「iPadの魔法」は アクセシビリティに 革命をもたらしたのか?

The iPad was meant to revolutionize accessibility. What happened? 「iPadの魔法」は
アクセシビリティに
革命をもたらしたのか?

iPad(アイパッド)の登場は、言語の発達に遅れや障害がある人のコミュニケーションに革命を起こすと期待された。13年が経った今、魔法のようなデバイスは現実をどのように変えたのだろうか? by Julie Kim2023.10.13

デイビッド・ジェームズ・”DJ”・サバレーゼは2022年12月、アイオワ州立大学の美術学の修士課程に進むため、アイオワ・アート・フェローシップを獲得した。その数カ月後、彼は地元のTVニュース番組でインタビューを受けていた。サバレーゼは当時30歳の詩人で自閉症があり、コミュニケーションをとるために特別な方法を使っていた。キャスターからの質問に答えるためには、コミュニケーションをハックするデバイスが必要だったのだ。彼は小さな子どもの頃から、そういった方法を考え続けていた。

サバレーゼはアイオワシティにある自宅のリビングルームのソファに座って、インタビューにリモートで参加した。「あなたを詩作に駆り立てるものは何でしょうか?」キャスターが尋ねた。サバレーゼはまるで考えをまとめるかのように、一瞬カメラから顔を背けた。彼はノートPC(コミュニケーション・デバイスにもなるマックブック・プロ)に身を乗り出し、何度かキーを叩き、合成音声を起動した。「詩を作ることは、より少ない答えで、より多くの会話をする方法を与えてくれるのです」。

そして、こう続けた。「恐怖が放送電波を支配する時代に、詩は感覚を呼び覚まし、意味に偏重した経験から私たちを解放します。脳の境界を越えてアイデアが自由に混じり合い、人工的で分類的な権力の構造を越えて私たちを動かすのです」。音楽のような抑揚のある文章に合わせ、サバレーゼは前後左右に体を揺らして、うなずいたりしていた。

私は、サバレーゼの技術的な環境がどうなっているのかに注目した。インタビュー映像には配線やデバイスは見えない。彼は脳チップを使い、自分の思考をコンピューター上のワープロソフトに無線で送信しているのだろうか。私は「これは未来の光景ではないだろうか」と思った。

私が注目したのには理由がある。サバレーゼと同じ言語障害がある当時5歳の娘のために、補助代替コミュニケーション(AAC)テクノロジーについて調べていたからだ。利用できる選択肢は、まるで1990年代に開発されたかのようなアイパッド(iPad)アプリがいくつかあるぐらいで、私はがっかりしていた。たとえ空想的なことであっても、より先進的な脳コンピューター・インターフェース(BCI)について詳しく調べるようになっていた。脳チップを使えば、私が口を開いて喋る程度の最小の労力で、娘も言葉で自分を表現できるようになるのではないか。学校での一日を、どのように話してくれるのだろう。「ハッピー・バースデー」を歌ったり、「ママ」と呼んだりしてくれるだろうか。そんな未来が、今ここにあることを望んでいたのだ。

しかし、サバレーゼのインタビューを見ているうち、自分が抱える呪術的思考に気がついた。インタビュー放送の仕組みの舞台裏は極めてローテクで、お粗末と言っても良いものだった。

私が考えていたテクノロジーの役割とは、ある作業から人間の手作業を切り離し、すばやく簡単にすることだ。サバレーゼの採用したプロセスはこの型に当てはまらない。放送局は彼を番組に招待し、プロデューサーがあらかじめ質問をメールで送った。サバレーゼは、15分ほどかけてマイクロソフト・ワード(以降、ワード)に回答を入力して準備をした。インタビューの生放送が始まると、キャスターは予定通りの質問をして、彼はワードの「読み上げ」機能を使って、ノートPCに用意した回答を読み上げさせ、話しているように見せたのだ。AI、自然言語処理、単語予測、音声バンク、視線追跡など、コミュニケーション支援デバイスの強化に活用できるテクノロジーは、ここでは何の役割も果たしていなかった。私が期待したような機能を何1つ使うことなく、サバレーゼは自分の思考を豊かに表現するのに必要なツールを手にしていたのだ。

