1977年、レイ・イームズとチャールズ・イームズは、人類の知識の限界を超えた、わずか9分間の驚くべき映画を公開した。『Powers of Ten(パワーズ・オブ・テン)』というこの映画は、1平方メートル(㎡)のフレーム内でピクニック毛布にくるまった男性の俯瞰ショットから始まる。カメラはズームアウトしていく。10メートル、100メートル、1キロメートル、そして最後は当時観測可能だった宇宙の果てとして知られた10の24乗メートルまで。その最も遠い視点から、カメラはまた戻って来る。再びズームインしたカメラは銀河を飛び越え、ピクニックシーンに戻り、そこから男性の皮膚に入り込み、組織、細胞、DNA、分子、原子、そして最後に10のマイナス14乗メートルである原子核へ、次々により小さな単位へと移行し続けていく。そして、「1つの陽子がこのシーンを埋め尽くしたこの時点が、現在の理解の限界到達点です」という滑らかなナレーションでこの旅は終わりを告げる。
それから半世紀間、素粒子物理学者は「パワーズ・オブ・テン」の最終地点となった素粒子の世界を探求し続けた。現在、この世界的な取り組みの中心となっているのは欧州合同原子核研究機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)だ。これはスイスとフランスの国境をまたいで設置された、全周17マイル(27キロメートル)の地下リングだ。そこでは何百兆もの陽子が強力な磁石に誘導され、ほぼ光速で田園地帯の地下を周回している。時計回りの陽子が反時計回りの陽子に衝突すると、物質はエネルギーへと変換され、陽子は電子、光子、そして通常とは異なる性質をもつ亜原子粒子へと変化していく。新しく生成された粒子は、放射状に外に向けて爆発し、検出器がこれを検知する。
2012年、研究者はこのLHCのデータから「ヒッグス粒子」と呼ばれる粒子を発見した。その過程において研究者は、「我々の体内にあるあらゆる陽子や中性子を構成している基本粒子は、どこから質量を得るのか」という長年の質問に答えた。半世紀前、理論家たちはヒッグス粒子と、それに伴う「目に見えないが空間を覆っている、ヒッグス粒子と相互作用して粒子に質量を与えている場」を注意深く探していた。ついにヒッグス粒子が発見された時、科学者たちはシャンパンで祝杯をあげた。その後すぐに、ヒッグス粒子の存在を予測した2人の物理学者はノーベル賞を受賞した。
しかし、ヒッグス粒子発見の興奮から10年以上が経った今、宇宙の基本構成要素についてはまだ答えの出ない疑問が残っており、すっきりしないままだ。
中でも根強い疑問は、銀河を結び付け、宇宙全体の質量の27%を占めるという謎の「暗黒物質」の正体だろう。暗黒物質が存在することは、その重力効果が天文学的に観測されていることからも判明している。しかし、ヒッグス粒子の発見以来、LHCの衝突エネルギーはほぼ倍増し、収集可能データ量は5倍に増えたにもかかわらず、暗黒物質や他の新しい粒子は全く発見されていない。素粒子物理学は「危機的状況」にあるという物理学者もいる。ただし、その状況に関する認識はさまざまだ。「この分野は危機的状況にはない」と主張する一派もあれば、「確かに危機的状況にあるが、それは良い種類の危機だ」と主張する一派もある。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校の理論家であるヨニ・カーン助教授は、「素粒子現象学者コミュニティは深刻な危機に陥っていますが、彼らはそれを口に出すことを恐れています」と言う。
素粒子物理学者の不安は、一見すると内輪もめだと思われるかもしれない。しかし実際は、それは宇宙に関する問題であり、宇宙に関する研究を続けるにはどうしたらよいのかという問題だ。この50年間の研究で、自然の法則に関する詳細は驚くほど明らかになり、さまざまな素粒子の発見が相次いだことで、物事の本質的な仕組みも判明してきた。しかし「ポスト・ヒッグス(ヒッグス粒子の発見後)」の現在、素粒子物理学者は「衝突型加速器で新たな粒子を発見、生成、研究する」という探求活動に行き詰まっている。「新しい物理学をどう探求すべきかという強力な指標がないのです」と、カーン助教授は言う。
