KADOKAWA Technology Review
×
勝者なき米国のWHO脱退、影響は全世界に
Majdi Fathi/NurPhoto via AP
The US withdrawal from the WHO will hurt us all

勝者なき米国のWHO脱退、影響は全世界に

最大の資金拠出国である米国のWHO離脱は、世界の公衆衛生体制を揺るがしかねない。各国の拠出金増額で穴埋めできたとしても、国際保健政策への影響は避けられそうにない。 by Jessica Hamzelou2025.02.06

この記事の3つのポイント
  1. WHOへの最大の出資国である米国が脱退を決定した
  2. WHOは過去にワクチン普及やポリオ撲滅で目覚ましい成果を上げてきた
  3. 米国の脱退により国際保健の取り組みに深刻な影響が出る可能性がある
summarized by Claude 3

この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。

1月20日、米国のドナルド・トランプ新大統領は、就任初日に米国を世界保健機関(WHO)から脱退させる大統領令に署名した。文書を受け取った際、大統領は「おぉ、これは重要な決定だな」と口にした

米国はWHOへの最大の出資国であり、同国の脱退による損失は、国際的な健康指針の策定、疾病発生の調査、加盟国間の情報共有のハブとしての役割を担うWHOに大きな影響を与えるだろう。

しかし、米国もまたその影響を受けることになるだろう。「これは非常に悲劇的で残念な出来事であり、長期的には米国にとって不利益をもたらすだけかもしれません」。ジョンズ・ホプキンス大学ブルームバーグ公衆衛生大学院の疫学者、ウィリアム・モス教授はこう話す。

トランプ大統領は、米国がWHOに拠出している金額に異議を唱えているようだ。大統領は、米国は中国の4倍の人口を持つ同国よりもはるかに多くの資金を拠出していると指摘し、「私には少し不公平に思えます」と、大統領令に署名する準備を進めながら語った。

確かに、米国はWHOにとって圧倒的に最大の資金提供国である。2022年から2023年の2年間で、米国は12億8000万ドルを拠出した。比較すると、2番目に多額の資金を拠出しているドイツは、同じ期間に8億5600万ドルを提供している。現在、米国はWHOの総予算の14.5%を負担している。

しかし、WHOが米国に10億ドルの請求書を送っているわけではない。すべての加盟国には分担金の支払いが義務付けられており、その額は各国の国内総生産(GDP)に基づいて算出される。このルールに従えば、米国の分担金は1億3000万ドル、中国は8760万ドルとなっている。米国がWHOに拠出している資金の大半は自主的なものだ。近年、米国政府の数十億ドル規模の国際保健(グローバルヘルス)予算の一環として、WHOへ資金を出している(これとは別に、ビル&メリンダ・ゲイツ財団は2022年から2023年にかけて8億3000万ドルを拠出している)。

米国の脱退による資金不足を補うために、他の加盟国が拠出金を増額する可能性もある。しかし、誰が拠出金を増やすのか、そして拠出金の構造が変化した場合にどのような影響が出るのかは明確ではない。

ロンドン大学衛生熱帯医学大学院で欧州の公衆衛生を研究しているマーティン・マッキー教授は、欧州の加盟国が拠出金を大幅に増やす可能性は低いと考えている。一方、アラブ諸国、中国、インド、ブラジル、南アフリカは、拠出金を増やす可能性が比較的高いと考えられる。しかし、それがどのような結果をもたらすのかは不透明であり、これらの国々が拠出金を増やすことで、国際保健政策の決定により大きな影響力を持つようになるかどうかも不明である。

WHOの資金は、ポリオ撲滅プログラム、衛生上の緊急事態への迅速な対応、ワクチンや医薬品の普及促進、パンデミック予防戦略の開発など、さまざまな国際保健の取り組みに充てられている。米国の資金援助が失われることで、これらのプロジェクトの一部に深刻な影響を及ぼす可能性が高い。

「病気は国境を気にしません。ですから、この決定は米国だけでなく、世界のすべての国に関わるものです」。ロンドン大学衛生熱帯医学大学院のポーリーン・シールビーク准教授は言う。「米国がWHOやその資金調達部門への報告をしなくなれば、公衆衛生のための介入や問題解決の根拠とすべきエビデンス(科学的証拠)は不完全なものになります」。

