ヒトゲノム:全塩基配列の決定で遺伝子と病気の関係が解明されていく
ビジネス・インパクト

Inside Genomics Pioneer Craig Venter’s Latest Production ゲノム解析で始まる
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多くのデータを分析することで、遺伝子配列決定の先駆者は、DNAと病気の関係の不明点を解き明かそうとしている by Arlene Weintraub2016.07.25

カリフォルニア州ラホヤにあるヒューマン・ロンジェビティ(HLI)の本社では、20台余りの装置が24時間体制で稼働している。解析時間は1人当たり15分、コストは2000ドル以下だ。現在、すべての作業は3部屋で足りているが、2000年にヒューマン・ロンジェビティの創業者クレイグ・ヴェンターが歴史上初めてヒトゲノム(ゲノムはヴェンター本人のものだった)の全塩基配列を決定したときは、ビルかと思うほどの大きさの5000万ドルもするコンピューターを使って、すべてを解析するのに9か月間を費やした。かかった費用は1億ドルだ。

ヴェンターの目標は、10年はかかるとされる最低100万件のゲノムの全塩基配列を決定すること、そこで得られたデータをDNA提供者の既往歴情報や他の医療検査の結果と合わせて評価し、多くの高齢者が苦しむがんや心臓病など、さまざまな疾患の治療法や予防法を開発することだ。

69歳のヴェンターは、GEベンチャーズやセルジーン、イルミナなどの投資家から3億ドルを調達した。HLI は英製薬大手アストラゼネカやロッシュの子会社ジェネンテック(本社サウスサンフランシスコ)と提携し、両社から患者の塩基配列のサンプルの提供を受けている。

イラスト・レベッカ・クラーク

シークエンシングラボの2階上にあるヴェンターのオフィスでは、レッドプードルの「ダーウィン」が足もとで眠っている。ヴェンターはコンピューターの画面に画像を写し出し、HLIが研究の初期段階で1000人分のゲノムの全塩基配列を決定し、その遺伝子データだけを使って、どのように患者の顔を予測したかを説明した。ある遺伝子データから作り上げた顔と実際の顔がどれだけ似ているかを満足そうに見せながら、「われわれは、遺伝子データから、顔のつくり、身長、肥満指数(BMI)、目の色、髪の色やその性質まで予測できます」といった。

だがヴェンターによると、ゲノム情報から顔を作り上げることは、遺伝学の本当の力のごく一部でしかないという。

「顔だけではありません。疾患のある大動脈、狭窄した脊髄、私たちはどんなものでも評価したいと考えています。そうすることで、将来的に遺伝子情報からさまざまな状況を予測できるからです」

遺伝子と疾病の相関関係の解明はまだ限定的で、ゲノム学研究はまだ始まったばかりだ。すでに特徴が広く知られている遺伝子でも、医学が飛躍的に進歩するわけではない。たとえば、ヴェンターは、自分自身がCETP(コレステリルエステル転送蛋白)遺伝子の良性多様体を持っていることを発見した。CETPは善玉コレステロール値を調整することから、心臓発作のリスクを減らすことに関連しているといわれてきた。2000年代初頭、 製薬会社はこぞって悪玉コレステロール値を増加させる有害な遺伝子多様体を標的にしたコレステロール降下剤を開発しようとしたが、すべて失敗した。

「ここからわかることは、単純に相関があるからといっても、それでうまく行くわけではない、ということです。つまり、遺伝子研究はどの分野も非常に複雑なのです」

3億ドル
ヴェンターのヒューマン・ロンジェビティ社にベンチャーキャピタルが投資した金額

ヴェンターは、遺伝子情報を他の健康データと合わせて解析することで、そのつながりが明らかになるとして、遺伝子研究の複雑さを受け入れている。HLIとアストラゼネカは、アストラゼネカによる臨床試験に参加している患者から50万の匿名DNAサンプルを共有し、HLIが患者のDNAの全塩基配列を決定して分析する契約を結んでいる。個別化医療やバイオマーカーに関するアストラゼネカの取り組みを指揮するルース・マーチは、「テクノロジーが発展したお陰で、すべての遺伝子を読み取れるようになりました。しかし、数十万人もの患者の塩基配列の違いを見つけ出せれば、疾病と薬剤感受性の両方を理解することに非常に大きな影響を及ぼすでしょう。HLIには、任意の遺伝子を調べるのではなく、データのパターンを発見し、その上で評価するテクノロジーがあります」

