この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
メッセンジャーRNA(mRNA)技術の研究で、新型コロナウイルス感染症ワクチンへの道を開いたことで極めて高い評価を受けた2人の科学者が先日、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。ペンシルベニア大学のカタリン・カリコ特任教授とドリュー・ワイスマン教授は、mRNAが炎症反応を引き起こすのを防ぐためにmRNAを調整する方法を発見した。2005年に初めて発表された彼らの発見は、何百万もの命を救ったワクチン接種戦略の一端を担った、モデルナとファイザー/バイオンテックによるmRNAワクチン開発の鍵となったのである。
2人がノーベル賞を受賞することに驚きはなかった。彼らは他にも名誉ある賞を受賞しており、ノーベル賞の受賞も近いと多くの人が予測していた(MITテクノロジーレビューはmRNAワクチンを、2021年の世界を変える10大技術の1つに選んでいる)。しかし、2人はまだ受賞のニュースを信じることができなかった。
「ケイティ(カタリン・カリコ特任教授)は朝の4時に、『トーマスから電話があった?』という謎めいたメッセージを私に送ってきました」。ワイスマン教授は、10月2日朝の記者会見でこう述べた。「私は彼女に『いや、トーマスって誰?』とメッセージを返しました。そうしたらケイティは、『ノーベル賞よ』と言ってきたのです」。ワイスマン教授はいたずらではないかと疑い、公式発表までは本当に受賞したことを完全には受け入れられなかったと語っている。
ほとんどのワクチンは、防御の対象となる病原体(病原体全体またはいくつかの重要な成分)を供給することによって、体の免疫システムを訓練する。しかし、mRNAワクチンの機序は少し異なる。mRNAワクチンは、体内の細胞がタンパク質に翻訳できる遺伝コードを提供する。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の場合、ワクチンにはウイルスの外表面から突き出ている「スパイクタンパク質」をコードするmRNAが含まれている。その後、体はそのタンパク質のコピーを生成し、免疫系がそれを認識することを学習するのだ。
ワクチンにmRNAを使用するというアイデアは何十年も前から存在していたが、科学者たちは早い段階で、大きな障害にぶつかっていた。本誌のアントニオ・レガラード編集者が、2021年のMITテクノロジーレビューのmRNAに関する特集で、この歴史の一部を詳しく解説している。研究者がマウスにmRNAを注射したところ、マウスは病気になってしまった。「マウスの毛並みは乱れました。体重も減り、走り回るのをやめてしまったのです」とワイスマン教授はレガラード編集者に語っている。そして投与量を増やすと、マウスが死んでしまうことが判明した。「mRNAは、使えないとすぐにわかりました」とワイスマン教授は語っている。
外来性のmRNAが体内に注入されると、体の免疫システムは脅威と認識し、炎症を引き起こす。カリコ特任教授とワイスマン教授は、遺伝暗号をわずかに調整することで、この問題をほぼ解消できることを発見した。2020年にパンデミックが始まったとき、科学者たちはすでにその手法を使って他の感染症に向けたmRNAワクチンを開発していたため、新型コロナウイルス感染症に転換することは比較的簡単だったのだ。
mRNAはどのような点で革新的なのか? ワクチンの製造が非常に簡単な点だ。ワクチンを製造する企業がこの秋に新型コロナウイルス感染症のワクチンを更新した時、新しいコードに交換するだけで済んだ。異なるコードに入れ替えることで、異なる病原体を標的にすることができるはずなのだ。
モデルナはすでに、RSウイルス(RSV:Respiratory Syncytial Virus)に対するmRNAワクチンの承認を規制当局に申請している。RSVは、風邪に似た症状を起こし、乳児や高齢者が感染すると重症化する恐れがある。モデルナは、mRNAインフルエンザワクチンも開発しており、現在臨床試験の後期段階までたどり着いている。同社によると9月の中間分析では、このワクチンの効果がすべての年齢層において、従来のインフルエンザ・ワクチンを上回っていたという。またファイザーやフランスのサノフィ・パスツール(Sanofi Pasteur)もmRNAインフルエンザ・ワクチンの試験を始めており、英グラクソ・スミスクラインもドイツのキュアバック(CureVac)と提携して開発と試験を進めている。さらにいくつかの企業は、新型コロナウイルス感染症とインフルエンザを防ぐ混合ワクチンの開発にも取り組んでいる。
