「AIによる絶滅のリスクを軽減することは、パンデミックや核戦争などの社会規模リスクと並ぶ世界的優先課題である。」
これは、今年5月にオープンAI(Open AI)のサム・アルトマン氏らが署名した声明文だ。そう言われると、人間の知能を上回るロボットにより滅亡の危機を迎えるハリウッド映画さながら事態なのかと、つい私も先を案じてしまう。しかし、落ち着いてほしい。「AI(人工知能)」という語が実際に意味するのは高度な判断機能を持つプログラムであり、我々がイメージするような人類破壊ロボットとは無縁だ。いや、待て。そんなことは当然わかっているはずのAI開発重鎮たちの声明なのだとすれば、やはり終末が近いのだろうか。
彼らがどのような考えのもとで、「絶滅のリスク」、と言及するのか、そのヒントを知りたければ、ダグラス・ラシュコフ著『デジタル生存競争 誰が生き残るのか(原題:Survival of the Richest: Escape Fantasies of the Tech Billionaires)』(2023年、ボイジャー刊)がぴったりだ。本書は、ヨハネの黙示録にあるような出来事、つまり気候変動や民衆の暴動といった終末にどう備えたらいいのか、と二人の大金持ちから大真面目に助言を求められるところからスタートする。おかしな話だが、同書によれば、危機に備える金持ち相手に、安全な避難地を提供する商売がアメリカには実存するようだ。なるほど確かに、ITで成功した起業家は皆、テクノロジーが世界を豊かにする進歩的な夢を語りながらも、どこかへ脱出しようとしている気もする。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグは仮想世界に、アマゾンのジェフ・ベソスやテスラ社のイーロン・マスクは宇宙、火星に。
老後2000万円問題を心配する我々日本の庶民ならまだしも、富を手にしたアメリカの若き経営者が終末を憂いでいるなんて、我々はどこへ向かっているのだろうか。本書には、さまざまな成金の終末対策案が登場するが、呆れるほど、どれも先進技術頼みの粋を出ない。ラシュコフ氏は、彼らに共通するマインドセットを浮き彫りにし、このオカルトじみた終末観の原因となっているテクノロジーの眩惑を解き明かす。
解釈の源流は著者のユニークな来歴にあろう。同氏は、幻覚剤とバーチャルリアリティの勃興が交差するヒッピー文化が色濃いカリフォルニアで演劇を専攻し、直線的な演劇の展開や観客への物語の押し付けに嫌気がさしたことから、双方向性や書き換え可能といった特性を持つコンピュータ・プログラミングに熱を上げ、いち早くデジタル時代を見据えたメディア論を展開し一目を置かれた人物だ。以来、オープンソースを推奨し、プログラミング学習の重要性を訴え、巨大IT企業を憂い、いかにして中央集権的でないテクノロジーを実装し社会を良くするかに誰よりも関心を払ってきた。ITビジネスのリーダー層から数々の講演依頼を受け、近年はニューヨークの大学で教鞭をとり、ユダヤ教徒であることを公言している。
だからこそ同氏は、舞台装置の上で序盤からクライマックスを経て終盤へ向かう直線的な演劇のストーリーのごとく、有限な地球上で展開されるデジタル経済がまやかしの成長志向に根差しているとして、その起源を、神と対峙し、魔女を追い払い、母なる大地を制圧した科学にたどる。定量化、客観化により、市場主義の価値判断を裏付け、物事を上から見て植民地主義時代の管理手法に寄与した科学の特徴を引き継いだのが、大量のデータから瞬時に判断を下す今日のAIだ。ラシュコフ氏は、決して科学を否定しているわけではない。最新テクノロジー製品から単に機能面だけを取り出して評価するのではなく、それらが位置する文脈を注意深く観察し、歴史や社会とのつながりで捉えている。
単線思考ではない未来に巡り合うためには、計算式に矮小化された実験室の出来事ではなく、また二つとない、この世界を生きる経験に立ち返ることではないだろうか。人間らしい交友の大切さを呼び覚まそうとする本書は、億万長者ならずとも、参考になる。
8月18日17時30分更新:記事公開当初、書籍の著者名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。