この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
人間の体内は、血管などの管が迷路のように入り組んでおり、突破困難な障壁があちこちにある。このことは、医師にとっては大きな障壁となる。病気の原因が、視覚では確認しづらく、手が届きにくいところにあることもよくある。しかし、たくさんの超小型ロボットを体内に配備して、そのような作業を任せることができたらと想像してみてほしい。到達が難しい部位にある血栓を溶かしたり、ほぼ到達不可能な場所にある腫瘍に薬を運搬したり、さらには胚を着床に導いたりすることさえできるかもしれない。
読者の皆さんが今、おそらく考えていることはこのようなことだろう。医療分野で超小型ロボットを利用することについては何年も、もしかしたら何十年も、耳にしてきた。そして、いまだに実現していない。一体いつになったら医療用マイクロロボットが実用化されるのか。
チューリッヒ工科大学でロボット工学を研究するブラッドリー・ネルソン教授によれば、「もうすぐ」だ。実現の日は近い。そして、多くの重い病気の治療法に大きな変革をもたらす可能性がある。サイエンス誌に2023年12月7日付けで発表された展望論文の中で、ネルソン教授と共著者でチューリッヒ工科大学の教授を務めるサルバドール・パネは、このような超小型ロボットは薬を必要な場所に正確に届けるのに役立つとしている。そうすれば、毒性を最小限に抑えることができる。「したがって、投与量を増やすことができ、一部の病気の治療法を見直すことができるかもしれません」とネルソン教授は語る。
ネルソン教授はなぜ、このようなテクノロジーの実現が近いと楽観視しているのだろうか。超小型ロボットの中には、研究室からブタなどの大型動物での試験に移行しているものもある。体内を「ケーブルなどにつながれずに」移動できる医療用マイクロロボットの開発に取り組んでいるスタートアップ企業が少なくとも4社ある。そのうちの1社のバイオノート(Bionaut)は、その治療法を第1相臨床試験に進めるため、今年初めに4300万ドルを調達した。同社はこの資金を使って、脳腫瘍の一種である神経膠腫(グリオーマ)に薬剤を運んだり、小児期の稀な疾患「ダンディ・ウォーカー症候群」の症状である脳内髄液の流れを阻害する嚢胞に穴をあけるよう設計された鉛筆の先ほどの大きさのデバイスを開発する予定である。
「マイクロロボット」とは、1マイクロメートル(人間の髪の毛の直径の約100分の1)から数ミリの大きさのロボットの総称だ。1マイクロメートルより小さいロボットは「ナノロボット」と呼ぶ。響きが良いので「マイクロボット」と呼びたいかもしれないが、それは「どちらかというとハリウッド的な用語」だとネルソン教授は説明する。
マイクロロボットは、人工材料、生体材料(バイオロジカル・ロボットまたはバイオボットと呼ばれる)、あるいはその両方(バイオハイブリッド・ロボット)で構成される。 ネルソン教授が開発中のものも含め、その多くは磁気を利用して動く。
自力で動けるものもある。タフツ大学とハーバード大学の研究チームは11月30日、気管細胞をバイオボットに変えたと発表した。人間の気管の内側には、細菌やゴミを捕捉するために波打つように動く繊毛が生えている。同研究チームは、繊毛を外側に持つオルガノイドを形成するよう気管細胞に促した。その形と繊毛の長さによって、バイオボットはまっすぐ進んだり、円を描いたり、くねくねと小刻みに動いたりできる。さらに驚くべきことに、研究チームが培養皿の中で成長する生きたニューロンの層に金属棒をこすりつけたところ、バイオボットがその部位に群がり、新しいニューロンの成長を促した。この研究を率いたタフツ大学のエンジニアであるマイケル・レヴィン教授はプレスリリースの中で、「正常な患者の気管細胞が、DNAを改変することなく自ら移動し、損傷部位全体でニューロンの成長を促進できるというのは、非常に興味深いことであり、まったく予想外のことでした」と述べている。「私たちは現在、この治癒メカニズムがどのように機能するかを調べており、バイオボットがほかにできることを探っています」。
このようなマイクロロボットの潜在的有用性は非常に大きい。「多くの人が血管疾患について考えています」とネルソン教授は言う。マイクロロボットを体内に注入して脳内の血栓を溶かし、脳梗塞患者を治療できる可能性がある。あるいは、脳の血管の弱い部分を補強して、血管の破裂を防ぐこともできる。特定の場所に薬を送り届けることもできる。さらにもっと変わった用途もある。ペンシルベニア大学の研究者は、いつか歯ブラシに取って代わると彼らが期待するロボットを開発した。
