「試す権利」の問題——実験的治療法を誰が、誰に認めるのか?

Who gets to decide who receives experimental medical treatments? 「試す権利」の問題——実験的治療法を誰が、誰に認めるのか?

有効な治療法が確立されていない難病患者にとって、遺伝子編集を伴う実験的治療法は生存を賭けた大きなチャンスとなる。リスクがあっても治療を切望する患者は少なくないが、「試す権利」の決定には複雑な問題が絡んでいる。 by Jessica Hamzelou2024.01.24

マックスの両親が彼の動きに「異変」を感じたのは、まだ幼児の頃だった。他の同年齢の子どもたちよりも動きが遅く、飛び跳ねるのに苦労し、走ることもできなかった。

血液検査の結果、主要な筋タンパク質に影響を及ぼす遺伝性疾患を患っている可能性が示された。マックスの父親で、気候変動関連の慈善団体の研究者であるタオ・ワンと妻は当初、その結果を受け入れられなかった。そのため、マックスが遺伝子検査を受けるまで数カ月かかった。診断結果は夫妻が恐れていたものだった。マックスはデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)を患っていたのだ。

DMDは、幼い男児が発症することの多い希少疾患だ。進行性で、年齢とともに筋肉の機能が低下する。治療法はない。多くの患者は20代になるかなり前から車椅子を必要とし、そのほとんどが30代を超えて生きられない。

マックスの診断結果は、ワン夫妻を「竜巻のように」苦しめたという。しかし、やがて主治医の1人が、マックスに参加資格のある臨床試験について話した。その臨床試験は、欠損している筋肉タンパク質を、短くした筋肉タンパク質に置き換える実験的遺伝子治療で、マックスの衰えを遅らせたり、あるいは回復させたりする可能性があるものだった。ワンにとって、マックスを臨床試験に参加させることに何の躊躇もなかった。「病気の進行を遅らせ、希望が持てるのであれば、どんなことでも試してみようと考えていました」(ワン)。

これは2年以上前のことだ。現在、マックスは活発な8歳児だとワンは話す。走ったり、飛び跳ねたり、階段も難なく登るようになり、ハイキングすら楽しんでいる。「あの頃とは、まったくの別人です」(ワン)。

マックスが受けた遺伝子治療は最近、米国食品医薬局(FDA)による迅速承認が検討された。迅速承認は、既存の治療法がない重篤な疾患を対象とした治療に限られ、通常の承認よりも少ない臨床試験データしか要求されない。

迅速承認はうまくいくこともあるが、常にそうとは限らない。今回の場合、データはそれほど説得力のあるものではなかった。この薬は無作為化臨床試験に失敗した。プラセボ(偽薬)と変わらないことが判明したのである。

それでも、DMDに苦しむ多くの患者が、この治療薬の使用を切望している。2023年5月に開かれたFDAの諮問委員会では、DMDの子どもを持つ複数の親たちが、数カ月後に判明する追加の臨床試験の結果を待たず、直ちにこの薬を承認するよう嘆願した。6月22日、FDAは4歳と5歳の男児を対象に、この治療薬を条件付きで承認した。

エビデンスが乏しいにもかかわらず承認されたのは、この薬だけではない。新薬が承認されるハードルは低くなる傾向にあり、ある人には効果がない、あるいは害を及ぼす可能性のある治療が利用しやすくなってきている。医薬品承認の決定において、エビデンスよりも体験談(Anecdote、逸話)が重視されているように見える。その結果、効果のない医薬品も出回るようになってきている。

私たちは早急に、こうした決定がどのように下されるのかを検討する必要がある。誰が実験的治療を受けるべきなのか。誰がその決定を下すべきなのか。こうした議論は、バイオテクノロジーの急速な進歩を考慮すると、とりわけ差し迫ったものになっている。近年、科学者たちが「超新規」治療と呼ぶものが爆発的に増加し、その多くは遺伝子編集を伴っている。既存の治療法を改良するだけでなく、まったく新しい治療法を生み出そうとしているのだ。こうした治療法へのアクセスを管理するのは容易ではない。

2022年、ある女性がコレステロール値を下げるため、CRISPR(クリスパー)治療、つまり遺伝子配列を直接編集する治療を受けた。同じ年、重度の心臓病を患う男性に、遺伝子が組み換えられたブタの心臓が移植された。最終的に男性が亡くなったことで、この患者が手術に適切な被験者であったのかをめぐって議論が巻き起こった。

多くの人々、特に重篤な疾患を抱える患者にとって、実験的治療を試すことは、何もしないよりはましかもしれない。DMDを患っている26歳のホーケン・ミラーは、そう指摘する。「死に至る病気です。命が奪われるのをじっと待っているより、何かしたほうがマシだと思う人もいるのです」。

入手経路の多様化

新しい治療の未知の影響から患者を守ることと、命を救う可能性のある治療を利用できるようにすることのバランスを保つのは至難の業だ。実験薬を試せば、患者の病気が治るかもしれない。しかし、結局は何の効果もない、あるいは害を及ぼす可能性さえある。また、望ましくない結果が出た後、企業が資金調達に苦労することになれば、研究分野全体の進歩が遅れ、将来承認されるはずの医薬品の開発が遅れる可能性もある。

米国では、ほとんどの実験的治療はFDAを介して提供されている。1960〜1970年代にかけて、製薬会社は自社の製品が実際に効果があり、服用によるベネフィットがあらゆるリスクを上回ることを当局に証明しなければならなかった。「これによって、患者が不確かな情報に基づく医薬品を入手する機会は完全に絶たれました」とボストン大学で医療法制度を専門とするクリストファー・ロバートソン教授は言う。

新薬のエビデンスに求める基準を、高く設定することは理にかなっている。しかし、絶望的な診断を受けた疾患に対する新薬の場合、リスクとベネフィットを評価する指針が変わることがある。そして、末期の疾患を抱える患者たちが未承認の実験薬へのアクセスを求めるようになるまでに、そう時間はかからなかった。

1979年、末期がん患者とその配偶者たちのグループが、実験的治療を受けられるように、米国政府を相手取って訴訟を起こした。連邦地裁は、原告のうちの1人に対して実験薬の使用を認めるべきとの判決を下したが、一方で、患者の病気が治癒できるか否かが問題なのではなく、すべての人が効果のない薬から保護されるべきだという点が重要なのだとの見解を示した。この判決は最終的に最高裁でも支持された。「たとえ末期患者に対してでも、法律には安全性と有効性という概念が変わらず存在するのです」とロバートソン教授は説明する。

現在、実験的医薬品に個人でアクセスする方法はいくらでもある。おそらく最も当たり前の方法は、臨床試験に参加すること だろう。初期段階の臨床試験では、通常、最初は健康な被験者に低用量の薬を投与して新薬の安全性を確認してから、その薬の対象となる疾患を持つ患者に投与される。「非盲検臨床試験」と呼ばれる、誰が何を投与されるかを被験者自身が知ることのできる方式の臨床試験もある。最も一般的な方法は、無作為化、プラセボ対照、盲検化された臨床試験だろう。つまり、これら臨床試験は、一部の被験者には試験薬が投与され、その他の被験者にはプラセボが投与される。そして結果が出るまで、誰に何を投与したのかは、投与した医師ですら知ることができない。ある薬が本当に患者に効果があるのかを判断するために必要なものだ。

しかし、臨床試験は、有効性が立証されていない治療を試したいと考える人々全員が参加できるとは限らない。年齢や健康状態に厳格な被験者適格基準が設けられていて、参加できない例もある。また、住んでいる地域や時期も重要で、ある薬を試したいと考えている人が、臨床試験の実施場所から遠すぎる場所に住んでいて参加できなかったり、参加登録の時期に間に合わなかったりする場合もある。

そのような場合、FDAの拡大アクセス・プログラム、別名「人道的使用(Compassionate use)」に申請できる。FDAはこのような申請をほぼすべて承認する。その後、その患者に薬を原価で販売するか(利益をあげることは許されない)、無償で提供するか、あるいは申請を全面的に拒否するかは、製薬会社の判断に委ねられている。

もう1つの選択肢は、「試す権利」法(Right to Try Act)に基づく申請だ。2018年に成立したこの法律は、命にかかわる状態にある患者が、FDAを介さずに実験薬を入手する新しいルートを確立した。ただ、FDAがこうした医薬品を入手する上で障壁になることは過去にほとんど例がないことから、多くの人は政治的な演出と見ている。同法の下でも、試験薬を患者に提供するか否かの選択権は依然として企業側に委ねられている。

患者がこうした経路での入手を拒否された場合、大きなニュースとして扱われることもある。「ほとんどが同じパターンに終始します」と話すのは、ニューヨーク大学グロスマン医学校で臨床試験薬へのアクセスについて研究している倫理学者、アリソン・ベイトマン・ハウス助教授だ。同助教によると、それは薬を入手しようと闘っているの人がいるのに、「冷淡で非情な」製薬会社やFDAによって拒否されるという物語だという。そしていつも「患者たちが、入手さえできれば間違いなく自身の救いになるはずのものを求めて、勇敢に闘っている」姿が描かれるのだ。

しかし、現実はそれほど単純ではない。企業がある患者に薬を提供しないことを決定した場合、その決定を非難することはできないとベイトマン・ハウス助教授は話す。結局のところ、そのような申請をする人は、たいていの場合、病状がすでに悪化していることが多い。もしその薬の投与後に患者が死亡したら、薬の印象が悪くなるだけでなく、投資家がさらなる開発に出資するのを躊躇させてしまうかもしれない。「もし、誰かが人道的使用によって治療を受け、それが不幸な結果を招いたといった事例をメディアが伝えた場合、投資家たちは逃げ出すでしょう。ビジネス上のリスクなのです」。

FDAが医薬品を承認するということは、その医薬品の販売や処方が可能、つまり、実験薬ではないことを意味する。有望なある新しい治療を利用する最良の手段が、FDAの承認取得だと考える人が多いのはそのためだ。

FDAは通常、10カ月以内で承認審査を終える必要があり、その一環として、申請した薬が安全かつ効果的であるという臨床試験のエビデンスの提出を求める。こうしたエビデンスを集めるには、長い時間と費用がかかる。しかし、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のアウトブレイクや希少な致死的疾患、あるいはDMDのように治療法の選択肢が非常に限られている重篤な病気など、絶望的な状況に対しては近道が用意されている。

体験談とエビデンス

マックスは臨床試験を介して …

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