仲田真輝:人工生命起業家が「魚の養殖」にピボットした理由

Trajectory of U35 Innovators: Masaki Nakada 仲田真輝:人工生命起業家が「魚の養殖」にピボットした理由

ニューラルエックス(NeuralX)の仲田真輝CEOは、魚の行動を生物学に基づいて再現するシミュレーション技術を開発し、養殖業のAI導入に不可欠な教師データを無限に生成できるプラットフォームを展開しようとしている。 by Yasuhiro Hatabe2025.01.10

ニューラルエックス(NeuralX)の創業者である仲田真輝はコロナ禍の只中だった2020年、「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれた。

長年研究してきた「人工生命」の研究成果を用いて、運動解析と生体力学的人間シミュレーション技術に基づくオンライン・フィットネス・サービス「プレゼンス・フィット(Presence.fit)」を開発したことが主に評価されての受賞だった。プレゼンス・フィットは、パンデミックでステイホームを余儀なくされた人々に健康維持の手法と機会を提供した。

しかし4年が経過した今、仲田は「人」の健康から「魚」の養殖・漁業へと焦点を移している。

フィットネスから養殖の世界へ

現在、仲田が取り組んでいるのは、生物学に基づく魚の運動および群行動のシミュレーション・モデルの開発、および同モデルに基づいて合成する「AI学習用の注釈(アノテーション)付きデータセット」の提供だ。

魚の養殖では、いけすの中の魚の管理が必要となる。ここで言う「管理」とは、魚の尾数を数える、各個体の生育状況や健康状況を把握する、といったことだ。養殖における給餌ではこうした管理が重要となる。だが、大きないけすの中で泳ぎ回る多数の魚の数や状態を人力で常時監視することは、ほぼ不可能だ。

今なら、「カメラやセンサーなどのIoTデバイスを使って管理・給餌すればいい」と考える人も少なくないだろう。ただ、事はそう簡単ではない。カメラやセンサーでいけすの中のデータを取ることはできても、泳ぎ回る魚を1尾ずつ認識したり健康状況を見分けたりするには、大量の教師データによって訓練されたAIモデルが必要になる。だが、魚の状態やどのような環境(照度や水の温度、酸素濃度、pHなど)のときに魚がどう振る舞うか、といった教師データはほとんどない。大量のリアルデータを集めることは難しく、できたとしても膨大なコストがかかる。

生物学に根ざした魚類シミュレーション・モデル

そこで仲田らが開発したのが、魚類シミュレーション・プラットフォーム「Foids」である。

もともとコンピューター・サイエンスの世界には、「Boids(ボイド)」という、鳥の群行動をコンピューター上でシミュレーションするアルゴリズムがある。米国のアニメーション・プログラマー、クレイグ・レイノルズが考案したもので、非常に人気があり定着している手法だ。「bird-oid(鳥のようなもの)」がBoidsだから、「fish-oid」でFoidsというわけだ。

Foidsは、本物ような見た目で、本物のように動く魚の3Dモデルをコンピューター上に作り、魚や海中のさまざまな状況をシミュレートすることによって、大量のデータを作り出す。それをAIに学習させることで、いけすの中の管理の精度を上げることができる。

「無いデータを集めるのではなく、シミュレーションして作ろうというアプローチです」と仲田は説明する。

当然ながら、合成するデータは現実に則していなければならない。そのため、実際の魚に近しい「生物学的な原理原則に基づくモデル、アルゴリズムの構築を重視している」と仲田は言う。

シミュレーション画面(提供写真)

魚が目などの感覚器から得た情報が神経回路を通じてどのように処理され、伝わっていくか。その処理速度もミリ秒単位でモデル化した上でシミュレーションする。また、魚が群行動をとる時に、他の個体との距離感をどう測っているのか、群の密度によるストレスによって行動がどう変わるのかなど、生物学で証明された生態に基づいてモデルを構築しているのだという。

仲田らはハワイの養殖事業者とともにこのFoidsの実証実験を終え、「データセット・アズ・ア・サービス(DSaaS)」という新しいビジネスモデルで展開していく考えだ。

人型ロボットは「人間とはほど遠い」

仲田は高校生の頃から、「将来は起業したい」と考えていた。高校卒業後は、ロボティクスへの興味から早稲田大学理工学部応用物理学科へ進学し、修士課程まで進んだ。しかし、人型ロボットの制御の研究を通じて、現実世界で作れるロボットは物理的な制限もあり、「人間とはほど遠い」と思ったのだという。

「人間らしい動き」をコンピューター上で再現できるのではないか? そう考えていたところ、人工生命シミュレーション研究のパイオニアであるカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のデメトリ・テゾポラス教授の存在を知った。

仲田は、同校のコンピューター・サイエンス博士課程に進み、テゾポラス教授の下で研究に従事した。博士号取得後もポスドク研究員として研究を続け、10年間にわたる米国での研究成果をもとに2019年2月、ニューラルエックスを創業する。

フィットネスと養殖の意外な共通点

フィットネスを事業展開していたかと思いきや、魚の養殖業に向かうとは、あまりに意外な方向転換と思える。「でも、僕の中では違う方向というわけでもないんです」と仲田は言う。

「僕自身が研究者として取り組んできたのは、生命を物理学・生物学の原理原則に基づいてコンピュテーショナルにシミュレーションすること。対象が違うだけで、核となる技術は共通しています」。

昨今話題の生成AIは、ポテンシャルは大きいが、いま市場に出ている生成AIはテキストや画像など有り物のデータを集めやすい領域、「知性」と呼ぶにはごく狭い範囲に限られていると仲田は指摘する。対話型生成AIは原理原則に基づいて論理的に出力しているわけではないから、正確な内容を返してくるとは限らないし、画像や動画の生成AIは物理学や生物学の法則を無視した形状や構造を出力することもある。

それを良しとしないからこそ、仲田は自然界の法則に忠実に生命を模してデータを作ることを重視しているのだ。

「自分にしかできないこと」で勝負する

「スタートアップ経営者として最も大事にしているのは、『なぜ僕なのか』を問うこと。他の人ができることを自分がする必要はなく、代わりに『自分にしかできないこと』で勝負すべきだと考えています」。

コンピュテーショナルな人工生命のシミュレーション技術は、仲田が「世界を見渡しても僕らしかできない」と自負する、ニューラルエックスの創業時からの核となっているものだ。

一方で、「僕自身はアプリケーション・レイヤー、つまりそれで何をするかをいい意味で気にしない」とも考えている。「データやシミュレーションの技術は提供するのでいいように使ってください、それで誰かが幸せになってくれるならそれでいいと考えています」。

第一次産業へのAI導入やDXに資金が流れ込み、そこに技術を持ったプレイヤーが参入しつつある。そうした潮流を読んだ仲田は、AI時代になくてはならないデータセットこそがインフラとなりうると考えた。

「農業や畜産などさまざまな選択肢の中から養殖漁業を選択した理由は、海洋のデータが陸や空よりも取りにくいから。だからこそ僕らが作成するデータセットに価値があるはず」。

「新しい石油」とも言われるデータを無限に作り出せる技術を手に、社名の「X」に込めた無限の可能性に向かって走り続ける。

提供写真

この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら