薬剤耐性対策で「ファージ」がいま再注目される理由
細菌に感染するウイルス「ファージ」は100年以上前に発見されたが、抗生物質が広く普及したため見向きもされなくなっていた。だが、薬剤耐性の問題が深刻化する今、ファージが脚光を浴びつつある。 by Jessica Hamzelou2023.07.14
この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
常連の読者であれば、マイクロバイオーム(微生物叢)が記者のお気に入りのテーマの1つであることはご存知かもしれない。体中を這い回っている何十億個もの細菌は、私たちの健康において重要な役割を果たし、消化から免疫の健康、さらには気分まで、あらゆることに影響を及ぼしている。
しかし、私たちの体内に住み着くものは、他にもある。バクテリオファージ(略して「ファージ」)は、腸内細菌よりもさらに小さな微小ウイルスだ。これらのウイルスは細菌に感染し、その細菌を、自身の複製を量産する工場に変えてしまう。
ファージは100年以上前に発見された。すぐに、少数の科学者たちがその可能性に気づいた。このウイルスは細菌を殺せるため、多くの厄介な細菌感染症の治療に利用できる可能性があるのだ。
発見から数十年のうちに、抗生物質が広く普及し、ファージはほとんど見向きもされなくなってしまった。しかし、抗生物質が徐々に効かなくなり、薬剤耐性という致命的な脅威が大問題となっている現在、ファージ療法への関心が高まっている。しかし、私たちはファージについてまだまだ学ばなければならない。そして、ファージ療法を主流としていくには、私たちのウイルスに対する嫌悪感も克服しなければならない。結局のところ、あなたは小瓶に入ったウイルスを飲めるだろうか?
「嫌な要素がありますね」。英国サルフォード大学でファージを研究する微生物学者のクロエ・ジェームズ教授は言う。
ファージは、私たちに感染して病気を引き起こすインフルエンザウイルスやエボラウイルス、新型コロナウイルスとは異なる。人間ではなく、細菌にのみ感染するのだ。ファージと細菌は、一緒に進化を遂げてきた。細菌がいるところならどこでも、細菌に感染しているファージが見つかる。
実際ファージは、ほとんどどんな場所でも、見つけることができる。「ファージは驚くほど多様です。そして、地球上に最もたくさん存在する生命体です。なので、文字通りどこにでもいます」と、ジェームズ教授は言う。
多くのファージは、細菌に取り付き、中に自分のDNAを注入することで機能する。そこでDNAが複製される。最終的には細菌自体が破裂し、ファージが爆発的に放出される。しかし、すべてのファージが同じように機能するわけではない。一部のファージは、細菌のDNAに自分の遺伝子を挿入する。これで、細菌の複製能力が止まるかもしれない。あるいは、細菌にほかの能力を与える可能性もある。より致命的な病気を引き起こす能力や、抗生物質の効果に抵抗する能力などだ。
一筋縄ではいかないのだ。その理由の1つが、ファージは非常にたくさん存在するという点にある。また、どれもが非常に特異的に見えるという理由もある。例えば、ファージは特定の細菌株にしか感染しない。しかし、適切な細菌に対して適切なファージを見つければ、ファージ療法の可能性は大きく広がる。
庭の土やコンポストの中など、身の回りにいるファージを探すことを奨励する複数の市民科学プロジェクトが始まっている。また、バイオバンクに分類登録されているファージのほとんどは廃水から採取されたものだが、家庭で採取されたファージの中にも、飛び抜けて有用であるとすでに証明されているものがある。
南アフリカのクワズール・ナタール大学の学部生であるリリ・ホルストは、2010年にあるプロジェクトへ参加した。このプロジェクトは、学生たちにファージを見つけるよう促すために企画されたものだった。ホルストは、ほかの場所と共に両親のコンポストの中も探してみることにした。腐ったナスの裏側から剥ぎ取ったものの中に、科学的にまったく新しいファージが含まれていることが判明した。ホルストはそのファージを「マディ」と名付けた。
このファージは、特に厄介な病気を引き起こすことがある細菌の一種を殺す能力があることが分かった。それから約10年後、ロンドンに住む一人の10代の若者が両肺移植手術を受けた後、劇症型の多剤耐性感染症にかかった。医師たちは、この少女が生還する確率は1%と見積もっていた。そこで、医師たちは少女の命を救う最後の手段として、遺伝子操作されたほかの2種類のファージと共に、マディを注射した。少女は数日で回復し始め、数カ月後には退院して行った。それから数年の間に、マディは10人以上の人々の治療に使われた。この話は、近々刊行される予定のトム・アイルランドの著書『The Good Virus(良いウイルス)』に書かれている。
