ハイニコイェが通話に「同意する」をクリックすると、しゃがれた声の若い女性がハウサ語で挨拶してきた。ハウサ語は西アフリカのサヘル地域で用いられる言語だ。新しく3頭の牛を飼い始めた彼女には知りたいことがあった。牛のエサが少なくなる乾季を、どのように乗り切るか助言がほしかったのだ。
ハイニコイェは、二十代の農業の専門家だ。初めて歩き出したときからずっと牧畜をしてきた。サヘル地域の人々の言葉を借りれば、「動物を追いかけてきた」のだ。ハイニコイェはノートPCにあるソフトウェアを起動し、質問をした女性のニジェール南部にある村をクリックする。北部の砂漠と南部のサバンナを分ける険しい丘や干上がった渓谷を、こぶのある牛(コブウシ)が歩き回っている土地だ。ハイニコイェは質問をした女性から最も近くの水のある井戸の場所を教え、動物にピーナッツとササゲの葉を与えてはどうかと提案した。どちらも安くて栄養価の高い食料源であり、ハイニコイェが見ている画面上で現在豊富にあることが確認できたからだ。数分後に通話を終了すると、ハイニコイェは次の呼び出し音が鳴るのを待つ。
西アフリカの牧畜民や農家を支援するガルバル(Garbal:ホスト組織は国際NGOのSNV)のコールセンターでは、ハイニコイェのような問い合わせ担当職員が、週7日体制で地域に特化したデータをカスタマイズして顧客に提供するという一見シンプルなサービスを提供している。伝えるデータは、衛星観測による天気予報、さまざまな放牧ルート沿いの水位や植生状況のレポートのほか、山火事、過放牧エリア、近隣の市場価格、獣医施設に関する実用的な最新情報などだ。だが、そのサービスは驚くほど革新的でもある。そして紛争から気候変動まで、相互に関連する問題の影響に苦しむサヘル地域の牧畜民にとっては重要な支援だ。このプロジェクトの支援者やプロジェクトに関わっている牧畜民は、長期的にはガルバルのサービスによって地域全体の経済の生命線として機能する古来の文化も守れるかもしれないと期待する。
ニジェールの首都ニアメにあるガルバルのオフィスは、インドの通信会社エアテル(Airtel)の現地本社と共有するコールセンターの2階の一部をつややかな赤色の間仕切りで仕切った空間にひっそりとたたずんでいる。私が昨年初めに訪れたときは、開設からまだ数週間だった。建物の入り口には紫紅色のブーゲンビリアが咲き乱れ、砂色の風景と周囲の朽ちかけた工業地帯に漂う下水の臭いから解放された気分になる。その1つ隣の区画には以前、フランスの多国籍企業「トタル(Total)」のガソリンスタンドがあったが、麻薬カルテルが資金洗浄のために買い取って看板を撤去して以来、何の看板も出していないままだ。この区域を横切るのは、1974年のクーデターを記念する大通りだ。クーデターは、直近の2023年7月に起きたものも含めて1974年からの50年間に4回起きている。大通りの真ん中では、2016年にフランスの右派の億万長者が「開通」させた、数十キロメートルにわたる鉄道の線路が腐食しかかっている。数十年前から、ポスト植民地主義のエリートたちは開発を約束しながら、アフリカでも特に貧しいこの国を略奪してきた。
近年では、AI(人工知能)や予測分析などの技術のトレンドを売り物にするさまざまな欧米企業が、この地域の無数の問題を解決すると言いながら一斉に乗り込んできている。しかし、ガルバルは別のやり方を目指している。「garbal(ガルバル)」は、サヘル地域の牧畜民の大半を占めるフラニ族の言語において「家畜市場」を意味する。ガルバルは米国人データ科学者、アレックス・オレンスタイン(37歳)が開発・導入した手法や戦略を基に、家畜と土地で生計を立てているニジェール人の80%を、可能な限りシンプルで実用的なテクノロジーで効果的に支援することを目的としている。
「『新しいテクノロジーをどう活用できるか』を考えるのは同じです。ただ、そのテクノロジーはすでに存在していて、より意図的に応用する必要があるという違いがあります」とオレンスタインは話し、援助を申し出ている欧米企業が切望する派手で複雑な解決策は見当違いであることが多いと主張する。「私たちの大きな勝利はすべて、ごく基本的なものをうまく利用した結果です」。
ガルバルの事業は一言で表せばデータで、決定的に重要なのは、誰がそのデータにアクセスできるかということだ。近年、静止衛星と牧畜民の両方からのデータ収集の進歩により、土地被覆の量と質、水の供給可能性、降雨予報、家畜の集中度などに関する情報が豊富に得られるようになった。その結果生まれる予測のブレークスルーは、理論的には、人々が干ばつをはじめとする危機を予知し、家畜を守る上で役立つ可能性がある。ただ、過去10年間、牧畜民からデータを抽出することが数多くの取り組みの中心だったが、オレンスタインはそれだけでは十分ではないと考えている。データを牧畜民に向けて提供しなければならない。
