「顔パス」で急成長、
空港から日常生活へ拡大する
生体認証企業の野望
生体認証企業のクリア・セキュアは、米国の空港の保安検査で「顔パス」による優先レーンを提供し、2700万人を超える会員を獲得している。今では病院の受付やスポーツ施設への入場まで、サービスを急速に拡大しているが、データ管理や監視社会化の懸念も指摘されている。 by Eileen Guo2024.12.05
米国の大規模な空港を一度でも利用したことがある人なら、「クリア(Clear)」という会社を何となく知っているだろう。もしかしたら、保安検査場の前にあるクリアの専用ブース、乗客を保安検査の列の一番前に案内する紺色のベストを着た係員、登録すれば列をスキップできるという押しつけがましいセールストークなどに興味(または苛立ち)を覚えたことがあるかもしれない。結局のところ、列に並ぶこと以上に嫌なことはない。
時価総額約37億5000万ドルの「クリア・セキュア(Clear Secure)」は、空港での存在感によって米国で最もよく知られる生体認証会社だ。過去20年間で、同社は全米58カ所の空港に100以上の専用レーンを設置し、過去10年間でサンノゼからデンバー、アトランタまで、17カ所のスポーツア・リーナやスタジアムにも進出してきた。今では、同社の本人確認プラットフォームを使って、ホームセンターのホーム・デポ(Home Depot)で工具をレンタルしたり、リンクトイン(LinkedIn)で採用担当者に自分のプロフィールを公開したりといったことも可能だ。さらに2024年11月からは、ウーバーの利用者確認にも使えるようになった。
クリア・セキュアの計画通りに事が運べば、近いうちにお気に入りの小売店や銀行、さらには診療所、あるいは今は財布を取り出さなければならない(そしてもちろん、列に並ばなければならない)あらゆる場所で利用できるようになるかもしれない。審査済みの何百万人もの会員が、空港の保安検査場の列をスキップできるようにしてきた同社は、現在、空港からオンライン・オフラインを問わずあらゆる場所に「スムーズな」「顔優先の」列のスキップ・サービスを拡大しようとしている。これによって、申告どおりの人物であること、いるべきいる場所にいることを証明することを約束している。同社のキャリン・サイドマン・ベッカー最高経営責任者(CEO)は、2024年初めの決算説明会で投資家たちに対し、同社は「インターネット上のアイデンティティ(ID)レイヤー」であると同時に、物理世界の「ユニバーサルIDプラットフォーム」になることを目指していると語った。
必要なのは、その場で、顔を見せるだけ。
これは生体認証テクノロジーによって可能になるが、クリア・セキュアは単なる生体認証企業ではない。サイドマン・ベッカーCEOが投資家たちに語ったように、「生体認証は製品ではなく(中略)、1つの機能に過ぎない」のだ。あるいは、2022年のポッドキャストのインタビューで同CEOが語ったように、同社は究極的には「アマゾンやアップルと何ら変わらない」プラットフォーム企業である。「体験をより安全で簡単なものにし、人々の時間のムダをなくし、人々に主導権を与え、テクノロジーを活用して(中略)スムーズな体験を実現する」という夢を抱いている企業だとも同CEOは語っている(MITテクノロジーレビューはベッカーCEOへのインタビューを申し込んだが、同社は応じなかった)。
クリア・セキュアは何年もの間、この壮大なビジョンに向けて準備を進めてきたが、ついに機が熟したようだ。現在、さまざまな要因が重なり、本人確認テクノロジーの採用、さらにはその必要性が加速している。人工知能(AI)に後押しされ、詐欺行為はますます巧妙化し、誰が、あるいは何が本物であるかを見分けることが難しくなっている。データ漏洩はほぼ毎日のように発生し、消費者はデータのプライバシーとセキュリティをより懸念するようになっている。そして、パンデミックに起因する「非接触」体験を良しとする動きが今でも影響として残っている。
これらすべてが、情報、特に私たちの身元確認方法に新たな緊急性を生み出し、ひいてはクリア・セキュアにとって大きなビジネス・チャンスをもたらしている。サイドマン・ベッカーCEOは長年にわたり、生体認証が身元確認の主流になるだろうと予測してきた。