目的に対して適切なファージが常に簡単に見つかるとは限らない。しかし科学者たちは、別の可能性に取り組んでいる。例えば、ファージを操作して必要な遺伝子を組み込んで、特定の細菌に感染するようにできるかもしれない。あるいはウイルスそのものではなく、ファージが作る化学物質を利用する方が簡単かもしれない。ファージは、細菌細胞の壁に穴を開ける酵素を作り、細胞を破裂させる。そのような特定の酵素を使って人々を治療できるかもしれないと、ジェームズ教授は言う。
ファージが再び脚光を浴びる時が来たようだ。細菌の薬剤耐性は高まる一方で、すでに毎年数百万人が死亡する原因の1つになっている。英国では、政府が現在実施している調査において、ファージ研究に国が資金を追加提供するべきか検討されている。米国が運営する臨床試験登録機関には、ファージ療法に関する実施中の臨床試験が30件以上登録されている。また、先述のファージに関するアイルランドの著書は、この夏に出版される予定だ。
研究が進めば、克服すべき別の問題が出てくる。ウイルスを意図的に体内に入れるというアイデアは、ほとんどの人にとって特に魅力的なものではない。
とはいえ、細菌は近年、すばらしい宣伝の恩恵を受けている。私たちの多くは、健康な腸内マイクロバイオームがもたらす利益を知っており、多くの人が、スーパーマーケットで微生物入りの飲料を購入し、喜んで一気に飲み干している。ウイルスも私たちを虜にすることができるだろうか?
「ファージをあまり怖がらないようにし、ファージが私たちのためにできることに目を向ける必要があります」と、ジェームズ教授は言う。
MITテクノロジーレビューの関連記事
薬剤耐性細菌の増加は下水の監視によって追跡できる。詳しくはこちらの記事で取り上げている。
ウイルスだけではない。科学者たちは、遺伝子操作された細菌をがんなどの病気の治療に使えるかどうかということも調べている。
マイクロプラスチックが海鳥のマイクロバイオームを乱している。以前の記事にしたように、この事実は、あらゆる場所に存在するマイクロプラスチックが、私たちの体内に住む微生物にどのような影響を及ぼしているのかという問題を提起する。
微生物には、他にも多くの潜在的な用途がある。例えば、本誌のケーシー・クラウンハート記者が昨年記事にしたように、微生物を使って、環境により優しい航空燃料を作ろうとしている企業がある。
◆
医学・生物工学関連の注目ニュース
3人のヒトから採取したDNAをから胚を作る技術を使うことを唯一許可された英国のチームは、過去5年間にわたり実施してきた臨床試験について、極めて固く口を閉ざしてきた。しかし、英国の「受精・胚研究認可庁(HFEA:Human Fertilisation & Embryology Authority)」に対する情報公開請求により、この手法を用いて英国で「5人未満」の赤ちゃんが生まれたことが明らかになった。チームの広報責任者は、研究論文が査読中であるためコメントできないとした。(ガーディアン)
ヒトゲノムの新しい地図が、私たち一人ひとりを唯一無二の存在にしているDNAを解明してくれるかもしれない。パンゲノムと呼ばれるこの地図は、10年の年月をかけて作成された。(MITテクノロジーレビュー)
痛みと恐怖は切っても切れない関係にある。脳の中の記憶をターゲットにすることが、慢性的な疼痛の治療に役立つかもしれないことを、マウスを使った研究が示唆している。(ネイチャー・ニューロサイエンス)
乳がん検診は40歳から始めるべきだろうか? 公表された新たなガイドラインによれば、米国予防医学専門委員会はそう考えている。しかし、多くの医師や科学者は同意していない。(スタット)
研究者たちが遺伝子編集技術を使って野菜の風味を改善しようとしている。どうやら誰もがケールの味を好むわけではないらしい…(サイエンティフィック・アメリカン)
- 人気の記事ランキング
-
- These AI Minecraft characters did weirdly human stuff all on their own マイクラ内に「AI文明」、 1000体のエージェントが 仕事、宗教、税制まで作った
- Google’s new Project Astra could be generative AI’s killer app 世界を驚かせたグーグルの「アストラ」、生成AIのキラーアプリとなるか
- Bringing the lofty ideas of pure math down to earth 崇高な理念を現実へ、 物理学者が学び直して感じた 「数学」を学ぶ意義
- We saw a demo of the new AI system powering Anduril’s vision for war オープンAIと手を組んだ 防衛スタートアップが目指す 「戦争のアップデート」
- ジェシカ・ヘンゼロー [Jessica Hamzelou]米国版 生物医学担当上級記者
- 生物医学と生物工学を担当する上級記者。MITテクノロジーレビュー入社以前は、ニューサイエンティスト(New Scientist)誌で健康・医療科学担当記者を務めた。