「国際保健を損なうことになるでしょう。そしていずれその影響は米国にも跳ね返ってくるのです」。モス教授はこう話している。

米国のWHO撤退が保健プログラム、ワクチン普及、パンデミック(世界的な流行)への備えにどう影響を与えるか。こちらの解説記事でさらに詳しく説明している。

MITテクノロジーレビューの関連記事

ドナルド・トランプ大統領が米国のWHO脱退の意思を示したのは初めてではない。前回任期中の2020年にも脱退を提案している。WHOは完璧ではないが、必要なのは権力と予算の縮小ではなく拡大であると、グローバル開発センター(Center for Global Development)の上級研究員兼技術開発部長であるチャールズ・ケニーは当時述べた

WHO脱退は、公衆衛生分野で働く人々からも批判を浴びた。当時、医学誌『ランセット(The Lancet)』の編集長はこの提案を「人道上の罪」と非難したと、本誌のシャーロット・ジー記者が報じている

1974年、WHOは全世界の子どもたちに命を救うワクチンを届けるという野心的なプログラムを開始した。50年が経過した現在までに、ワクチンによって1億5400万人の命が救われたとされており、そのうち1億4600万人は5歳未満の子どもたちである。

WHOはまた、ポリオ撲滅の取り組みでも目覚ましい成果を上げている。現在、野生型ポリオウイルスは2カ国を除く全世界で根絶された。しかし、ワクチン由来のウイルス株は依然として世界各地で散発的に出現している。

昨年9月、パンデミックに関する合意形成を目的としたWHO加盟国間の協議の終了時に、テドロス・アダノム・ゲブレイェスス事務局長は次のように述べた。「次のパンデミックは私たちを待ってくれない。それがH5N1のようなインフルエンザウイルスなのか、別のコロナウイルスなのか、あるいは私たちがまだ知らないウイルスの系統なのかは分からない。」H5N1ウイルスはここ数カ月、米国の酪農場で感染拡大しており、米国はヒトへの感染拡大に備えている。


医学・生物工学関連の注目ニュース

  • がん患者たちは、治療効果について誤解させられた結果、4万5000ドルを支払い、アンティグアのクリニックで実施された実験的な血液濾過療法を受けた。このうち6人が治療後に死亡した。(ニューヨーク・タイムズ
  • トランプ政権は、連邦保健機関に対して外部とのすべてのコミュニケーションを一時停止するよう指示した。この指示には、健康に関する勧告、週次の科学報告、Webサイトの更新、ソーシャルメディア投稿などが含まれている。(ワシントン・ポスト
  • ヒトの網膜をモデルにした新しい「バーチャル網膜」が、網膜インプラントの影響を研究するために開発された。この三次元モデルは1万個以上のニューロンをシミュレーションする。(ブレイン・スティミュレーション
  • トランプ大統領は「米国の政策においては、男性と女性という2つの性別のみを認識する」とする大統領令に署名した。この文書は「ヒトの成長と発達に関する数十年にわたる研究成果に反するものである」と、スタット(STAT)誌は指摘している。性の発達を研究する神経科学者によれば、この大統領令は「生物学への理解の著しい欠如」を示している。(スタット
  • 夏の旅行を計画している人は要注意。地中海地域では、吸血性のサシチョウバエによるトスカーナウイルス感染が急増している。このウイルスは、同地域における中枢神経系疾患の主要な原因となっている。イタリアでは、2022〜2023年の2年間で、2016〜2021年と比べて報告された感染症例が2.6倍に増加した。(ユーロサベイランス
人気の記事ランキング
  1. Why the next energy race is for underground hydrogen 水素は「掘る」時代に? 地下水素は地球を救うか
  2. This quantum computer built on server racks paves the way to bigger machines ザナドゥ、12量子ビットのサーバーラック型光量子コンピューター
  3. How a top Chinese AI model overcame US sanctions 米制裁で磨かれた中国AI「DeepSeek-R1」、逆説の革新
ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。
MITTRが選んだ 世界を変える10大技術 2025年版

本当に長期的に重要となるものは何か?これは、毎年このリストを作成する際に私たちが取り組む問いである。未来を完全に見通すことはできないが、これらの技術が今後何十年にもわたって世界に大きな影響を与えると私たちは予測している。

特集ページへ
日本発「世界を変える」U35イノベーター

MITテクノロジーレビューが20年以上にわたって開催しているグローバル・アワード「Innovators Under 35 」。世界的な課題解決に取り組み、向こう数十年間の未来を形作る若きイノベーターの発掘を目的とするアワードの日本版の最新情報を発信する。

特集ページへ
フォローしてください重要なテクノロジーとイノベーションのニュースをSNSやメールで受け取る