この取り組みの緊急性は増すばかりだ。サヘル地域の牧畜民は、存亡の危機に直面している。その危機は、社会構造そのものをすでに崩壊させ始めている。
牧畜は、誉れもリスクも高い、人類のきわめて基本的な生活様式の1つであり、サヘル地域で生き抜くための柱である。例えば、アフリカ大陸全土においてジューシーなステーキで有名なニジェールでは、畜産業が農業のGDPの40%を占めている。移動型の牧畜民は土地を所有することがほとんどないため、牛の70〜90%を季節性の牧草地間で放牧している。このような牧畜民は昔から地域社会と協調しながら共有資源に依存してきた。
だが、その従来のやり方はほぼ不可能になりつつある。この危機は、気候の変化にも起因している。砂漠が南下し、乾季が長くなり、雨が降る間隔が短く不規則になるにつれ、水や牧草地などの再生可能資源はますます不安定になっている。このひずみは政治も関係している。政府支持勢力と、ボコ・ハラム、アルカイダ、ISISとつながりを持つ地域のグループとの間で熾烈な戦いが繰り返され、主な交通機関のハブ、牛が自由に移動しやすい自然な通り道、湿地帯が戦場に変わってしまったのだ。さらに悪いことに、農業従事者を優遇する土地利用政策をとる国家機関では、牧畜民の発言力は小さくなりがちだ。一方、牧畜民はジハード主義のグループに参加する人数が過剰になる傾向がある。ジハード主義のグループが、牧畜民の共同体から新兵を集めるために、彼らが排除されている現状を訴えるからだ。牧畜民の子どもたちは学校教育を受けないのが普通で、このような社会的・経済的な不利益や隔離はさらに深刻化している。
その結果、自由な移動に依存しているサヘル地域の牧畜民数千万人は、ますます囲い込まれつつある。問題を起こすよそ者としてスケープゴートにされるフラニ族の牧畜民の状況はとりわけ悲惨だ。したがって、多面的な危機に対処すれば、牧畜民を助けるだけでなく、アフリカ最悪の紛争の解決しがたい要因を取り除くことにもつながる。
「牧畜民が土地と水の権利を持てるように保証し、対話を通じてそれらへのアクセスを確保することは、サヘル地域の紛争を解決する上で重要な点です」。アムステルダム大学とナイジェリアのモディボ・アダマ大学の研究者アダム・ヒガジは言う。ヒガジが2018年に国連の西アフリカ事務所に提出した牧畜と紛争に関する報告書は、この分野における重要な資料であり続けている。
目下の問題は、ガルバルやいくつかのテクノロジー主導のプロジェクトが、不安が増す牧畜民の生活を安定させるという目標を実際に果たせるかどうかだ。
アリウ・サンバ・バが率いる地域の牧畜業者団体は、オレンスタインと協力し、セネガルの牧畜民にデータを提供している。サンバ・バは楽観的で、その大きな理由はオレンスタインが従来の介入方法をひっくり返したことだと言う。「オレンスタインは衛星の目だけでなく、牧畜民の目でも見ている、と私たちは話しています」。
当局が当てにならないとき
サヘル地域は、セネガルの大西洋岸からアフリカを横断して紅海まで広がり、北はサハラ砂漠、南は緑豊かな森林とサバンナに囲まれている。サヘル地域の大部分は過去数十年間に干ばつと内乱のために荒廃したが、セネガルのはずれにある牧畜地区フェルロは、他の地区の牧畜民が必死で求めているような空間が今も残っている。政策に取り込まれ過ぎずに維持され、規制され過ぎずに保護されている空間だ。ここにも気候変動は及んでいるが、紛争はない。
昨年9月、私はニュージャージー州とほぼ同じ広さのフェルロ地区の奥深くまで車で行き、サリフ・ソウという名のフラニ族の牧畜民に会った。
ちょうど雨季の真っ最中で、しかもサヘル地域の雨季は壮大だった。私が見たその環境は奇跡であり幻影だった。砂漠の花が一斉に咲き乱れたのだ。背が高く骨ばったフラニ族の牧畜民は、まるで緑の草と青々と茂った木々が無限に広がっているように見える場所で子ヒツジ、ヤギ、牛、ラクダの群れに追いつこうと奮闘していた。フェルロ地区には、まめに手入れされている井戸、水がたっぷり溜まった季節性の池、きっちり区切られた牧畜民の通路がたくさんある。国内最大の家畜卸売市場へもロバの荷車でわずか数時間である。舗装道路も商業用農地もなく、どこに何百キロ進もうと過激派のリクルーターを見かけることはなかった。
牧畜は決して楽な仕事ではない。ソウは、「牧畜民の生活は厳しいです」と言いながら、甘いお茶と、新鮮な牛乳が入ったひょうたんで自身の敷地へ迎え入れてくれた。「一日たりとも休める日はありません」。
数カ月も経てば雨は …