。自動運転車は2009年にGoogle Xラボの一部として始まり、グーグルの主要事業と他のプロジェクトが分離されて親会社のアルファベットに移管されて以降は、単にXとだけ呼ばれている。アルファベットやテスラモーターズのように自律運転に黎明期から投資してきた企業は、巨大自動車メーカーからアップルに至るまで、競合他社が実用化を見据えた自律運転車プロジェクトを独自に立ち上げるのに伴い、幹部社員が移籍するのを眺めているしかなくなっている。
「他社はアルファベットに追い付こうとしており、アルファベットの独走状態とはもはやいえません」とパロアルトで交通系スタートアップ企業を専門に投資するオートテックベンチャーのクイン・ガルシア社長はいう。
「投資家と企業は、自動運転のテクノロジーの開発に、積極的に大金を投じています」
最近の機械学習の進歩により、アルファベットのプロジェクトが何年もかけて切り開いた領域を、簡単にカバーできるようになりました」とガルシア社長はいう。ウルムソン元技師長のような経験豊富なエンジニアであれば、独自の企業を立ち上げるのであっても、強力な支援を受けられると確信できる、とガルシア社長はいう(ウルムソン元技師長は先週、新しいプロジェクトの予定はない、とブログに投稿した)。今年はじめにゼネラルモーターズ(GM)が、自律運転に取り組むスタートアップ企業クルーズの買収に5億8100万ドルを費やしたことで、起業家や投資家は、アルファベットの背中は見えている、との確信を強めた。
たとえば、グーグルの自律運転プロジェクトの創設メンバーのひとりであるアンソニー・レバンダウスキーは、1月にグーグルを退職し、5月にはトラック用自動運転に取り組むスタートアップ企業オットーをサンフランシスコで立ち上げた。オットーはすでにカリフォルニアの高速道路で自律運転できるようにトラックを改造し、試験している。LinkedInによると、オットーにはもともとアルファベットやテスラの自律運転チームに所属していた経験豊富なメンバーを含む60人以上の従業員がいる。
スタートアップ企業ズークス(Zoox、本社カリフォルニア州メンロパーク)など、アルファベットの競合はドライバーなしのタクシーサービスを意図した自律型移動手段に取り組んでいる。6月の上場でズークスは1億ドルの資金を得たが、ビジネスインサイダー誌は出資額さらに倍増させる準備をしている、と伝えている。
投資家が自動運転のスタートアップ企業を支援する理由のひとつは、アルファベットは先行したが、自動運転のテクノロジーを商業化できるよいポジションにない、と考えられることだ。
グーグルの自律運転プロジェクトの幹部は、人間の監督なしで、あらゆる種類の運転をこなせる自動車だけに関心がある、といっていた。この最終目標の設定により、グーグルの自動運転プロジェクトでは、人間用のハンドルもブレーキペダルも存在しない自動車を開発している。さらにアルファベットは、自動車自体を製造するのではなく、自動車メーカーに自社のテクノロジーを許諾しようとしている。昨年、ジョン・クラフチャク元現代自動車米国支社長がプロジェクトのCEOに任命されたのは、その証左である。
この戦略は、2つの大きな課題に直面している、というのは、立ち上げ期の交通系企業を専門にするベンチャーキャピタル、モータス・ベンチャーズのロバート・ザイドル社長。第1の課題は「自動車会社はグーグルを信用していないことです。自動車会社は、鉄板を折り曲げるだけで、自動車ビジネスの利幅の少ない部分に追いやられたくはない」のだ。第2の課題は、アルファベットも自動車メーカーも、ロボットタクシー軍団を始める有利なポジションにないことだ。ザイドル社長や他の投資家は、ドライバーなしのタクシー事業こそ、完全自律型移動手段が実現したとき、もっとも稼ぎのいい方法だ、と論じている。
ザイドル社長は、オンデマンド型の乗車サービスは、1日何時間も稼働させれば、自動車の開発・製造費はすぐに取り戻せる、という。また、自律型移動手段は、坂道や立体交差などをデータ化した3次元地図に大きく依存するが、つねに最新状態に更新されていなければならず、消費者向けにどこでも走行できる自動運転車を販売するのはたくさんの課題を解決したあとになる。その点、ロボット自動車サービスは、たとえその営業範囲が限定されていても構わないので実現性が高いのだ。ウルムソン技師長(当時)は5月に開催されたMIT Technology Review主催のEmTech Digital conferenceで、アルファベット車は、最初に都市部で受け入れられると想定している、と述べた。
ズークスに出資した投資会社ラクス・キャピタル(本社メンローパーク)のシャヒン・ファルシ共同出資者は、ウエブ検索を中心的事業にする企業(グーグル)にも、個人向けの自動車販売に特化した企業(テスラ)にも、優れた交通サービスは構築できない、という。「トヨタやホンダのような優れた自動車メーカーが自律交通型事業に参入するというのは、ボーイングやエアバスが、稼げる航空会社になれるというのと同じですよ」とファルシ共同出資者はいう(ウーバーの競合であるリフトにGMが5億ドルを出資したり、自動運転乗車サービスを試行したりすることは、そうした課題を浮き彫りにするだろうし、アルファベットはウーバーの株を保有しているといっても、グーグルが自社の自動運転テクノロジーをウーバーに提供するより、ウーバー自身が積極的に自動運転テクノロジーを追究しようとしている)。
完全自律型の乗客用自動車が準備できるまで待っているのだ、とアルファベットは強がりをいうのだろうが、テクノロジーの草創期から関わっているだけで、事業化の機会を逃すかもしれない。一方で他の企業は、たとえば高速道路用の自動運転テクノロジーの販売を事業化できるかもしれない。高速道路での運転は、都市部の複雑な交通状況に自動車を対処させることに比べればずっと単純だ(無人乗用車の運転は、あなたが考えるより、はるかに先だ)。オットーやテスラなど、他の企業は、個人用でも公共交通サービス用に、ある場面に限られた自律運転機能を提供できると考えている。
ウルムソン技師長は、自動運転の試作車を2012年に貸し出されたグーグルの従業員が、部分的な自律運転を危険なほど信頼したこと(“Lazy Humans Shaped Google’s New Autonomous Car”参照)について、問題点を指摘していた。また、アルファベットのプロジェクトは、一般に考えられているよりも早く、公道に出られる、とも述べていた。5月のEmTech Digitalでウルムソン技師長は、自分の息子が運転免許を取得しなくてもよい未来を目指す、というお気に入りの主張を繰り返した。つまり、アルファベットの自動車は、2020年には公道を走っていることになる。ウルムソン元技師長は、完全自律型自動車の夢を諦めたのか、いまでも信じているのか、部分的には可能だと思っているのかはわからない。また、2020年にウルムソン元技師長が手がけたグーグルの完全自律運転車だけが走行しているのか、他社製の完全自律運転車も走行しているのかもまだわからない。
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クレジット | Photograph by Justin Sullivan | Getty |
- トム サイモナイト [Tom Simonite]米国版 サンフランシスコ支局長
- MIT Technology Reviewのサンフランシスコ支局長。アルゴリズムやインターネット、人間とコンピューターのインタラクションまで、ポテトチップスを頬ばりながら楽しんでいます。主に取材するのはシリコンバレー発の新しい考え方で、巨大なテック企業でもスタートアップでも大学の研究でも、どこで生まれたかは関係ありません。イギリスの小さな古い町生まれで、ケンブリッジ大学を卒業後、インペリアルカレッジロンドンを経て、ニュー・サイエンティスト誌でテクノロジーニュースの執筆と編集に5年間関わたった後、アメリカの西海岸にたどり着きました。