海運業界も脱炭素へ、2050年「実質ゼロ」に何が必要か?
世界中の海運産業による温室効果ガス排出量を、2050年頃までに実質ゼロにする目標が決まった。目標達成には技術的進歩が必須だが、政治的な解決も求められる。 by Casey Crownhart2023.07.20
世界の海を縦横無尽に行き交う船は、世界経済に欠かせない存在だ。食卓に並ぶバナナからガレージの車まで、あらゆるものがいつかは通った旅路かもしれない。
しかし、すべての移動は汚染を引き起こす。世界の海運産業は毎年10億トン以上の温室効果ガスを排出しており、これは世界全体の約3%にあたる。
国際海事機関(IMO:International Maritime Organization)と呼ばれる国連グループが7月7日に合意したのは、世界中の海運産業による温室効果ガス排出量を「2050年頃までに」実質ゼロにするという目標設定だ(実質ゼロとは、排出源をすべて断つか、二酸化炭素除去を利用するなどして相殺することを意味する)。排出量をゼロに相殺する目標期日を設定することは、脱炭素化が難しいと言われるこの産業にとって大きな一歩だ。しかし専門家によれば、IMOが設定した新たな目標を達成するため、あるいはそれを上回るために、海運産業が利用できる手段は十分すぎるほどあるという。
新たな協定は2050年目標達成のためのチェックポイントをいくつか定めている。それは、排出量を対2008年比で2030年までに20%以上削減し、2040年までに70%以上削減するというものだ。この協定はまた、2030年までに海運で使用するエネルギーの少なくとも5%を低排出エネルギー源が占めるべきだとする。
2030年が間近に迫っているとはいえ、産業として排出量削減を間に合わせることは可能だと、国際クリーン交通委員会(ICCT:International Council on Clean Transportation)で海事プログラムの責任者を務める、ブライアン・コマーは言う。「この業界の浄化や脱炭素化は、必ずしも技術的に難しいものとは思いません。政治的な理由から、難しくなっているだけです」。
実際、この産業は2030年の新たなチェックポイントを、船を減速させることでほとんどクリアできるとコマーは言う。一般に、ゆっくり進む船ほど燃料消費量が少なくなり、排出ガスが減るからだ(自動車でも同じことが言える。ガソリン代を節約したいのならスピードを落とすことを考えよう)。
排出量のさらなる削減に向けた選択肢はほかにもあると、欧州交通環境連盟(European Federation for Transport and Environment)のファイグ・アバソフ海運部長は言う。
風を利用して船を動かすのも1つの方法だ。スタートアップ企業も大手企業も同じように、帆や凧、特殊なローターを追加して船を後押しすることに取り組んでいる。風力による補助を利用できるのは、設備を追加するための甲板スペースが空いている特定のタイプの船に限るが、この手法は燃料需要を減らし、航海で排出される温室効果ガスを削減するのに役立つ。
新燃料も一役買う可能性がある。ほとんどの新燃料は燃焼時に温室効果ガスを放出するが、バイオ燃料や合成燃料を生産することで、大気中から炭素を取り除くことができる(バイオ燃料の場合、植物が成長する過程で二酸化炭素を吸い取る。合成燃料は、直接空気回収(DAC:Direct Air Capture)によって大気から除去された二酸化炭素を使って製造できる)。いずれの場合も、大気中に放出される排出ガスの総量を削減、あるいはゼロにできる。そして、これらの燃料の多くは既存のエンジンで使用できる。
低速航行、風力アシスト、低排出ガス燃料の組み合わせによって、海運産業は、10年後までに排出量を50%近く削減できると、環境コンサルタント会社CEデルフトが6月に発表した研究結果は示している。この研究は、欧州交通環境連盟を含む複数の環境保護団体からの依頼によって実施されたものだ。
この変化により海運輸送にかかるコストは現在より6〜14%増加する。しかし、このコスト上昇分は気候変動によって予想される損害に比べれば微々たるものだと欧州交通環境連盟のアバソフ海運部長はいう。
次の2つの節目である2040年と2050年の目標は、達成が難しいかもしれない。2050年までに世界の海運を実質ゼロ・エミッションにするには、効率改善や運用の見直しだけでは不十分だ。海運の脱炭素化は数兆ドル規模の取り組みであり、グリーン水素、メタノール、アンモニアなどの低・ゼロエミッション燃料の普及などの技術的進歩が必要だが、そのほとんどはまだ実証されておらず、商業運行にも採用されていない。
環境保護団体パシフィック・エンバイロメント(Pacific Environment)の気候担当上級理事で、この審議に立ち会ったマデリン・ローズは、交渉の間に、海運を含む世界経済の脱炭素化をめぐる利害が明らかになったという。「史上最も暑い7月4日でした。中国では洪水と熱波、スペインでは熱波と洪水がありました。私たちはこの事態にじっと耐えており、これまでに気候科学が発してきた警告の内容を目の当たりにしているのです」。
ローズ上級理事や他の専門家は、IMOの目標設定が十分でないと批判した。パリ協定は2015年に可決された国連協定で、地球温暖化を産業革命以前の水準から2℃以下に、理想としては1.5℃以下に抑える目標を掲げた。いくらかでも温暖化が進めば地球に何らかの影響が及ぶことを考えると、この目標はやや恣意的なものだ。しかし可決以来、気候政策の中心的な役割を担ってきたのも事実だ。
いずれかの温暖化目標を達成するには、運輸、発電、重工業に至るまで、すべての業界が排出量を削減する必要がある。IMOの2050年実質ゼロ目標は、短期的なチェックポイントとあわせて、温暖化を2℃未満に抑えるために業界がその役割を果たすのに十分なものであるはずだと、国際クリーン交通委員会の分析は述べている。しかし、温暖化を1.5℃未満に抑えるには、実質ゼロの期限を2040年頃に早める必要があると、国際クリーン交通委員会の別の分析では述べられている。
「私たちは基本的に、各国が1.5℃の確固とした目標に合意できなかったことに落胆し、失望しています」とローズ上級理事は話す。
次にIMOは、海運業界が自主目標を達成できるよう、新たな措置を課すことを目指している。これには、燃料からの許容排出量の段階的削減や、温室効果ガス排出量に価格を付ける何らかの経済的措置が含まれる。
その交渉も一筋縄ではいかないかもしれない。中国、アルゼンチン、ブラジルを含む一部の国は、IMO交渉において2040年の実質ゼロ目標に反対するよう働きかけ、中国は排出量課税など、検討が続いている経済的措置に強く反対している。
海運産業初の広範な実質ゼロ目標は、協議の終わりというわけではないが、「最終目標は実に明確に設定されました」と国際クリーン交通委員会のコマーは話す。
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- ケーシー・クラウンハート [Casey Crownhart]米国版 気候変動担当記者
- MITテクノロジーレビューの気候変動担当記者として、再生可能エネルギー、輸送、テクノロジーによる気候変動対策について取材している。科学・環境ジャーナリストとして、ポピュラーサイエンスやアトラス・オブスキュラなどでも執筆。材料科学の研究者からジャーナリストに転身した。