精子を模倣する、あるいは精子を材料としたロボットの開発に取り組んでいる研究チームもある。たとえば、回転磁場の助けを借りて泳ぐ、鉄ナノ粒子で覆われた牛の精子「IRONSperm」が開発された。これを使うことで、体内の狙った部位に薬を運搬できるようになると期待されている。 ドイツのある研究チームは、泳ぐ力の弱い精子を卵子に送り届けることで受精を助けるマイクロロボットの開発に取り組んでいる。そのシステムは、卵子の硬いコーティングを破壊する薬剤を放出する機能まで持つ。また、同研究チームは最近、マイクロロボットを体外受精(IVF)に利用する方法についても説明している。一般的なIVFの手順では、体外で卵子を受精させ、培養して胚に育った受精卵を子宮に移植する。しかし、移植の手技は失敗することが多い。そこで、できた胚をマイクロロボットが卵管や子宮内膜に送り届けることができれば、より自然な条件下で胚を発育させることができ、着床率が向上するかもしれない。この研究では、磁場によって誘導されるマイクロロボットが、胚をつかんだり運んだりし、胚を送り届けた後、自然分解することが想定されている。
しかし、このようなマイクロロボットを人間に使用するには、乗り越えなければならない大きなハードルがいくつかある。その中には技術的なものもある。「非常に微小なシステムです」と語るのは、カーネギー・メロン大学でバイオハイブリッドロボットを開発している機械エンジニアのヴィクトリア・ウェブスター=ウッド准教授だ。血液のような体液の粘性は比較的高い。「したがって、血液の流れが非常に速い場合、ロボットが反対方向に進むのは困難です」とウェブスター=ウッド准教授は指摘する。
規制面でのハードルもある。マイクロロボットは医療機器に分類されるが、医薬品を運ぶこともある。「薬物・機器コンビネーション製品(drug-device combination)と呼ばれるものに該当します。運搬される薬物は一般的なものかもしれませんが、その濃度は通常とは大きく異なることが期待されます」。つまり、規制当局が追加試験を要求するということだ。
長年この分野に携わってきたウェブスター=ウッド准教授は、マイクロロボットがようやく注目を浴びるようになったことに興奮している。そして、「この10年間に限っても、マイクロロボットは大きく成長しました」という。「実際にできることは、もっとたくさんあると思います」。
MITテクノロジーレビューの関連記事
本誌ではマイクロロボットと医療ロボットについて、長年取り上げてきた。遡ること2011年、クリスティーナ・グリファンティーニは、当時中心的な課題のひとつであった、そのようなロボットの制御方法について取り上げた(リンク先は米国版)。
今年初めには、本誌のアントニオ・レガラード編集者が、ロボットを利用して妊娠した最初の赤ちゃんと、IVFの自動化に取り組むスタートアップ企業についての記事をまとめた。このロボットはマイクロロボットではない。そして、その目的は主に商業的規模の拡大だった。起業家らによると、「IVF自動化の主な目的は単純です。より多くの赤ちゃんを作ることです」。
バイオハイブリッド・ロボットを製造するビクトリア・ウェブスター・ウッド准教授と、ミリスケールの医療ロボットを製造するレニー・チャオは、ともに今年のMITテクノロジーレビューの「35歳未満のイノベーター」の1人に選ばれた。
◆
CRISPR療法が米国で初承認、その背景に迫る
米国食品医薬品局(FDA)は、鎌状赤血球症を治療する世界初のゲノム編集治療「Casgevy(キャスジェビー)」の販売を承認した(キャスジェビーは先月、英国ですでに承認されている)。本誌のアントニオ・レガラード編集者はこの記事で、治療法の背後にある科学を深く掘り下げ、鎌状赤血球がなぜCRISPR(クリスパー)を利用した治療法の華々しいデビューの理想的な標的となったかを説明している。
医学・生物工学関連の注目ニュース
脳インプラントで、中等度から重度の脳損傷を負った5人の認知テストの成績が15%~52%向上した。この結果をより大規模な研究でも維持できれば、脳への刺激が外傷性脳損傷の最初の治療法になるかもしれない。(ニューヨーク・タイムズ紙)
FDAは、キメラ抗原受容体導入T細胞療法(CAR-T)とがんとの関連について調査中であると発表した。専門家によると、CAR-Tが二次的ながんを引き起こす可能性があるとしても、それはまれなケースだという。(スタット)
獣医師たちは、米国で何百頭もの犬が罹患している謎の呼吸器疾患の原因を突き止めようとしている。(ワイアード)
中国の子どもたちの呼吸器疾患の急増は、一部の米共和党議員が主張しているような新たな病原体によるものではなく、長期にわたるロックダウン(都市封鎖)が招いた結果である可能性が高い。(ニューヨーク・タイムズ紙)