ニューヨーク州シラキュースとその周辺の町を豊かな未来へと導くはずの4平方キロメートルの土地は、今はまだ木や草が生い茂る、何の変哲もない雑木林にすぎない。だが、2023年4月下旬のある日、小さな掘削装置が敷地の端で土壌サンプルを採取していた。米国最大となりえる半導体工場建設のはじまりだ。
寒く長い冬が終わり、ニューヨーク州北部にようやく春が訪れた。小さなテントが設営され、そこにシラキュースの北24キロメートルに位置するクレイの郡行政責任者や郡政執行官をはじめ、地元の政治家たちが続々と集まっている。地元の取材記者も数人いる。よく見ると、この土地の利用価値を高めている、巨大な送電線が並木の向こうに見える。
そこへ経営幹部を乗せた黒い巨大なSUVが入ってきた。1000億ドルの到着だ。
2022年、超党派の支持を得て可決された半導体の米国内製造を促進する法律、半導体・科学法(CHIPS法)は、サプライチェーンの確保や研究開発費の強化、米国の半導体チップ製造における競争力を再び高める法律として、業界のリーダーや政治家たちに広く受け入れられた。だが、少なくともバイデン政権によれば、この計画は良質な雇用を創出し、最終的には経済的繁栄を発展させることも意図している。
そして今、シラキュースは、今後数十年にわたる政府による大規模な民間投資などの積極策が、米国製造業の実力を高め、ニューヨーク州北部のような地域を活性化させられるかどうかの経済的な試金石になろうとしている。それは、「チップファブ」という驚くほど高価で複雑な工場から始まる。
アイダホ州ボイシに本社を置くメモリー・チップ・メーカーのマイクロン(Micron)は2022年秋、今後20年間でそれぞれ約250億米ドルを投じて最大4つの半導体工場をクレイに建設する計画を発表した。そして4月のこの日、テントの横に立ったサンジャイ・メロトラCEOは、1000億ドルの投資が示すビジョンを示した。「今は何もないこの場所に、20年後には4棟の大きな建造物が建つと想像してみてください。それぞれサッカー場10面分の広さがあり、最終的なクリーンルームの面積はサッカー場40面分となります」。メロトラCEOは、これらの工場により、マイクロンの9000人を含む5万人の雇用が創出され、「地域社会にとって大きな変革となるでしょう」と公約した。
どんな都市でも1000億ドル規模の企業投資は一大事だが、シラキュースにとっては運命の逆転が約束されたようなものだ。ラストベルト地域(錆び付いた工業地帯)の北東の端に位置するシラキュースでは、数十年にわたり製造業の中核施設が閉鎖され、雇用と人口が失われ続けてきた。ゼネラル・エレクトリック(GE)に始まり、最近では、かつて約7000人を雇用していたキャリア(Carrier)の東シラキュース工場が閉鎖された。
国勢調査データによれば、シラキュースは現在、米国の大都市の中で最も子どもの貧困率が高く、年間1万ドル以下で生活する家庭の割合が2番目に高いという。
もちろん、脱工業化による停滞にあえいでいるのはシラキュースだけではない。米国経済は、ハイテク産業による牽引がますます拡大しているが、もたらされる雇用と富は一部の都市に集中している。ブルッキングス研究所の報告書によれば、2005年から2017年までの米国イノベーション産業の成長の90%以上を、ボストンやサンフランシスコ、サンノゼ、シアトル、サンディエゴが占めている。ハイテク企業による雇用がなく、従来の製造業が経済の原動力でなくなってから久しいデトロイトやクリーブランド、シラキュース、ロチェスター近郊といったラストベルト地域は、現在、米国最貧都市リストのトップを占める。
マイクロンの投資は地元経済に数十億ドルをもたらし、最終的にインフラや住宅、学校の質を高めるだろう。また、計画通りに進めば、チップの中でもとりわけマイクロンがクレイで製造予定のメモリーチップが人工知能(AI)などのデータ駆動型アプリケーションに不可欠な役割を果たすことから、その需要が爆発的に増加すると予想されるタイミングで、ニューヨーク州中心部に新たな半導体製造ハブが築かれることになる。
つまり、これは、数十年もの間、経済的に苦しんできた地域を立て直す試みなのだ。そして、このプロジェクトの成否は、米国がハイテク投資を活用して、長年の課題だった地理的不平等と、それが生み出した社会的・政治的不安のすべてを覆せるかどうかの重要な指標となるだろう。
工場への大規模投資
