コンピューティングについて話すとき、話題はソフトウェアと、それを書くエンジニアの話に集中しがちだ。しかし、ハードウェアと、それを作り出すために必要な光学、材料科学、機械工学といった分野をなくしては何も成り立たない。こうした分野における進歩があってこそ、デジタル世界のすべての0と1が存在する半導体チップを製造できるのだ。半導体チップ抜きには、現代のコンピューティングが実現することは無かっただろう。
半導体チップ生産に必要な工程の1つに半導体リソグラフィーがある。その発端は70年前まで遡る。半導体リソグラフィーの原点にまつわる物語は、現代の半導体製造プロセスの複雑さと同じぐらい単純なものだ。半導体リソグラフィーが産声を上げたのは1950年代半ば、ジェイ・ラスロップという物理学者が顕微鏡のレンズを上下逆さにした時のことだった。
ラスロップは2022年に95歳で亡くなったが、現代ではほとんど忘れ去られた人物である。しかし、ラスロップと、ラスロップの研究所でのパートナーが1957年に特許を取得したリソグラフィーの手法は、世界を変えたのだ。リソグラフィーの手法が着実に進歩していったことで、かつてない程に小さな回路や、以前は想像すらできなかった規模のコンピューティング能力が実現し、あらゆる産業、そして人々の日々の生活を変えたのである。
現代におけるリソグラフィーは、極めて小さな誤差も許さない巨大ビジネスだ。現在、リソグラフィーで世界のトップに君臨する企業が、オランダのASMLである。ASMLは時価総額で欧州最大のテック企業でもある。ASMLがリソグラフィーに用いるツールは、世界で最も滑らかな表面を持つ鏡と、商用としては最も出力が高いレーザー、そして太陽の表面よりもはるかに高温の爆発を必要とし、わずか数ナノメートルしかない微細な回路を、シリコン上に形作ることができる。ナノメートル級の精度があるということは、何百億ものトランジスターを集積したチップを製造できるということだ。こうした最先端のリソグラフィー・ツールで作られた半導体チップは、携帯電話やPC、それにデータを処理し、記録するデータ・センターなどで使われている。つまり、これらの最先端のツールに依存しているのだ。
半導体チップを製造する機械の精密さは気が遠くなるほどだが、その中でもリソグラフィー・ツールは最も重要かつ最も複雑なものだ。リソグラフィー・ツールには何十万個もの部品と、何十億ドルもの投資が必要となる。そしてリソグラフィー・ツールが話題となるのは、企業間の競争や科学的偉業の話だけではない。リソグラフィー・ツールは、コンピューティング能力の将来を左右する、地政学上の競争の中心にいる。コンピューティングの将来は、リソグラフィー産業の進化、そしてより精密なリソグラフィー・ツールを作り出そうとする取り組み によって形作られることだろう。これまでのリソグラフィーに関するテクノロジーの発展が示唆するのは、今後も発展を続け、必要とされる特別な部品を製造するには、より複雑かつ精密な機械と、より広範囲におよぶサプライチェーンが必要になるだろうということだ。新しいリソグラフィーのシステムと部品の開発速度、そしてどの企業や国がそれを製造してみせるのかという問題は、コンピューティングの発展の速度だけでなく、テック業界内の権力と利益のバランスをも決めることになるだろう。
現代のナノスケールでの半導体チップ製造の原点が、ラスロップが顕微鏡のレンズを上下逆さにしたことにあるという意見に対しては、あり得ないと思うかもしれない。だが、リソグラフィー産業は急速な発展を遂げてきた。ムーアの法則というものがある。集積回路に搭載できるトランジスターの数が、およそ2年ごとに2倍になる、という考え方だ。半導体チップがムーアの法則に従って発展できたのも、そして半導体チップがムーアの法則のペースを決めることができたのも、リソグラフィー産業のおかげと言える。
ラスロップがリソグラフィーのプロセスを発明したのは1950年代のことだ。当時、コンピューターは肉眼でも見えるほど巨大な真空管やトランジスターを使用していた。まったく新しいツールを作り出さなくても、十分容易に製造できるものだった。
ラスロップはコンピューティングに革命を起こそうとしていたわけではなかった。後年のラスロップが述懐したところによると、「コンピューターについては何も知らなかった」そうだ。1950年代半ば、ラスロップは米国陸軍のダイヤモンド兵器信管研究所(Diamond Ordnance Fuze Lab)でエンジニアとして働いており、直径わずか8センチメートルしかない迫撃砲弾に入る、新しい近接信管を考案するという任務を負っていた。ラスロップが開発した信管に必要な部品の1つがトランジスターだった。しかし、砲弾がとても小さかったため、当時のトランジスターでは内部に収めるのが難しかった。
当時は、トランジスターの製造が始まったばかりだった。トランジスターは増幅器として無線で使われており、部屋ほどの大きさのコンピューターに使われ始めていた。ダイヤモンド兵器信管研究所にはすでに結晶成長装置や拡散炉など、トランジスター製造に必要な設備をいくつか保有していた。しかし、先進的な兵器研究所でさえも、トランジスターの製造に必要な材料やツールの多くはゼロから開発しなければならなかったのだ。
初期のトランジスターはゲルマニウムという化学元素のブロックの上に、さまざまな材料を層状に重ねることで作られており、砂漠にある卓上台地(メサ)に似た形をしていた。 この、頂上が平坦なブロック状の材料(トランジスター)を作るには、まずゲルマニウムの一部を少量のワックスで覆う。次に、化学薬品を塗布する。この化学薬品は、ゲルマニウムのうちワックスで覆われていない部分をエッチングする。その後にワックスを取り除くと、ワックスに覆われていたゲルマニウムのみが金属板に載った状態で残る。この製法は大型のトランジスターに対しては十分に上手く機能したが、トランジスターの小型化はほぼ不可能だった。ワックスが予想もつかない形で流れ出てしまうため、ゲルマニウムをエッチングする際の精度が制限されてしまったのだ。ラスロップと、研究所で彼のパートナーだったジム・ノールによる近接信管の開発は、溢れ出すワックスがもたらす不具合によって手詰まりとなってしまった。
ラスロップは長年にわたり、小さな物を拡大して見るために顕微鏡を覗き込んでいた。ラスロップが、どうやってトランジスターを小型化すれば良いのか頭を悩ませていたとき、ラスロップとノールは顕微鏡のレンズを上下逆さにすることで、大きな物、つまりトランジスターのパターンを小型化できないかと考えた。 この考えをはっきりさせるために、ラスロップとノールは一片のゲルマニウムをフォトレジストと呼ぶ化学薬剤で覆った。フォトレジストはカメラ・メーカーであるイーストマン・コダックから入手したものだった。フォトレジストは光に反応して、硬くなったり脆くなったりする。ラスロップはフォトレジストのこのような特性を利用して、台地の形をした「マスク」を作り、上下逆さに設置した顕微鏡の上に置いた。マスクの穴を通った光は顕微鏡のレンズによって縮小され、フォ …