御手洗光祐:「実用」にこだわり続ける量子アルゴリズム研究者
大阪大学基礎工学科助教の御手洗光祐は、量子世界の不思議と対峙しながら、開発途上の量子コンピューターを実用につなげるソフトウェアやアルゴリズムを模索している。 by Yasuhiro Hatabe2023.06.13
大阪大学基礎工学研究科の藤井研究室で助教を務める御手洗光祐が、「Innovators Under 35 Japan(35歳未満のイノベーター)」の1人に選ばれたのは2020年、26歳の時だ。NISQ(Noisy Intermediate-Scale Quantum Computer、ノイズがある中規模量子コンピューター)と呼ばれる量子コンピューターを機械学習へ応用するための世界初の量子アルゴリズム「量子回路学習(Quantum circuit learning)」の研究が評価された形だ。
大学での研究とスタートアップ創業
御手洗が量子の世界に興味を持ったのは中学生の頃。「特にきっかけはなく、なんとなく興味があった」という御手洗は、量子力学の授業を受けられるという理由で卒業後の進路に地元、愛知県の豊田高専を選ぶ。高専卒業後は大阪大学基礎工学科へ編入。学部での2年で量子コンピューターへの関心を強めた御手洗は大学院へ進み、核スピン量子コンピューターの研究で有名だった北川勝浩教授の研究室に入った。この研究室にいた頃に、共同でプロジェクトを進めていた藤井啓祐教授と出会い、また当時助教だった根来誠准教授の指導を受けながら研究を進め、2020年3月に博士号を取得、現在に至る。
博士課程在籍中だった2018年には、量子コンピューターのためのアルゴリズム、ソフトウェアを開発するスタートアップ「QunaSys(キュナシス)」の共同創業に参画した。現在はアドバイザーとして技術面から事業に寄与している。キュナシスでは、量子コンピューターの応用先として、量子機械学習、それから分子シミュレーションなどを実行する量子化学計算の2分野に注力している。「大学での研究で得られた知識や成果をキュナシスに還元していくことで、事業への貢献になっている」と御手洗は話す。
量子ビットが増えるとノイズも増える
量子コンピューターは、「量子重ね合わせ状態」や「量子もつれ状態」など量子力学特有の物理状態を利用して、従来のコンピューター(古典コンピューター)をはるかにしのぐ高速な計算ができるコンピューターだ。実用化すれば、産業や社会に大きな影響を及ぼすものとして期待されている。
しかしその量子力学特有の物理状態は外界からのノイズに弱く、計算の途中で量子重ね合わせ状態が壊れてしまうといったエラーが無視できない確率で発生する。この問題を解決するためには、大きく2通りの道筋が考えられる。1つはハードウェア側の対処で、エラーを訂正する「誤り訂正」というテクニックを用いて、エラーのない、もしくは無視できる程度のエラー率に収まる量子コンピューターを実現すること。もう1つは「ノイズ補償」という、ソフトウェア的にノイズを吸収してエラーを抑制する手法で、世界的に研究が進んでいる。ただ、誤り訂正のテクニック自体がまだ研究の途上にあり、ノイズ補償にしても吸収できるノイズの量には限界があることから、ハードウェアの性能が向上しなければ、意味のあるタスクを実行するのは難しいというのが現状だ。
御手洗がNISQ向けに考案した「量子回路学習」も、そのような開発途上の、理想には到達していない今ある量子コンピューターをいかに実用へつなげるかという研究の1つだ。量子回路学習は、「NISQデバイス上で生成できる量子状態を特徴量の保存に利用し、その特徴量をまた別の量子回路によって適切に選択して出力するアルゴリズム」である。ただ、ここへきて少し流れが変わりつつあるという。御手洗によると、「これまでは、NISQをどうやって使うか研究してきたが、現実に応用しようとすると難しいことが分かってきた」というのだ。何が「難しい」のか。
「量子コンピューターが古典コンピューターに性能で勝とうとすると、量子ビットが少なくとも50程度はないといけない。つまり、量子ビットを増やさないと量子コンピューターのパワーは上がらない。それなのに、それぞれの量子ビットにノイズがかかるため、ビット数が増えるほど性能は低下して単純なタスクしか処理できなくなってしまうのです」。