しかし、生体認証がほぼ間違いなく主流となった今、そのコストを払うのは誰なのだろうか? 利便性はたとえ一部の人だけが選択したとしても、すべての人がその影響を受けることになる。一部の批評家は、クリア・セキュアを通じて本人確認が実施される世界では、誰もが恩恵を受けるわけではないと警告する。それはおそらく、費用が高すぎるからかもしれない。あるいは、生体認証テクノロジーは有色人種や障害者、または性自認が公式文書の記載と一致しない人たちを識別するのにあまり有効ではないからかもしれない。
さらに、米国政府への助言経験があるアイデンティティ管理の専門家であるカリヤ・ヤングは、私たちの生体認証データ、特に顔データを単一の民間企業が「仲介」することは、アイデンティティ管理の「アーキテクチャ」として間違っていると話す。「彼らは、グーグルのログインのようなシステムを実生活のあらゆるものに作ろうとしているようです」とヤングは警告する。グーグル(またはフェイスブックやアップル)がWebサイトやアプリに提供するシングルサインオン・オプションは、生活を便利にする一方で、私たちの個人データとそのデータにアクセスする鍵を単一の営利企業に委ねることで、セキュリティとプライバシーのリスクを高めているとも言える。「私たちは基本的に、アイデンティティ情報の魂を民間企業に売り渡し、その企業があらゆる場所でゲートキーパーの役割を果たすことになるのです」。
クリア・セキュアはグーグルの知名度には遠く及ばないが、すでに2700万人以上の会員を通じて同社はゲートキーパーの役割を果たしている。そして、最高技術責任者(CTO)を務めるニコラス・ペディが、2024年夏にMITテクノロジーレビューのインタビューで語ったように、「地球上で最大級の民間アイデンティティ・リポジトリの1つ」になった。
クリア・セキュアがスムーズな未来に向けた計画の実現に向けて順調に歩みを進めている今、私たちはここに至った経緯とサインアップした内容の両方を理解する必要がある。
アイデンティティ管理の新境地
近い将来のとある金曜日の朝、週末のニューヨーク旅行を前に、やることリストを片付けようと躍起になっている自分の姿を想像して欲しい。
午前中、リンクトインで新しい仕事に応募する。昼食を取りながら、クリア・セキュアによって確認されたあなたの職業プロフィールを採用担当者が見ていることに安心したら、ホーム・デポに立ち寄り、自撮り写真で本人確認をして、バスルームの簡単な修理のために電動ドリルを借りる。そして、夕方には車でかかりつけのクリニックに向かう。数日前に届いたテキストメッセージ(SMS)で本人確認が済んでいるので、クリア・セキュアの端末で自撮り写真を撮るだけで受付は完了する。 就寝前に、翌朝の空港への行き方を計画し、目覚ましを設定する。あまり早い時間でなくていい。クリア・セキュアを使うことで、荷物をすばやく預け、保安検査場を楽々と通過できることが分かっているからだ。
ニューヨークに着いたら、お気に入りの歌手のコンサートが開かれるバークレイズ・センターに向かう。正面の長い行列をスキップして、クリア・セキュアの優先レーンへと飛び込む。コンサートが終わったのは遅い時間なので、ウーバーを呼んでホテルに戻る。ドライバーを待つ必要はほとんどない。(クリア・セキュアで)確認済みの乗客プロフィールのおかげで、ドライバーも安心して迎えにきてくれる。
ここまで、運転免許証を取り出したり、繰り返し書類に記入したりすることは一切ない。すべてがすでに記録されている。すべてが簡単で「スムーズ」だ。
少なくとも、これがクリア・セキュアが積極的に構築しようとしている世界だ。
クリア・セキュアの強みの1つは、財布、つまりクレジットカード、運転免許証、健康保険証、そしておそらく建物のカードキーといった電子キーに完全に取って代わることができることだと、サイドマン・ベッカーCEOはよく話している。しかし、ただ突然、持ち歩くカードすべてが同社に取って代わるわけではない。同社がデジタル・アイデンティティを現実世界の本人とリンクさせるには、ユーザーはまず個人データ、具体的には生体認証データを少し提供する必要がある。
生体認証とは、顔、指紋、虹彩、声、歩き方など、私たち1人ひとり固有の身体的および行動的特徴によって個人を識別する認証方法だ。良くも悪くも、こういった特徴は通常、生涯にわたって一定のままなのだ。
生体認証に頼った本人確認は便利かもしれない。人は財布を置き忘れたり、セキュリティに関する質問の答えを忘れたりすることが多いからだ。しかし、一方で誰かが生体認証情報データベースへの不正アクセスに成功したら、その利便性は危険性に変わる恐れがある。漏れてしまったパスワードを変更するように、顔や指紋を簡単に変更して改めてデータを保護することはできない。
