2月、総合格闘技の解説者でポッドキャスターのジョー・ローガンが、「パーティー・ドラッグ」が「エイズ(後天性免疫不全症候群)の重要な要因」だという事実に反する発言をしたとき、数百万人がその発言を聞いていた。ローガンが司会を務めるポッドキャスト『ジョー・ローガン・エクスペリエンス(The Joe Rogan Experience)』のゲスト、ブレット・ワインスタインもローガンの意見に同意した。ワインスタインは元エバーグリーン州立大学の進化生物学教授で、反体制派のポッドキャスターに転身した人物だ。エイズはHIV(ヒト免疫不全ウイルス)が原因ではないという「エビデンス」は、「驚くほど説得力がある」とワインスタイン元教授は述べた。
同番組の中でローガンは、エイズの治療に使われた最初期の薬であるAZT(アジドチミジン、別名ジドブジン)は、エイズそのものよりも「早く」人々を死に至らしめたとも主張した。この考え方も広く繰り返されているが、同様に真実ではない。
世界最大のポッドキャスト視聴者層が耳を傾けている中、この2人は危険かつ誤った考え方を広めていた。これらの主張は、何十年も前に否定され、徹底的に反証されたものである。
しかし、それはローガンとワインスタイン元教授だけではなかった。その数カ月後、NFLのMVPを4回受賞しているニューヨーク・ジェッツのクォーターバック、アーロン・ロジャースが、米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のトップを38年間務めたアンソニー・ファウチが、個人的な利益のため、そしてAZTを広めるために、エイズ危機に対する政府の対応を画策したと主張した。ロジャースもAZTは「人を死に至らしめる」と評している。ロジャースが話したのは陰謀論者となった元柔術家がホストを務めるポッドキャストで、ローガンの番組より視聴者はずっと少なかったものの、インタビュー映像のクリップはX(旧ツイッター)で再シェアされ、これまでに1300万回以上再生されている。
ロジャースは、ロバート・F・ケネディ・ジュニアの2021年の著書『人類を裏切った男(The Real Anthony Fauci )』(2023年、経営科学出版刊)に書かれている主張を繰り返した。この書籍は、反ワクチン活動家であるケネディが、大統領選挙に出馬し、当選の望みは薄いものの無視できない存在感を示している中で、再び注目を集めている(日本版注:ケネディは8月下旬に大統領選からの撤退を表明)。エイズと新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックを自身の目的のために利用したマキャベリストとして高齢の免疫学者であるアンソニー・ファウチ元所長を描いたこの書籍は、さまざまなフォーマットで提供され、合計130万部が売れたという。
「このような(誤った)情報を耳にすると、それが広まらないことを願うばかりです」。コネチカット大学の心理学教授で、『エイズを弄ぶ人々 疑似科学と陰謀説が招いた人類の悲劇(Denying AIDS: Conspiracy Theories, Pseudoscience, and Human Tragedy)』(2011年、化学同人刊)の著者であるセス・カリッチマンは話す。
しかし、それはすでに広まってしまっている。こうしたコメントなどが、小規模ではあるが明らかなエイズ否認主義の復活につながっているのだ。エイズ否認主義とは、エイズの原因はHIVではない、あるいはHIVそのものが存在しないと主張する誤った考え方の集合である。
エイズ否認主義は、1980年代から90年代にかけて、無関係な分野の科学者たちや、科学に関係する多くの人々、そして自称調査ジャーナリストたちによって推進された考え方だ。しかし、エイズ否認主義者たちの主張に反するエビデンスが次々と登場し、 HIV感染者やエイズ患者が効果的な新しい治療法のおかげで長生きするようになるにつれて、エイズ否認主義者の主張は支持されなくなった。