このジレンマを前に、「やはりノイズはなくさないといけない」という認識が世界的にも広がりつつあるという。
誤り訂正が実現した未来に備える
そこで今、御手洗が力を注いでいるのは、誤り訂正量子コンピューターの最初の世代が実現した時に、何ができるかを見積もり、その量子コンピューター上で動かすアルゴリズムを研究することだ。「具体的なアルゴリズムがないと、ハードウェアの研究者の人たちも何を目指せばよいのか分からない。『とにかく性能を上げる』ではなく、目指すところがあったほうがやりやすいということです」。
その意味で、ハードウェアの研究者とソフトウェアの研究者との連携は、量子コンピューターそのものの開発において重要だといえる。実際、御手洗は大阪大学で量子コンピューターを開発しているグループのメンバーや、2022年にIU35 Japanの1人に選ばれた鈴木泰成氏(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所)ともよく話をしているそうだ。
「実用」を重視した研究
「量子コンピューターの基礎寄りの研究、つまり『量子コンピューターはなぜ速く計算できるのか』といった原理にたどり着こうとする研究にも興味はあるし、できたら楽しいのかもしれない。ただ自分としては『実用』を見据えて、どうすれば実際に量子コンピューターというものが使えるようになるのかの研究に重きを置くよう心がけています」と御手洗は話す。
この考えは、キュナシスという営利企業での事業と並行して研究していることと無関係ではない。そして、キュナシスを通じて他の企業に在籍する研究者と話す機会は多く、ユーザー、ひいては社会の量子コンピューターに対するニーズを肌で感じ取れることは、研究にとってプラスに働いているという。
「量子コンピューターは、まだできてないといえばできていない。応用なんてまだ夢みたいな話かもしれない。それでも、具体的な問題で応用できることを示したい」
「今でも不思議」な量子の世界
御手洗が、研究者ではなく一般向けの講演などで量子コンピューターについて話す際は、「基本的に悲観的な話、まだ全然使えないという話をしてしまう」のだという。量子コンピューターは研究者ですらまだ分からないことが多く、クリアできない課題も山積みの領域だ。そのようなものに対して世間が盛り上がることは研究者にとってありがたいことである半面、現状に比して過剰にも思える期待を受けると反射的に悲観的な話をしてしまうのかもしれない。
それでも御手洗はこう言い切る。「量子コンピューターは、まだできてないといえばできていない。応用なんてまだ夢みたいな話かもしれない。それでもやっぱり、具体的な問題で応用できることを示すことが課題で、自分の中でやりたいと思っていることです」。
その動機の源はどこにあるのか。「突き詰めると、最初に量子力学の世界を知った時に『面白い』と感じたこと、その思いそのものが原点。重ね合わせの原理を面白いものだと思い、それを何か役立つことに使える道を探究するこの活動自体が面白いということだと思う」。
確かにそこにあるのに人の目で捉えられない量子の世界は、目に見える世界の物理法則とは異なる物理法則が支配している。「量子力学でよく出てくる二重スリット実験の話は何回聞いても不思議で。いまだに不思議なんですけど」といって御手洗は笑う。そのような不思議で満ちた世界に魅せられながら、量子コンピューターの実用を模索する研究は続く。
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この連載ではInnovators Under 35 Japan選出者の「その後」の活動を紹介します。バックナンバーはこちら。
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- 畑邊 康浩 [Yasuhiro Hatabe]日本版 寄稿者
- フリーランスの編集者・ライター。語学系出版社で就職・転職ガイドブックの編集、社内SEを経験。その後人材サービス会社で転職情報サイトの編集に従事。2016年1月からフリー。