ヒトゲノム全体に含まれる2万以上もの遺伝子のひとつひとつが持つ健康に関する重要な情報を解明するには、遺伝子データとその人物の他の情報とを比較しなければならない。たとえば、環境や行動によって遺伝子が受ける影響や、医薬品にどう反応するのか、MRI画像や医学的検査などの結果がどう現れるのか、などを示す情報だ。こういったデータの中のパターンを見いだすだけで、医師が患者の遺伝子構造を的確に理解し、オーダーメイドの最適な治療を施す「適確医療」の実現にHLIが貢献できる、とヴェンターは確信している。

ペタバイト(1千兆バイト)もの遺伝子データを特定の健康状態と相関させ、HLIが収集した百万人の遺伝子の中からそのパターンを見つけ出すには、莫大な計算量が必要だ。そこで、ヴェンターは元グーグルの機械翻訳部門トップでグーグル翻訳の開発を指揮したことで有名な、フランツ・オッホを迎え入れた。グーグル翻訳は、マルチリンガルの人間が翻訳するのと同じくらいの速さでどんなウェブサイトでも英語から多言語に翻訳をするソフトウェアとして有名だ。

オッホによると、遺伝情報を構成する64億個の文字列と健康状態とを関係づけることが非常に難しいという。遺伝情報をひとつの言語とすると、MRI画像だけで別の言語ひとつ分にたとえられるという。

たとえば、アルツハイマー病の患者は、症状が現れる何年も前から海馬が萎縮している。機械学習を活用して全ゲノムと脳画像を比較すれば、アルツハイマー病のリスクに関連した遺伝的変異を検出できるかもしれない。つまり、新薬開発や疾病を早期に発見できるかもしれないのだ。

「あるいは、遺伝的なリスク要因を抱えているのに、病気にならない人が存在する原因も明らかになるかもしれません。もしかしたら防御能力のある他の遺伝子変化がある可能性も考えられます」(オッホ)

HLIの主な目的のひとつは、個々の患者の遺伝子構造やがんの症状に対応したがんワクチンを作ることだ。HLIでがん研究イニシアティブを指揮するケン・ブルーム社長によると、まず患者を治療し、患者の全ゲノムと一緒に腫瘍の塩基配列を決定し、それから、再発を防ぐためのワクチンを打つという。

「がんワクチンは免疫システムの能力を引き出し、がんによる新たな攻撃に備えます。したがって、再発はないでしょう」(ブルーム社長)

ヴェンターが思い描く世界は、すべての人の全塩基配列が決定され、健康状態が改善される日が来ることだ。2015年10月、その実現に向けヘルス・ニュークリアス(Health Nucleus)と呼ばれるプラットフォームが設立された。患者は同社のラホヤ本社で1日かけて遺伝子の全塩基配列を決定し、医療検査を受ける。また、2万5000ドル払って顧客になれば、革張りの椅子で装飾されたプライベート・スイートで1日が始まり、担当医師とファミリーヒストリーについて90分間語り合い、血液サンプルを採取してもらえる。その後、心臓全体の経時変化を写し出す全身MRI検査や4Dの心エコー検査などハイテク画像検査を受ける。一般的に健康な人はここまでの検査は受けない。バンドエイドほどの大きさの装置を胸につけ帰宅し、2週間分の心拍リズムを測定して検査は終了する。顧客はモバイルアプリから自分自身のデータにアクセスでき、遺伝子解析の結果から考えられる心臓や脳などの重要臓器が抱える潜在リスクに関する情報は、クリックするだけで得られる。契約者は現在までに約220名だ。

この手法は倫理的かつ社会的なジレンマを生んでいる、と言うのは、ニューヨーク大学ランゴン医療センターのアーサー・カプラン教授(生命倫理学)だ。カプラン教授はヴェンターとは長い親交があり、ヴェンターのベンチャー企業でアドバイザーを務めていたことある。一体誰がこういった検査や個別化医療に金を払うのだろうか。それだけの価値はあるのだろうか、とカプラン教授は指摘する。

「今のところ、ゲノムの全塩基配列決定は保険適用外のため費用は個人負担です。保険会社が遺伝子検査やカウンセリングに関して保険金を支払うことはめったにないからです」

現在、こういったオーダーメイド性の非常に高い健康法において経済格差が存在していることは確かだろう。

「今の時点で全塩基配列決定の費用を負担できるのは富裕層だけです」とカプランはいう。

現時点では確かにそうかもしれない。だがヴェンターは、保険会社の同意を取り付けるために保険数理士を雇い、同社の個別化サービスの経済性を徹底的に調べ上げている。「たとえ患者当たりの費用が2万5000ドルだったとしても、化学療法や、最終的に命を救えないような治療法に数十万ドルかけるよりはよいはずです。つまり2万5000ドル対数十万ドル、余命40年対余命2年というわけです。病気は治療するより予防した方がずっとコストがかからないのです。何度いったらわかってもらえるのでしょう」