この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
秋だ。木々の葉の色が変わりつつあり、空気は澄んでいる。そして、米国疾病予防管理センター(CDC)によると、RSウイルス(RSV、呼吸器合胞体ウイルス)感染症が増加している。
今年は、子どもたちをRSVから守るための手段が、これまでよりも増えるはずだった。その中には、赤ちゃんや抵抗力のない幼児をこのウイルスの最悪の影響から守るため、予防的に投与される新たな注射薬「ニルセビマブ」も含まれていた。しかし現在、まさに発症率が上昇しているときに、この薬の供給が不足している。CDCは10月23日に、小児科医に対して警告を発し、ニルセビマブの使用を制限して、6カ月未満の赤ちゃんと、RSV感染症の重症化リスクが最も高い基礎疾患を抱える子ども向けに確保しておくように勧告した。
この状況は、親にとっても小児科医にとってもフラストレーションが溜まる。「ニルセビマブの導入には多くの障壁が予想されることは分かっていましたし、小児科医はそのような障壁を克服するため懸命に努力してきました。しかし、製薬会社からは供給が障壁の1つになることはないと聞いており、安心していました」。米国小児科学会感染症委員会の委員長を務めるショーン・T・オリアリーは、同委員会のWebサイトに掲載された記事の中でこう述べている。
需要が予想以上に高かったと、アストラゼネカ(AstraZeneca)と提携してこの薬を開発・発売した企業サノフィ(Sanofi)の広報担当者、エヴァン・バーランドは言う。バーランドはさらに、「過去の小児予防接種薬の発売事例に沿った最もアグレッシブなシナリオに基づく」推定を、需要が上回ったと付け加えた。
しかし、そもそもなぜ需要と供給の間にこのようなズレがあったのだろうか? この種の予防薬の需要予測は比較的簡単なはずではないのか? 生まれた赤ちゃんの数と、生まれた時期はわかっている。
「普通とは異なる状況でした」と、米国医療システム薬剤師会(American Society of Health-System Pharmacists)で薬局実務・品質担当上級部長を務めるマイケル・ガニオは言う。ニルセビマブはこの種のものとしては初めての薬なので、比較対象となる良い基準値が存在しない。さらに、母親が出産前14日以内にワクチン接種を受けた場合、その赤ちゃんはこの薬を必要としないことも、計算にさらなる不確実性を加えている。
しかし、多少の不確実性があったとしても、需要が高くなるのはそれほど意外なことではなかったはずだ。RSVという名前は聞いたことがないかもしれないが、誰でもほぼ間違いなく感染したことがある。RSVは、秋から冬にかけて風邪のような症状を引き起こす、季節性ウイルスの1つだ。ほとんどの人は、うっとうしい鼻水、喉の痛み、咳、頭痛に煩わされる。しかし、赤ちゃんや高齢者にとっては、深刻な病気を引き起こす可能性がある。毎年、8万人もの5歳未満児がRSV感染症で入院し、推定100~300人の子どもが死亡している。
昨年秋にはRSV感染症患者が急増して病院をひっ迫させ、一部の州は非常事態宣言を出すことになった。そのため小児科医たちは、今年の秋の選択肢としてニルセビマブを用意しておくことを、特に強く望んでいた。8月にはCDCが、初めてRSVシーズンを迎える生後8カ月未満の乳児全員に対し、ニルセビマブの接種を推奨した。また、RSVによる重症化リスクが高い生後19カ月までの乳幼児にも、接種を受けることを勧めた。
ニルセビマブは注射薬だが、ワクチンではない。RSVシーズンが続く約5カ月間にわたって予防効果を発揮する、研究室で作られた抗体である。この抗体はウイルスと結合して細胞への感染を阻止し、重症化を抑制する。臨床試験では、プラセボとの比較で、RSVに関連する入院を80%、ICU(集中治療室)への入室を90%防いだ。
そのため、エミ・イセンは、今年3月に生まれた娘のニルセビマブ接種にとても期待していた。9月下旬に娘を診察に連れて行ったとき、イセンは小児科医にその話をした。その時、娘のイライザは生後6カ月になっており、保育園に通っていた。イセンは、娘が保育園でこのウイルスを拾ってくるかもしれないと心配していた。RSVは、イライザのような幼い子どもが感染すると特に重症化しやすい。気道が小さいためだ。気道が小さいと、少しの炎症でも呼吸が困難になる。
ところが、10月中旬にイセン家のかかりつけの小児科医がニルセビマブを注文しようとしたところ、まったく見つからなかった。「小児科医は夫にこう言いました。『在庫がなくて注文できません。どこにもないんです』」(イセン)。
サノフィは、ニルセビマブの納品済み数量や不足の規模、再入荷時期の開示を拒否した。現在のところサノフィは、体重11ポンド(約5キログラム)以上の赤ちゃん用である容量100ミリグラム(mg)の製品の新規注文を受け付けていない。同社の広報担当者のバーランドは50mgのものは在庫があると言うが、最も小さな赤ちゃんへ接種するために確保されている。サノフィによれば、この薬を製造しているアストラゼネカと協力して、供給量を増やす努力をしているという。しかし、モノクローナル抗体の製造は、生きた細胞で満たされたバイオリアクターを必要とする複雑なプロセスであり、製造量を増やすには時間がかかる。「臨床医や介護者は、この冬の供給が限定的であることを見込んでおく必要があります」と、米国医療システム薬剤師会のガニオは言う。
RSVから赤ちゃんを守る方法は他にもあるが、それらは誰にでも効果があるわけではない。妊娠している人は、「アブリスボ(Abrysvo)」と呼ばれる新しいワクチンを使って、妊娠32週から36週の間に予防接種を受けることができる。母親が自分で抗体を作り、それを新生児に渡すのである。しかし、この選択肢は、まだ生まれていない赤ちゃんにしか効果がない。
20年以上前から使用されているモノクローナル抗体である、パリビズマブの接種を試すこともできる。しかし、パリビズマブは、未熟児で生まれた赤ちゃんや、重篤なRSV感染症にかかりやすくなる他のリスク因子を持つ赤ちゃんにしか使えない。イライザの場合、その条件に当てはまらない。パリビズマブには他の欠点もある。5カ月間で5回接種する必要があり、価格も高価で、1回の接種に1000ドル以上かかる。ニルセビマブなら約500ドルで、接種は1回で済む。
イセンは娘をRSVから守るために何かしたいと考えているが、他に何ができるのかわからない。イライザのかかりつけの小児科医は、まだニルセビマブを確保できていない。近くの大きな医療機関にもなかった。そのため、イセンも多くの親と同じように、サプライチェーンが追いつくのを待つしかない。イライザがRSVのせいで深刻な病気にかかるリスクは低いが、可能性はゼロではない。イセンは、娘が不運な子どもの1人になって欲しくないと考えている。
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