危機の有無にかかわらず、研究者は新たな試みに挑戦している。検出器を再利用して変わった粒子を探したり、機械学習でデータからできるだけ多くの情報を得たり、まったく新しいタイプの衝突型加速器を計画したりしているのだ。物理学者が探し求めている「隠れた粒子」の発見は、多くの人々が予想した以上に困難であることが判明したが、探索が完了したわけではない。もっとクリエイティブな発想を自然から求められているだけなのだ。
ほぼ完成した理論
イームズ夫妻が70年代後半にパワーズ・オブ・テンを完成させた頃、素粒子物理学者はそれ以前の数十年間で発見された粒子の「集団」に秩序を与えようとしていた。粒子の種類やその動力学を列挙した枠組みのことを、素粒子物理学者はややそっけなく「標準モデル」と名付けた。
大まかに言えば、標準モデルは基本粒子をフェルミオン(フェルミ粒子)とボソン(ボーズ粒子)の2種類に分類している。フェルミオンは「物質レンガ」として機能する。たとえばアップクォークとダウンクオークと呼ばれる2種類のフェルミオンは、結合すると陽子と中性子になる。このような陽子と中性子が集まり、その周りを回る電子(または電子群)を見つけると、それは原子となる。
一方、ボソンはレンガとレンガの間の「モルタル」として機能する。ボソンは、電磁気学、放射性崩壊に関係する弱い力、原子核を結びつける強い力など、重力以外の基本的な力のすべてを担っている。あるフェルミオンと別のフェルミオンの間で力を伝達するには、メッセンジャーとして機能するボソンの存在が必要だ。たとえば、クォークは「グルーオン」と呼ばれるボソンをやり取りすることで強い引力を感じる。
標準モデル
標準モデルの枠組みは、4つの基本的な力のうち3つを統合し、バラバラだった「集団」をわずか17素粒子にまとめ上げた。
クォークはグルーオンによって結合される。それらはハドロンと呼ばれる複合粒子を形成し、その中で最も安定しているのは原子核の構成要素である陽子と中性子である。
レプトンは帯電していることもあれば中性であることもある。荷電レプトンは電子、ミューオン、タウであり、これらのそれぞれには、対応する中性ニュートリノが存在する。
ゲージ粒子は力を伝える。グルーオンは強い力を運ぶ。光子は電磁力を運ぶ。W ボソンと Z ボソンは、放射性プロセスに関与する弱い力を運ぶ。
ヒッグス粒子は、宇宙全体に浸透し、他の基本粒子に質量を与えるヒッグス場に関連する基本粒子である。
50年近く経った今も、この標準モデルは見事な成功を収めている。ストレステストでも、電子の磁気特性やZボソンの質量など、宇宙の基本的な特性を非常に高精度かつ正確に予測できる。今や、パワーズ・オブ・テンが中断した場所を優に通り過ぎ、10のマイナス20乗メートル、つまり陽子の約1万分の1の大きさにまで到達できるのだ。「10のマイナス20乗メートルの距離でも、世界がどう機能しているかを示す正しいモデルがあることは注目に値します。全く驚くべきことです」と、インディアナ州にあるノートルダム大学の理論家、セス・コーレン博士研究員は言う。
標準モデルは非常に正確だが、物理学者は同モデルが答えられない疑問をそれぞれ選び、追求している。たとえば、暗黒物質とは結局何なのか、初期宇宙では反物質と同量だったのになぜ物質が反物質を上回っているのか、重力は標準モデルの描く世界像の中でどこに当てはまるのか、などである。
長年にわたり、何千もの論文がこれらの未解決問題に対処するため、標準モデルの修正を提案してきた。これらの論文の大半は最近まで「超対称性理論(SUSY)」に依存してきた。SUSY(スージー)の概念下では、フェルミオンとボソンは互いに鏡像の関係にある。全てのフェルミオンには対応するボソンがあり、逆もまた然りだ。光子にはSUSY用語で 「フォティーノ」と呼ばれる超対称性粒子が存在し、電子にも 「セレクトロン 」が存在している。これらの粒子の質量が大きければ、十分に高いエネルギーで衝突して破片として残らない限りは、目に見えない「隠れた」物質となる。言い換えれば、このような重い超対称性粒子を生成するために、物理学者は …