少なくとも、新型コロナウイルスが登場するまでは。
パンデミック後、公衆衛生の専門家や機関に対する新たな疑念が、長い間目立たなくなっていた考え方に新たな息吹をもたらしている。そして、その影響は単にWebの片隅に留まるものではない。ネット上で急速に広がる議論は数百万人もの人々の目に触れている。そして、個々の患者を危険にさらす可能性がある。懸念されているのは、エイズ否認主義が新型コロナウイルス否認主義と同じように、再び広まるかもしれないことだ。つまり、人々がエイズを政治的に利用し、最も効果的でエビデンスに基づいた治療法を疑問視し、過激な政治家たちにこれらの見解を政策の基礎として採用するよう促すことだ。そしてこの動きがこのまま続けば、現代の医療と疾病予防の基盤を支えている細菌やウイルスに関する根幹の知識を脅かすことになりかねない。非常にタイミングが悪いときに、国民に危険な混乱を引き起こしてしまう可能性があるのだ。
ローガン、ケネディ、ロジャースの3人は、HIVとエイズに関する誤った情報を広める前に、新型コロナウイルスの起源に関するフリンジ理論(境界科学とも言われ、一般的な理論や主流の理論から大きく逸脱した考え方)を唱え、ワクチンや社会的距離の確保、マスクといった基本的な公衆衛生対策に声を大にして疑問を呈していた。この3人はまた、本来は抗寄生虫薬であるイベルメクチンが、巨大製薬企業の策略によって新型コロナウイルスの治療薬あるいは予防薬として意図的に米国民に隠されているという誤った考え方を広めている。
「新型コロナウイルス否認主義者がエイズ否認主義者になっています」。感染症疫学者でケント州立大学公衆衛生学部教授のタラ・スミスは話す。同教授は、病気と公衆衛生に関する陰謀的なナラティブ(物語)を調査している人物だ。同教授は初めに、新型コロナウイルスへの懐疑に駆られたソーシャルメディア・グループで彼らが現れるのを見たという。そして「新型コロナウイルスが存在しないのなら、他の病気や問題についても嘘をつかれているのではないか?」といった疑問を人々が口にしているのを目にした。
新型コロナウイルスのパンデミックは、特にそのような疑念を抱かせやすい土壌があったとカリッチマン教授は語る。理由はこうだ。「HIVとは異なり、新型コロナウイルスはあらゆる人に影響を及ぼしましたし、それをめぐる政策決定も、すべての人に影響がありました」。
「新型コロナウイルス現象(パンデミック自体ではなく、パンデミックをめぐる現象)は、エイズ否認主義者が再浮上するきっかけを作りました」とカリッチマン教授は付け加える。エイズの原因は医薬品や娯楽用ドラッグであるという考え方を最初に広めた、今では悪名高いバークレーの生物学者、ピーター・デュースバーグや、独立ジャーナリストのセリア・ファーバー、研究者のレベッカ・V・カルショーのようなエイズ否認主義者たちは、HIVとエイズに関する「公式な説」をナラティブと見なして批判的な文章を書いている(ファーバーは本誌に対し、彼女自身は「否認主義」ではなく「エイズ異論者」という言葉を使っていると語り「『否認主義』は宗教的で敵意のある言葉です」と述べている)。
公衆衛生機関に対する新たな懐疑に加え、復活を遂げたエイズ否認主義者の活動は、初めて彼らが登場した時代にはなかった技術的なツールによってさらに加速している。X、サブスタック(Substack)、アマゾン、スポティファイのような非常に多くの人々が利用しているプラットフォームだけでなく、ランブル(Rumble)、ギャブ(Gab)、テレグラム(Telegram)のような誤った医療情報に関するモデレーション・ポリシーを持たない新しいプラットフォームもある。