多くの点において、マイクロンの投資は、米国政府による最近の産業政策(特定の部門や地域を優遇する政府介入)の実証実験の場となっている。この2年の間、米国政府は新しいチップ工場から電池工場まで、あらゆる支援に数千億ドルを割り当ててきた。たとえばマイクロンの場合、CHIPS法による資金(国内半導体製造支援に390億ドル、半導体の研究開発および人材育成に132億ドル)がなければ、米国に工場を建設することはなかったという。
半導体は米国で発明されたとはいえ、現在、米国が製造する半導体は世界の半導体生産量の約12%に過ぎず、台湾と韓国が市場を独占している。マイクロンがシラキュースで生産を予定しているDRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリー)チップの場合、米国内の状況は特に悪い。DRAMチップのうち、米国内生産は2%に満たない。DRAM市場の主要3社のうちの1社であるマイクロン(本社は米国)ですら、チップのほとんどを台湾や日本、シンガポールで生産している。
米国でのチップ生産コストは、建設費や人件費、政府の優遇措置の違いにより、アジアで生産するよりも約40%増加してしまう。CHIPS法による資金は、米国内での工場建設の経済的魅力を再び高めることを意図している。
資金の一部は、チップ生産がすでに定着した地域に投じられている。台湾セミコンダクター・マニュファクチャリング・カンパニー(TSMC)はアリゾナ州フェニックスの新工場に400億ドルを投じ、インテルはフェニックス郊外のチャンドラーに工場を建設している。一方、インテルのオハイオ州コロンバス近郊への200億ドル規模のプロジェクトや、マイクロンのシラキュース・プロジェクトなど、新たな地域でのチップ生産工場建設に巨額の資金が投じられ、経済活動の中心地を形成する可能性が出てきた。
ブルッキングス研究所のマーク・ムロ上級研究員によれば、CHIPS法の意図は、単に半導体を製造する「大きな箱」の建設支援ではなく、投資した周辺地域に産業クラスターを形成することだという。長年にわたり国内のさまざまな地域間で不平等が拡大したため、この戦略は、ハイテク製造業の地域開発を支援する、いわゆる地域振興型経済政策に再び重点が置かれるようになったことを反映していると、ムロ上級研究員は言う。
予想通り、各州は投資を獲得しようと激しく争っている。ニューヨーク州は、58億ドルという途方もない経済振興奨励金でマイクロンを誘致した。だが、シラキュースに投じられる資金には不確実性が伴う。果たして、持続可能な経済変革につながるのだろうか? それとも、巨額の資金は一部に一時的な成長と雇用をもたらすだけで、地域の多くの人々は置き去りにされ、資金の出し手の市や州政府は後悔に苛まれることになるのだろうか?
テキサス大学オースティン校のネイサン・ジェンセン政治学部教授は、マイクロン誘致のために提供された資金は「途方もない金額だ」と言う。
マイクロンの投資はおそらく良質な雇用をもたらし、貧困にあえぐ都市にとって絶好の機会となるだろうが、地方や州の指導者は長期にわたって複数のリスクを管理しなければならないと、ジェンセン教授は言う。企業戦略は変化する可能性があり、特定の技術に対する市場の需要の高まりに賭けるには、20年という期間は長い。さらにジェンセン教授によれば、州政府や地域社会は、住宅や道路、学校に対する需要が順調に伸びたとしても、企業に手厚い優遇税制措置を提供することで、今後数十年間の収入源が制限されるという。ジェンセン教授は、これを「勝者の呪い」と呼ぶ。
アリゾナ州立大学のマリアン・フェルドマン教授(公共政策学)は、シラキュースにとっての難題は、うまくいく「確固とした手段」がないことだという。「私たちは、機械でソーセージを作るように、経済を開発できると思っています。多くの要素を揃えれば、すぐに生産的な経済成長が手に入ると思うかもしれませんが、実際はずっと難しいのです」と、フェルドマン教授は言う。
危険なビジネス
ライアン・マクマホンがオノンダガ郡行政責任者に就任した2018年、クレイの長年の夢だった工業団地計画は棚上げ状態だった。前任の行政責任者は、クレイを半導体工場に最適な場所として誘致していたが、手を挙げる企業は、20年間出てこなかった。マクマホン郡行政責任者は、敷地の拡張と改良に数百万ドルを投じることを決断した。
決断は、これ以上ないタイミングだった。2022年夏、CHIPS法が成立する前から、複数の半導体メーカーが米国内の工場用地を探し始めていた。マクマ …