囲碁のヨーロッパ・チャンピオン樊麾(ファン・フイ)は外の空気を吸いたがっていた。「自分自身のことがもうわからなくなってしまいました」
樊(ファン)は、先週ニューヨークのトライベッカ映画祭で初公開されたグレッグ・コースの新作ドキュメンタリー映画『アルファ碁(AlphaGo)』で描かれたグーグルの人工知能システムに、プロとして初めて対戦した囲碁棋士だ。アルファ碁を開発したディープマインド研究グループがあるグーグルのロンドン支社に招かれたとき、結局は「ただのプログラムじゃないか」と樊は自信をもっていた。
樊の自信には根拠があった。ここ数年、AIは目覚ましい進化を遂げていたが、囲碁は依然として長年の難題のままだった。グーグル・ディープマインドの共同創業者で自身も世界的な囲碁棋士のデミス・ハサビスCEOは「ボードゲームの最高峰です」という。従来、プログラムがフルサイズの盤面で人間のプロ棋士を下したことは一度もなかった。ロンドンで対戦した午後、樊は自分が苦戦するとはまったく予想していなかった。
もちろんアルファ碁は普通の囲碁プログラムとは違う。革新的な工学技術と、ディープマインドに所属する数十名の科学者のチームワークの産物だ。特筆すべきは、アルファ碁が人間の限界を超えた回数の碁を打ち、 その経験で多層ニューラル・ネットワークを訓練して打ち方を高度化したことだろう。樊との対戦までに、アルファ碁はトップレベルの囲碁棋士から提供された16万回の対戦記録を学習し、さらに自分自身を相手に、3000万回の対戦を繰り返していた。アルファ碁に負けそうだと気づいたとき、樊は自分の世界、そしてプロフェッショナル囲碁の世界に、取り返しのつかない変化が起きつつあることを悟った。
技術的な偉業を記録した映画は、人間側のふたつの物語を描いている。一方は、ディープマインドの科学者の仕事だ。AI研究の分野で画期的な業績を成し遂げようとする努力には、感動的な物語がある。もう一方は、樊をはじめとする、自らの人生を囲碁の研究に捧げる人々の物語だ。映画として見れば、囲碁棋士の物語の方が美しい。世界最高の棋士の座を追われるのはどんな心境だろうか? 囲碁の習得に「人間の直感」が必要だとすれば、自らの人生の一部を問われるのはどんな気分だろう?
すでにAIは人間の日常生活を変えつつあり、私たちは皆、いずれはこうした問題に対処することになる。樊の場合、一 …