教育特集へようこそ。私はエディターズ・レターで不正を働いてしまった。まさに今、お読みいただいているこの読み物のことだ。本当に申し訳ない。
こんなことをするつもりはなかったのだ。だが、雑誌というものは締切が厳しい。期日を破ってしまうと白紙のままのページができてしまう。だから締切まであと数時間しかないと気づいたとき、つい魔が差してしまったのだ。
そして最近、多くの人がやっているのと同じことをした。オープンAI(OpenAI)の驚異的な生成AIソフトウェア「チャットGPT(ChatGPT)」に助けを求めてしまったのだ。過去に自分が書いた文章を使って訓練させてから、チャットGPTに教育におけるAIの使用について尋ねてみた。
AIはすでに教育を大きく変えている。AIのアルゴリズムは、生徒の成績に関する膨大なデータを処理し、学習者一人一人が求めることに合わせて指導内容をカスタマイズできる。それによって生徒の成績は大幅に向上する可能性がある。チャットボットとバーチャル・アシスタントは、生徒をその場その場で支援してくれ、フィードバックもくれる。知能の高いアシスタントがいれば、教師は不要ではないか。
ただ、いちばん面白いのはここからだ。チャットGPTなどの言語モデルはまるで人間が書いたかのようなテキストを生成するので、さまざまな教育アプリケーションに見事に応用できるのだ。これらの言語モデルは、生徒の質問に答えたり、一人一人の生徒それぞれに合わせたクイズを作成したりするチャットボットなど、インタラクティブな学習教材を作成してくれる。複雑なテキストの要約だけでなく、データ・セットについてのレポートや、エッセー、まるごと1本の研究論文まで生成できてしまう。
もちろん、いくつか問題点もある。特に心配なのは、アルゴリズムが内包するバイアスのリスクだ。教育現場で使うアルゴリズムは、全生徒を公平に扱うように設計し、テストを重ねる必要がある。もうひとつは、当然ながらカンニングの懸念だ。
しかし、チャットGPTのようなAIと言語モデルが教育というもののあり方を変えつつあることは事実だ。私たちはこれらのツールを、倫理に則り、公平かつ効果的に使っていかなければならない。
ところで、チャットGPTが生成し、私が簡単に手を入れた前の4段落は、倫理的に問題はないだろうか。明示的な情報の開示もなく私の記事として掲載してしまった場合は(今回のように)、問題ありだと思う。また、たとえそのような開示を付記したとしても、グレーゾーンにあるということは変わらない。剽窃から正確度、モデルの訓練に使ったデータの精度まで、あらゆる種類の疑問がついて回る。
現実には、教育におけるAI使用についてはすべてが始まったばかりで、その意味するところは明らかになっていないし、当分はっきりしそうにない。世界は変わった。後戻りはできない。
MITテクノロジーレビューのAI担当編集者であるウィル・ダグラス・ヘブンが本号の特集記事で明言したように、チャットGPTなどのテクノロジーはさまざまな用途に使われ、教室で本当の意味で役に立ち、教育を一変させるだろう。もちろん、カンニングにも使われることもほぼ確実だ。しかし、この種のテクノロジーを活用することを考えず、教室から追放するのは近視眼的である。ペンシルベニア州の17歳の高校生ローハン・メフタも同様の主張をしていて、前進の道筋は、生徒にツールを試用させて信頼を示すことから始まると述べている。
一方、アリアン・カメネはデンマークの教室の事情を伝えてくれている。国内の若者の間でうつ病が急増しているため、生徒の気分を監視するアプリを使っているのだという。何世紀も前の文献の分析と理解を深めるためにAIがどのように活用され、人文科学の研究を変えたのかを示したモイラ・ドノヴァンの記事にも注目してほしい。ジョイ・リシ・ランキンは、コーディング学習ムーブメントの長い歴史に加え、多様性と包摂性に向けたその進化を深く掘り下げている。そして、カリフォルニア州のある学校について報告したスージー・ケーグルの記事もぜひ読んでほしい。生徒を山火事から避難させるのではなく、施設を強化して炎をやり過ごすことを選んだ経験からの教訓が示されている。
ほかにも盛りだくさんの内容だ。読むだけでなく考えるきっかけにもなれば幸いである。そしていつものように、意見や感想を寄せていただきたい。チャットGPTでコメントを生成するのもいいだろう。私は気にしない。