初めて雨が降らなかったとき、カナアニ村の農民たちはその事態に備えていた。それは2021年4月のことだった。気候変動によって天候がますます不安定になる中で、ケニア東部にあるこの村の家族たちは、以前の収穫から食料を備蓄しておくことが当たり前になっていた。しかし、次の雨季も、またその次の雨季も雨がほとんど降らないまま過ぎると、ナイロビとインド洋沿岸を結ぶ幹線道路から少し離れたところにあるこの小規模農家のコミュニティは、本格的な飢餓の危機に陥ってしまった。
2022年末頃、長年カナアニに住むダンソン・ムトゥアは、自分の農場にまだ緑の部分残っていることを幸運だと感じていた。ムトゥアは何年もかけて、ケニアや他のアフリカの地域で主食として食べられているトウモロコシの多くを、より干ばつに強い作物に少しずつ置き換えてきた。 矢じりのような形の種子の房で覆われた高草類のソルガムや、化学肥料を必要とせず、土壌中の窒素を固定することでも重宝されるキマメやリョクトウなどの、タンパク質豊富なマメ科植物を植えてきたのだ。近隣の畑の多くは完全に干上がっていた。ほとんど餌を与えられない牛は乳を出さなくなり、一部は死に始めていた。地元の市場ではまだ穀物を買うことができたが、価格が高騰し、払える現金を持っている者はほとんどいなかった。
2児の父であるムトゥアは、なんとか収穫できたわずかな作物を守るために寝室を使い始めた。「もし外に置いておいたら、なくなっていたでしょうね」。ムトゥアは5月に自宅から話してくれた。その14カ月前、カナアニ村にようやく雨が戻り、農家の収穫は回復し始めていた。「飢えた人は食べ物を手に入れるためなら何でもするのです」。
ムトゥアら住民たちが直面している食糧不足は、この村だけの問題ではない。国連の食糧農業機関(FAO)によれば、2023年は世界中で推定7億3300万人が「栄養不良」だったという。つまり、「活動的で健康的な通常の生活を維持する」のに十分な食べ物が不足していたのである。世界中に広がる飢餓は過去数十年にわたって順調に減っていたが、現在では増加傾向にある。中でもサハラ以南のアフリカはその傾向が最も顕著で、紛争、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの経済的影響、気候変動に関連した異常気象事象などにより、栄養不良と見なされる人口の割合が、2015年の18%から2023年は23%に上昇した。FAOの推計によると、この地域の63%の人々が「食糧不足」に陥っている。必ずしも栄養不良ではないものの、栄養価の高い食事を安定的に取ることができていないのだ。
アフリカの飢餓は、他のすべての地域と同様に多くの要因が絡み合って深刻化が進んでいる。決して、農業慣行の結果だけがすべての原因ではない。しかし、アフリカの政策立案者たちは、農家が栽培している作物の種類、特に米や小麦、そして何よりもトウモロコシに対し、ますます批判的な目を向けるようになっている。これらの作物は世界中で支配的なシェアを誇る農産物ではあるものの、気候変動の影響を受けやすい。 アフリカ在来種の作物はしばしば栄養価が高く、高温で乾燥した環境に適しているが、これまでその多くは科学研究の対象となってこなかった。そのため、病気や害虫に弱く、理論上可能な収穫量を大幅に下回ってしまう。そのような理由から、一部では「孤児作物」と呼ばれている。
これらの作物の多くにおいて、望ましい形質を持たせるための品種改良の取り組みは、過去数十年にわたって続けられてきた。国の支援を受ける機関や、アフリカ大陸全体にまたがる研究コンソーシアム、資金不足に悩む科学者たちによる、手作業での花粉交配などによってだ。そして今、それらの取り組みが大きな支援を受けるようになっている。2023年に米国国務省は、アフリカ連合、FAO、およびいくつかの世界的な農業機関と共同で、「適応作物と土壌のためのビジョン(VACS:Vision for Adapted Crops and Soils)」を立ち上げた。VACSは、アフリカに焦点を当て、伝統的な作物の研究開発の加速と、長い間痩せ果てていた同地域の土壌の再生支援を目指す新たなイニシアチブである。2024年8月時点で2億ドル相当の資金提供の約束を取り付けており、イニシアチブの提唱者たちはこれが重要な転換点になると考えている。その理由は、長い間無視されてきた作物に前例のない資金が送り込まれるからだけではない。しばしばトウモロコシなどの作物の定着を支援する農業政策を推進し、世界中で現地の作物の多様性を犠牲にしてきた、米国政府が主導している取り組みだからだ。