例えば、スポティファイは、ローガンの言動を抑制したり、調整したりすることをほとんど拒否している一方で、驚くような大金を支払っている。同社は、ローガンとワインスタイン元教授がエイズに関する誤った発言をする数週間前の2月に、ローガンと2億5000万ドルの更新契約を結んでいるのだ。一方、アマゾンは現在、デュースバーグの1996年の絶版本『Inventing the AIDS Virus(エイズウイルスの創造)』(未邦訳)をオーディオブックのオーディブル(Audible)プログラムのトライアルで無料提供しており、カルショーの3冊の書籍もオーディブルやキンドル・アンリミテッド(Kindle Unlimited)のトライアルで無料で入手できる。一方、ジャーナリストのファーバーには2万8000人以上のフォロワーを有するサブスタックがある。
(スポティファイ、サブスタック、ランブル、テレグラムはコメント要請に応じず、メタとアマゾンはコメント要請の受領を確認したが質問には答えず、Xの広報室からは自動返信だけだった。ギャブの広報アドレスに送ったメールは、配信不能として返送された)。
現在のところ、このエイズ否認主義の波はかつての運動のような広がりや影響力はないものの、エイズ患者だけでなく一般市民にも深刻な影響を与える可能性がある。もしこのような主張が、特に選挙で選ばれた人々の間で十分に注目を得られれば、エイズの研究や治療への資金援助が危うくなる可能性がある。
公衆衛生の研究者は、1990年代から2000年代初頭にかけて、南アフリカでエイズ否認が公式政策となったことに、いまだに悩まされている。ある分析によると、2000〜2005年のわずかな間に、南アフリカ政府の誤った公衆衛生政策の結果として30万人以上が早死にした。個人レベルでも、HIV感染者が治療を受けたり、薬を飲んだりコンドームを使ったりしてこのウイルスの拡散を防ごうとする意欲が失われてしまえば、壊滅的な結果を招きかねない。2010年のある研究では、HIV感染者の間で否認主義者の主張が信じられたことが、投薬拒否、入院やHIV関連症状、検出可能なウイルス量の増加など、健康状態の悪化と関連していることが示されている。
とりわけ、この特定の誤った医療情報の復活は、テック・プラットフォームによって公衆衛生システムに対する不信感を強めることが可能であると示す、もう1つの厄介な兆候だ。テクノロジーに精通した否認主義者による同じ方法が、より広範な「健康の自由」の領域ですでに展開されている。麻疹のような他の深刻な病気をめぐる混乱と疑念を生み出し、ウイルス科学に関するより基本的な主張に挑むのだ。つまり、ウイルスは全く存在しない、あるいは、ウイルスは無害であり病気を引き起こすことはないとの主張である(すべてのウイルスはデマであるという考え方に特化したギャブのあるアカウントには、3000人以上のフォロワーがいる)。
スミス教授は、「現在、すべての公衆衛生機関に対する信頼という点で、良い状況にはありません」と述べている。
混乱につけ込む
エイズ否認主義者と新型コロナウイルス否認主義者が、政府の科学に反抗し、似たような運動を連動して作り上げることができた理由の1つは、2つのウイルスの初期流行時の状況が酷似していたからだ。混乱と謎と懐疑に満ちていたのである。
1981年、ジェームス・カランは、当時はまだ新しい病気であったエイズの最初の5症例を調査するタスクフォースの一員だった。「エイズの原因については多くの説がありました」とカランは言う。現在はエモリー大学ロリンス公衆衛生大学院の名誉学長を務める疫学者のカランは、かつて米国疾病予防管理センター(CDC)に25年間勤務し、最終的には公衆衛生局長官補佐を務めた。同名誉学長と同僚たちは皆、以前にゲイの男性や薬物を注射する人々が罹患する性感染症を研究していた。このような背景から、同名誉学長たち研究者はエイズの初期パターンを「性行為によって感染する可能性が高いことを示している」と考えた。
誰もが同意したわけではなかった、とカラン名誉学長は語る。「ポッパー(Poppers)などの(娯楽目的で吸入する)薬物、精液の蓄積、環境的要因を考えた人もいました。これらの中には、それぞれの人々のバックボーンから生じたものもあれば、新種のウイルスかもしれないという事実を単純に否定したことから生じたものもあります」。
エイ …