実用レベルでは、生体認証を使って個人を識別する方法は一般的に2つ存在する。1つは、一般的に「1対多」または「1対n」マッチングと呼ばれ、1人の生体認証識別子をそれらの生体認証識別子が収録されたデータベースと比較するものだ。これは、ライブ映像からリアルタイムで顔を認識することで、当局が通りを歩いている人を特定できるという、ディストピア的な監視社会の典型的なイメージと結びつけられることがある。もう1つは「1対1」マッチングで、クリア・セキュアが基盤としているものだ。これは、生体認証識別子(空港の係員の前に立っている実際の人の顔など)を、以前に記録された生体テンプレート(パスポートの写真など)と比較して、一致していることを確認するものだ。通常、個人の認識と同意を得て実施され、プライバシーのリスクはほぼ間違いなく低いと言える。多くの場合、1対1マッチングには、パスポートが正規のものであり、システムに登録するために使用した写真と一致するかどうかを確認するといった、書類検証のレイヤーが含まれる。
米国議会は、9.11の同時多発テロ事件を受けて、より優れたアイデンティティ管理が至急必要であることを認識した。19人のハイジャック犯のうち18人が、偽造の身分証明書を使って飛行機に搭乗していたのだ。その後、新設された運輸保安庁(TSA)は、飛行機での移動に大幅に時間がかかる保安プロセスを導入した。その問題の一部は、「空港で誰もが同じように扱われた」ことだったと、連続起業家のスティーブン・ブリルは回想する。有名な話だが、アル・ゴア元副大統領もその例外ではなかった。「それは非常に民主的な響きでしたが(中略)基本的なリスク管理とリソースの配分という点では、まったく理にかなっていませんでした」。
議会はこれに同意し、身元調査に合格した人を信頼できる旅行者として認め、空港での審査の一部を省略できるプログラムを作る権限を運輸保安庁に与えた。
ブリルは2003年、テクノロジー起業家で元国土安全保障省顧問のアジェイ・アムラーニとタッグを組み、運輸保安庁の新プログラムで生体認証による本人確認のシステムを提供すべく、「ベリファイド・アイデンティティ・パス(VIP:Verified Identity Pass)」という会社を創業した。アムラーニは「有料道路の優先レーンのような、統一された高速レーンを目指していました」と話す。
VIPは誰にとっても利益のあるソリューションのように思えた。運輸保安庁は登録旅行者プログラムのために民間のパートナーを得た。VIPは利用料から収益源を得ることができた。空港はVIPにスペースを貸す代わりに賃料を得ることができた。そして、初期のVIP会員(主に頻繁に出張する旅行者)は空港での待ち時間を短縮できて喜んだ。
2005年までに、VIPはフロリダのオーランド国際空港で最初のサービスを開始した。入会時に80ドルを支払った会員は、指紋、虹彩スキャン、その際に撮影された顔写真が暗号化された同社発行の「クリア・カード(Clear card)」を受け取った。空港でそのカードを使えば、保安検査の最前列に案内してもらうことができた。
この取り組みでは、すでに米国防総省(DOD)と米国連邦捜査局(FBI)に生体認証機能を提供していた防衛請負大手のロッキード・マーチンが、オラクルなどの技術支援を得て、VIPのシステム構築を担当した。これにより、VIPは「マーケティング、価格設定、ブランディング、顧客サービス、消費者プライバシー・ポリシーに重点を置く」ことになったと、当時のロッキード・トランスポーテーション・アンド・セキュリティ・ソリューションズ(Lockheed Transportation and Security Solutions)のドン・アントヌッチ社長は述べている。
2009年までに、およそ20万人がVIPのサービスに加入した。VIPは1億1600万ドルの投資を受け、約20カ所の空港と契約を締結した。事業は前途洋々に思われた。だが、機密性の高い個人データに基づいて構築されたシステムに内在するリスクを、VIPは偶然にも明らかにしてしまった。
紛失したノートPCと大きなチャンス
当初からVIPのクリア・カードには、プライバシー、市民の自由、衡平性に与える影響について懸念があり、また将来のテロ攻撃を実際に阻止する効果についても疑問視されていた。電子プライバシー情報センター(EPIC)といった擁護団体は、生体認証ベースのシステムは機密性の高い個人情報に基づいて構築さ …
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