4歳になる姪っ子ハンナ・メッツは、アマゾンのデジタル・アシスタント、アレクサを発売当初から使っている。ハンナの家にはホッケーのパックのような形をしたAI(人工知能)スピーカー「アマゾン・エコー・ドット」が4台あり、いつでもアレクサを呼び出せるように、ハンナの部屋など家のあちこちのコンセントにつながっている。
ある晴れた日の午後、ハンナがアレクサに言った。「アレクサ、『It's Raining Tacos(タコスが降ってくる)』をかけて」。アレクサはすぐに応じて、スピーカーからは「空からタコスが降ってくる。おいしい、おいしい、おいしいな」と楽し気な歌声が流れてきた。
クスクスわらったり手をたたいたりしながらハンナは部屋中を踊り回った。ハンナが思い通りに音楽をかけさせられたことに感心したのとお付き合いで、私はハンナと一緒に踊った。しかし、AI執事と一緒に成長するのはハンナにとってどんな意味があるだろうとふと思った。
市場調査会社イーマーケター(eMarketer)によれば、米国で2017年に少なくとも1カ月に一度はデジタル・アシスタントを使う人は6050万人(人口の5分の1弱)に上り、そのうち約3600万人がアマゾン・エコーやグーグル・ホームなどのスピーカー型デジタル・アシスタントのユーザーだろうと予想している。こういったデジタル・アシスタントは、25歳から34歳までの子育て世代あるいは子育て予備軍などに最も人気が高い。
デジタル・アシスタントは今後、普及が進むだけでなく、質問や命令に対する答え方も上達し、より人間らしく話すようになるだろう。同時に、ハンナのような幼いユーザーたちは、デジタル・アシスタントに慣れて上手に使いこなし、曲を流す以上のことを頼むようになるだろう。宿題を手伝うように要求したり、家中の装置を操作するよう命じたりするかもしれない。
この状況は少し気がかりでもある。インターネットに接続されたコンピューターに、子どもたちがあらゆることを話すことでプライバシー問題が心配される。しかし、それ以外に、人工知能や自動化装置が、子どもたちの振る舞いやコンピューターに対する考え方にどんな影響を与えるのかについて、あまりわかっていないということがある。アレクサのような人工知能に物事や買い物を簡単に頼めるようになると、子どもたちは怠け者になるのだろうか?あるいはあれこれ命令しているうちに、何をするにもテクノロジーに頼らざるを得ないような間抜けになってしまうだろうか?(あるいはその両方だろうか?)
一部は実際にあり得るだろう。だが、これまで多くのテクノロジーがそうだったように、デジタル・アシスタントの有用性が、欠点を上回る可能性の方が高い。すでに途方もない量のデータやコンピューターを使ったさまざまな装置が、学習や遊び、交流を目的として、入園前の幼児も含む子どもたちの手に入るようになっている。アレクサを使えば、子どもたちはお馬鹿なものも真面目なものも含めてすべての質問に答えを得られ、お話を聞いたり、遊んだり、アプリを操作したりできる。手が届かないところにある電気のスイッチも入れられる。これは子どもたちのAI革命の始まりに過ぎない。
アレクサに感情はあるのか?
アレクサが人間ではないことをハンナが知っているのかどうか確信が持てな …