複数の企業が、インフルエンザにmRNAを利用したインフルエンザ・ワクチンを開発している理由はいくつかある。第一に、現在のインフルエンザ・ワクチンは鶏の卵や細胞内で増殖したウイルスを使用しており、製造に何カ月もかかってしまうのだ。インフルエンザ・ワクチンにmRNAを利用すれば、ウイルスを増殖させる必要がなくなり、製造工程の大幅なスピードアップが期待できる。これにより、流行するインフルエンザ株により適合したワクチンを作れるようになり(インフルエンザの流行期に近い時期に株を選択できるため)、インフルエンザのパンデミックが発生したときに、より迅速に対応できる可能性があるのだ。
もう1つの理由は、研究者たちがさまざまなインフルエンザ株のmRNAを追加して、より多くの株から防御できるワクチンを作成できることだ。昨年、ペンシルベニア大学の研究チームは、ヒトに感染する既知のインフルエンザ亜型20種類すべての抗原を含むmRNAワクチンの試験を実施した。マウスとフェレットにおいて、このワクチンは狙った株だけでなく、狙いに入っていなかった株に対しても効果を発揮した。さらに今年、米国立衛生研究所は複数の抗原を含まないが、インフルエンザウイルスのうち経年変化が起こりにくい部分に対する反応を誘発するように設計された、別のmRNAインフルエンザ・ワクチンをテストする臨床試験を開始した。
インフルエンザは始まりにすぎない。すでにマラリア、HIV、ジカウイルス、エプスタイン・バーウイルス、サイトメガロウイルス、ヘルペス、ノロウイルス、ライム病、ニパウイルス、クロストリジオイデス・ディフィシル、C型肝炎、レプトスピラ症、結核、帯状疱疹、アクネ菌、クラミジアなどに対するmRNAワクチンが開発されているのだ。
それだけではない。mRNAは、病気を予防するだけでなく、強力な治療法になる可能性もある。実際、mRNAの応用はもともと治療法として考えられていた。mRNAを利用したがん治療は、10年間にわたって試験が続いている。腫瘍表面にあるタンパク質をコードするmRNAを提供するというアイデアだ。そうすることで免疫系はこれらの抗原を認識することを学習し、より効果的にがん組織を検出して攻撃できるようになる。
また、嚢胞性線維症などの希少疾患に対するmRNA治療にも取り組んでいる企業もある。嚢胞性線維症の患者は、嚢胞性線維症の膜貫通コンダクタンス調節因子である、CFTR(Cystic Fibrosis Transmembrane conductance Regulator)と呼ばれる遺伝子に変異がある。この遺伝子の変異により、細胞の内外への水の移動を助けるCFTRタンパク質が正しく機能せず、粘着性の粘液が肺に詰まり、呼吸器感染症を再発しやすくなるのだ。
米バーテックス・ファーマシューティカルズ(Vertex Pharmaceuticals)はモデルナと協力して、吸入用に設計されたmRNAを開発した。肺に入ると、細胞はコードを正しく機能するCFTRタンパク質に翻訳する。昨年末、米国食品医薬局(FDA)はバーテックス・ファーマシューティカルズに対し、嚢胞性線維症に対するmRNAの効果を検証する試験を許可した。またモデルナは、肝臓の機能に影響を及ぼす疾患であるメチルマロン酸血症と、まれな代謝疾患であるプロピオン酸血症に対するmRNAを利用した治療法の臨床試験も開始している。
だが、こうした取り組みがすべて成功するわけではない。実際のところ、多くが失敗している。しかしmRNAの大当たりは、確実にいくつかの勝利をもたらすことだろう。カリコ特任教授とワイスマン教授が2005年に画期的な発見をしたとき、「私はケイティに、これからひっきりなしに電話がかかってくるぞと言いました」とワイスマン教授は、2021年のボストン大学同窓会誌のインタビューで語っている。「でも何も起こりませんでした。電話は1回も鳴りませんでした」。
今、2人の電話が鳴り止まない状況が続いているのは間違いないだろう。
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本誌はmRNAが大きな話題になるだろうと以前から予測していた。2021年にMITテクノロジーレビューは、その年の世界を変える10大テクノロジーの1つに、mRNAワクチンを選んだ。本誌のアントニオ・レガラード編集者が、医療を変革するmRNAワクチンの大きな可能性を探っている。
そして今年、本誌のジェシカ・ヘンゼロー記者が、mRNAがどのようにインフルエンザ・ワクチンの効果を高め、がんの治療を促進する可能性があるかを記事にしている。
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