VRに「匂い」をもたらすパッチ型のウェラブル・デバイス
中国の研究チームが、複数の匂いを再現するウェアラブル・デバイスを開発した。実質現実(VR)の世界で匂いが感じられるようになる日は案外、近いかもしれない。 by Tanya Basu2023.05.15
中国の研究チームが、実質現実(VR)に匂いを取り入れる新たな手法を開発した。使用するのは小さな無線のインターフェイスである。
VRで匂いを作り出すことは悩ましい問題だ。消費者向けのVRデバイスでは、そのせいで多くの環境を五感で体験できない。「VRの中で触れることはできます」と説明するのは、香港城市大学(City University of Hong Kong)生体医工学部の准教授で、ネイチャー・ コミュニケーションズに2023年5月9日付けで掲載された論文の筆頭筆者であるシン・ユウだ。「そしてもちろん、VRの中で見たり聞いたりすることもできます。でも、匂いと味わいはどうでしょうか」。
VRで匂いを作り出す試みはこれまでもあった。だが、何本ものワイヤーや、あちこちが汚れる液体、かさばる仕掛けを使うもので、家庭での使用には向かなかった。
この問題に取り組むため、ユウ教授と、共著者で北京航空航天大学のユアン・リー准教授(2人とも曲げられる電子回路の設計に詳しい)は、2つのウェアラブル・インターフェイスを開発した。1つは絆創膏のように鼻と口の間の皮膚に貼り付けるもので、もう1つはフェイスマスクのようにヘッドセットの下に装着して使う。
どちらのタイプのインターフェイスも、匂いをつけたパラフィンワックス入りの小さな容器が格子状に並ぶ、超小型の匂い発生器を用いる。ユウ准教授とリー准教授によると、パラフィンワックスの下にある熱源が作動するとワックスが熱くなり、1.44秒で実質的に複数の匂いを再現できるアロマキャンドルになる。体験が終了すると、銅製のコイルがマグネットを蹴り、ワックスを押し下げて冷却して香りを止める。
温度が高いほど匂いが強くなり、何の匂いか識別しやすくなるとユウ准教授は説明する。つまり、インターフェイスがかなり高温になる可能性があり、人間の皮膚に危険な60℃まで上昇し得る。だが、同准教授によると、このインターフェイスは、熱を逃がす「開放的な」デザインで、さらにシリコン片が皮膚とデバイスの間にバリアを形成するため安全だという。
11人のボランティアでテストしたところ、鼻と口の間のインターフェイスが鼻から少なくとも1.5mm離れていて、皮膚表面の温度が摂氏32.2度で人間の体温よりも低い温度である限りは、安全であると判断された。だが、やけどするほど熱いインターフェイスを顔に装着するのは不安で使いにくいことは分かるとユウ准教授は言い、リー准教授と共に、インターフェイスを低めの温度で動作させたり、冷却効率を上げたりする方法をテストしていると説明する。
VRでシームレスな嗅覚体験を作り出そうとしているのは、ユウ准教授とリー准教授だけではない。今年のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)では、OVRテクノロジー(OVR Technology)が、組み合わせて使う8つの「基本」アロマのカートリッジが入ったヘッドセットを発売すると発表した。
「これはとても楽しみな展開です」。シカゴ大学ヒューマン・コンピューター・インテグレーション・ラボの大学院生で、化学インターフェイスと匂いを研究するジャス・ブルックスは言う。「これらの試みは、どうすれば小型化し、汚さず、液体を使わないシステムにできるのかという、VRにおける匂いに関する最も重要な問題に取り組んでいます」。
昔から、アーティストたちは、エンターテインメントに香りを取り入れようと試みてきた。1960年、映画『スペインの休日(原題はScent of Mystery)』の上映で、最初で最後の登場を果たした「スメロビジョン(Smell-O-Vision)」は、物語の鍵になるポイントで空調を介して匂いを放出した。だが、匂いが出るタイミングが遅れたり、あまりにもほのかで気づかれなかったりして、試みは失敗に終わった。
これらの新たなインターフェイスは、VRの体験方法を変えるかもしれない注目すべき開発だ。嗅覚は強力な感覚であり、口が味を感知するときの前提条件でもある。その可能性は、バーチャルな花畑の香りを嗅ぐ、VRの食べ物の匂いを吸い込むなど、分かりやすいものから、あまり気づかれていない応用まで多岐にわたる。たとえば、香水メーカーは香りをバーチャルにテストできるかもしれない。
医療では、嗅覚を伴うVRは、嗅覚障害を持つ人の助けになる可能性があるとユウ准教授は言った。香りは、記憶に問題のある患者を治療したり、気分の改善にも役立ったりするかもしれない。ユウ准教授は、テストで抹茶の香りを使ったときに幸福感が高まった、と話してくれた。そして、匂いが記憶を呼び起こすことに気づいたという。「小さい頃、抹茶味のチョコレートをよく食べていたのです。包み紙を剥がしたときの匂いがすごく好きだったのを今でも覚えています」。
匂いの再現を目指すこれらの新しいインターフェイスの際立った特徴は、軽量、小型、無線であることだ。VRゲーム、プラットフォーム、特定のデバイスを直接使ったテストはされていないが、不恰好なワイヤーなしで使えるデバイスなら、絡まりにくく、かさばらず、高い没入感が得られるVR体験が実現するはずだ。
1つの欠点は、インターフェイスが限定的な範囲にとどまるのは変わらないことだ。ユウ准教授は、ローズマリーやドリアンなど、特徴がはっきりしていて認識しやすいということで選んだ30種類の香りを使った。しかし、現実の香りの多くは記憶に残りにくく、何の匂いか分からないこともある。さらに、小型化した匂い発生器は、まだ、既存のVRヘッドセットでスムーズに動作するようにプログラムされていない。「これをどうすれば市販のインターフェイスで使えるようになるのか、想像しがたいです」とブルックスは言う。
次の段階では、適切なタイミングで香りを放出する仕組みのテストも予定しているとユウ准教授は言う。また、自身が嗅覚について学んだことを、VRに味覚を導入する手法の開発に活かしたいと考えているとも語る。ユウ准教授はいつか、抹茶味のチョコレートをかじったときの感覚を再現できるようかもしれない。
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- 人間とテクノロジーの交差点を取材する上級記者。前職は、デイリー・ビースト(The Daily Beast)とインバース(Inverse)の科学編集者。健康と心理学に関する報道に従事していた。