障害者が差別される世界で障害を持つ子どもを育てる6年間は過酷なもので、感情をすり減らすような経験だった。その中で私は、あらゆる可能性に対して心を開いておくことを学んだ。娘は生まれつき130の遺伝子と1000万塩基対のDNAを欠損しており、知的にも身体的にも発達が遅れている。だが、健康で、笑顔あふれる、意地っ張りの子どもだ。彼女が生まれてからというもの、私たちの暮らす進んだ社会に、縁石のくぼみやスロープ、太いクレヨンのような優しさがあまりないということに、私は何度も驚かされた。こうした、ちょっとしたものがあるだけで、娘の生活は楽になるというのに。一方、想像もできなかったほど精巧かつ独創的なものはたくさんある。MRIに組み込まれた、『アナと雪の女王』をテーマにした心落ち着くような実質現実(VR)環境もその1つだ。だからこそ、サバレーゼが話す姿を初めて見たとき、脳に埋め込まれたチップからワードへ自動的に思考を送信していると私が想像したのも、無理もないことだと思いたい。私はそれを革新的なことではなく、あり得ることだと感じただけだ。実際は脳チップなどなく、数本のメールとワードを使っただけだと気づいた時、私はおなじみの失望感で地上に叩き落されたのだった。

AACコンサルタントのマーク・スラビアンは、「どんなものでも必ず過去との互換性を持たせなければなりません。だから物事はゆっくり進むのです。つまり、過去が不格好だったら、今も不格好な部分が残るものなのです」と語った。

61歳のスラビアンは35年間、数多くの学校で学校管理者や言語聴覚士を養成してきた。コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジやニューヨーク大学など、ニューヨーク市のほぼすべての特殊教育担当教員研修プログラムで大学院生を教えてきた彼の専門は、クライアント固有のニーズに合わせて既存のAACアプリをカスタマイズすることだ。言語聴覚士、教師、神経心理学者と連携し、クライアントにとって適切なハードウェアとソフトウェアを見つけ出す、必要不可欠な「テクノロジー担当」としてキャリアを積んできた。

例えば、PRCサルティーヨ(PRC-Saltillo)のコミュニケーション・デバイスに搭載されている「タッチチャット(TouchChat)」ディスプレイには、標準では8つのボタンが12行並んでいる。ボタン上には文字、物体を表すアイコン(リンゴなど)、カテゴリーを表すアイコン(食べ物など)、デバイス操作に関わるアイコン(戻る矢印など)が表示されている。その多くはキラキラ光るネオンカラーだ。腹立たしいのは、ボタンの大きさがどれも同じ200x200ピクセルで、配置や文字の大きさ、大文字・小文字の区別に明確な論理性がないことだ。一部の単語が奇妙に省略されていることもあれば(例えば「DESCRIBE」は「DESCRB」)、「thank you」のようにボックス幅に合わせて縮小されているものもある。「cool(クール)」のグラフィックは、親指を立てて微笑む棒人間だ。「good(良い)」は親指を立てた手だけが描かれ、「yes(はい)」と「like(いいね)」はどちらも笑顔のアイコンで重複しているのも問題だが、ユーザーが温度を表す意味で「cool」を使ったならどうなるのだろうか?

AACデバイスの情報階層とインターフェイス・デザインについて確立された原則は、標準にはならない。各画面のボタンの数と大きさ、アイコンの大きさ、文字の大きさ、ボタンの位置を変更できるか固定したままにするかを決めるのが、スラビアンの役目だ。

「どんなものでも必ず過去との互換性を持たせなければなりません。だから物事はゆっくり進むのです。つまり、過去が不格好だったら、今も不格好な部分が残るものなのです」

マーク・スラビアン(AACコンサルタント)

私は望みを託してスラビアンに電話をかけた。ニューヨークのロウアー・マンハッタンのカフェで会ったとき、彼が持ってきたキャスター付きのスーツケースを見て胸が踊った。最新のAACデバイスを見せてくれるのではないかと思ったからだ。しかし、またもや私の期待は裏切られた。

現実はこうだ。AACテクノロジーの大きな飛躍が最後に起こったのは13年前のこと。テクノロジーの時間感覚からすればはるか昔のことだ。2010年4月3日、スティーブ・ジョブズはアイパッドを発表した。大部分の人にとって、仕様や規格が便利になったというだけの変化が、言語障害のある人にとっては非常に重要であった。魅力的で持ち運びができ、しかも強力なコミュニケーシ …

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