VACSを真のパラダイムシフトと呼ぶには、時期尚早かもしれない。トウモロコシは、今後も多くの国の政府の農業政策の中心であり続ける可能性が高い。また、このプログラムが加速させようとしている作物の協調的な研究開発は、まだ始まったばかりだ。VACSが普及促進を目指す作物の多くは、商業的なサプライチェーンに組み込むのが難しい可能性がある。また、人口の増加が続く都市部への販売は、人々が祖先のような食生活を始めるのをためらい、一筋縄ではいかないかもしれない。一部では、化学肥料や農薬を使わずに栽培されていた作物が、農家の化学肥料への依存を高めるような方法で「改良」され、その結果、栽培コストが上がり、長期的に土壌の肥沃度が損なわれることを懸念する声もある。しかし、数十年にわたって作物の多様性を擁護してきた多くの政策立案者や科学者、農家たちにとって、このような高い注目は歓迎すべきことであり、遅すぎたとも言える。
「私たちのコミュニティがこれまで常に強く必要としてきたことの1つは、これらの作物の認知度を高め、世界的な議題に載せるための方法です」。伝統的な作物の長年の擁護者であるロンドン大学のタファズワ・マバウディ教授は言う。ジンバブエ出身のマバウディ教授は、同大学の衛生熱帯医学大学院で気候変動、食料システム、保健学を教えている。
今、問われているのは、研究者、政府、そしてムトゥアのような農家が協力し、これらの作物を家庭の食卓に載せることができるかどうかである。それによって、気候変動がどのような影響を及ぼそうとも、アフリカのあらゆる階層の人々に対し、繁栄に必要なエネルギーと栄養をもたらすことが求められているのだ。
新世界中毒
数千年前にメキシコ中部で初めて栽培化されたトウモロコシに対するアフリカの熱中が始まったのは、「コロンブス交換」として知られる時代にまで遡る。この時期、植物、動物、金属、病気、そして人(特に奴隷にされたアフリカ人)の大西洋を横断する流れが、世界経済の形を劇的に変えた。豆類、ジャガイモ、キャッサバといった他の新世界の食品とともに1500年以降にアフリカにもたらされたトウモロコシは、キビやソルガムなどの土着穀物よりもおいしく、栽培にかかる労働力が少なくて済み、適切な条件下ではカロリー収量を大幅に増やすことができた。トウモロコシはアフリカ全土にすばやく広がったが、欧州の列強諸国が19世紀後半にこの大陸の大部分を分割して植民地化するまでは、支配的な地位を占めるようになることはなかった。最も普及が進んだのは、白人入植者が多いアフリカ南部とケニアだった。しばしばアフリカ人から土地を奪い取り、耕作していた主に英国人の農民たちが、新しい品種のトウモロコシを導入し始めたのだ。このトウモロコシは16世紀以来現地で栽培されてきた在来種の穀物やトウモロコシ類よりも収穫量が多く、栄養価は低いものの機械を使った製粉により適していた。
新たな市場経済への参加を熱望するアフリカの農民たちが、それに追随した。そして1960年代に、さらなる収穫量を約束するハイブリッド種が登場すると、トウモロコシへの熱は一層加速していった。1990年までには、マラウイとザンビアで人々が消費する全カロリーの半分以上をトウモロコシが占めるようになり、他のアフリカ諸国でも20%以上のカロリーがこの穀物から摂取されるようになった。今日でもトウモロコシは、粉を茹でてネバネバのペースト状にしたものや、粒を豆、トマト、少量の塩と混ぜ合わせたもの、団子状にして発酵させ、蒸して皮の中に包んだものなど、さまざまな形で食べられている。農家のトウモロコシ代替作物導入を支援するケニアの団体「アフリカ・ハーベスト」のフローレンス・ワンブグCEOによれば、トウモロコシは文化的な重要性から、失敗することが多い土地でも栽培にこだわる農家が多いという。 「人々はトウモロコシを植え、何も収穫できなくても、また次のシーズンにトウモロコシを植えます。その考え方を変えるのは簡単ではありません」(ワンブグCEO)。
トウモロコシとアフリカの相性は決して完璧だったわけではない。トウモロコシは栄養豊富な土壌と、特定の時期に十分な量の水を必要とし、育てるのが難しいことで知られている。アフリカの土壌の多くは、窒素やリンといった重要な成分がもともと不足している。ハイブリッド種のトウモロコシを育てるには肥料が必要で、そのために政府から助成金が出ることも多かった。しかしその肥料が、時間とともに土壌をさらに消耗させてしまった。アフリカの居住地域の大部分は乾燥または半乾燥地帯であり、サハラ砂漠以南の農地の80%は、小規模な農家が耕す10ヘクタール以下の区画で占められている。そのような農地での灌漑は、空間的に非現実的であり、経済的にも意 …