実はほとんど分かっていない、化学物質の人体への影響
生命の再定義

We’re inhaling, eating, and drinking toxic chemicals. Now we need to figure out how they’re affecting us. 実はほとんど分かっていない、化学物質の人体への影響

化学汚染物質が人体に悪影響を与えることは明らかだと思う人が多いだろう。しかし実際には、分かっていないことが多い。 by Jessica Hamzelou2023.04.21

この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。

化学汚染物質は、私たちの身体にどのような影響を与えているのだろうか。いくつかの理由から、私はこの問題について最近考えてきた。3月25日に米国ペンシルベニア州フィラデルフィアでは、化学工場からデラウェア川の支流に有害物質が流出したことを受けて、食料品店の棚からボトル詰の水が消えた。この川は、1400万人に飲み水を供給している。それに先立つ2月には、オハイオ州イースト・パレスティーンで、別の種類の複数の有害材料を積んでいた列車が脱線し、有害な化学物質が環境中に流出した。流出量は分かっていない。

3月末に、私はマイクロプラスチック汚染による潜在的な影響についても、複数の科学者に取材していた。ある研究チームは、プラスチックを誤飲した海鳥を調べ、その腸内マイクロバイオームが変化しているようだとの結論に達している。腸内のプラスチックの量が多い個体ほど、抗生物質に耐性を持つ細菌など、潜在的に有害な細菌や、プラスチックを分解できる細菌を多く持っていたのだ。科学者は、マイクロプラスチックがヒトにどのような影響を与えているのか、まだ解明できていない。マイクロプラスチックは、ヒトの血液、胎盤、そして便から見つかっている。早々に解明してほしい問題だ。

人類が地球を汚染していることは間違いない。こうした汚染物質が私たち自身の身体にどのような影響を与えるのかを知るには、人間が汚染物質にどのように晒されているのかを解き明かさなければならない。私たちはどの化学物質を吸い込み、食べ、消化しているのだろうか。そして、その量はどれほどだろうか。その解明を目指すのが、「エクスポソミクス」という分野だ。

「エクスポソーム(環境曝露)」は、数十年前に初めて使われた造語だ。その背後にあるのは、私たちの健康に影響を与える可能性があるあらゆるものへの曝露、つまり食品からの曝露も環境からの曝露も合わせて把握すべきという考え方だ。ヒトのゲノムがさまざまな病気の発症リスクに影響を及ぼすことはすでに分かっているが、それだけでは足りない。環境曝露も合わせて考えることで不足を補うべきなのだ。

あなたの想像通り、エクスポソミクスは非常に広範な分野であり、妊娠中の食事が胎児に与える影響から、構造的人種差別が人々の健康に与える影響まで、すべてが対象となる。しかし、ここではこの分野の中でも特に難しいものの1つに焦点を絞りたい。汚染物質への曝露についての研究だ。

カーメン・マーシットは、人間の化学物質への曝露を測定する方法について研究している。そして、化学物質が人間に影響を与えているのか、そうだとしたらどのように影響しているのかを見極めようとしている科学者の1人だ。マーシットは分子疫学者で、ジョージア州アトランタにあるエモリー大学のロリンス公衆衛生大学院で教授を務め、同学のハーキュリーズ・エクスポソーム研究センターを率いている。

マーシット教授は、化学物質やその分解生成物の痕跡を最も詳細かつ正確に調べるには、血液を見ればいいという。化学物質は、私たちの身体に入ると、すぐに別の物質に変化する。例えば、肝臓で酵素によって分解されたり、胃で胃酸によって分解されたりする。科学者は、どの分解生成物を調べれば、人体のさまざまな化学物質への曝露量を推定できるかを解明してきたが、全ての化学物質についてそれが解明されているわけではない。

マーシット教授は、「工場から環境中に化学物質が放出されると、化学物質は形を変えます」と言う。例えば、化学物質は水中で細菌や魚と反応することがある。また、空気中で太陽光やほかの化学物質と反応することもある。これは、特に燃焼した場合に見られる現象だ。こうした反応によって、新たな化学物質が生み出される。

科学者がさまざまな化学物質への曝露量を検査するには、ごく少量の血液、具体的には100〜200マイクロリットルの血液があれば良い。この程度のごく少量のサンプルでも、実験室でいろいろな検査ができる。ガスクロマトグラフィー、液体クロマトグラフィー、そして質量分析などの手法を通して、個々の化学物質やその代謝産物を血液サンプルから分離して、その重量から種類を特定できるのだ。マーシット教授はこのような検査の結果から、あなたが曝露した可能性がある化学物質のかなり詳細な一覧表を作れるという。現在では、1回の検査で数千種類の化学物質への曝露を確認できることもあるとマーシット教授は付け加える。

このような検査は、まだ一般人が受けられるものではない。しかし、複数の研究室が検査能力を向上させるために研究を続けており、研究者はさらに多くの種類の化学物質を検出する方法の開発に取り組んでいる。

マーシット教授は、新たな化学物質が次々と開発されており、企業では安全性について厳しく検査することなく使い始めることが常態化しているため、さらに多くの種類の化学物質に対応することが特に重要だとしている。「ほぼ毎日、新たな化学物質が市場に登場しているのです」とマーシット教授が言うほどだ。「特定の化学物質を測定できるようにするには、それがどのような化学物質なのか、そしてどのような物質が放出されているのかを理解する必要があります」。

こうした化学物質が健康に与える影響を理解するには、さらに多くの研究が必要だ。英国のインペリアル・カレッジ・ロンドンで大気汚染が健康に与える影響について研究しているイアン・マドウェイ主任講師は、低濃度の汚染物質への長期的な曝露の影響を解明しようとする研究はよくあるという。マドウェイ主任講師は、「喫煙について考えるようなものです」と表現する。「タバコを吸ってもすぐには死ぬわけではありませんが、有害物質の影響が長期的に累積していくことで(中略) 病気を招くのです」。

マドウェイ主任講師は、血液やその他の身体組織からその人物の化学物質への長期的な曝露を解き明かすのはとても難しいという。ほとんどの測定方法では、その人の短期的な曝露しかわからない。

一部の研究者は、一連の化学物質への曝露を計測し続けることができる個人用センサーの開発に取り組んでいる。このようなセンサーの一部、たとえば大気環境モニターなどは、すでに市販されている。しかし、マドウェイ主任講師もマーシット教授も、こうしたセンサーを使を使うことはない。

その理由は、この種センサーからはごくわずかな情報しか得られないからだ。大気環境モニターがあれば、特定の汚染粒子の濃度や部屋の中の空気の流れ具合はわかるだろう。しかし、こうした汚染物質が身体に侵入しているのか、しているとしたらどのように侵入しているのか、といったことまでは分からない。マドウェイ主任講師は、身体への侵入量は、呼吸回数、代謝の活発さ、そして空気に触れている肌の面積などの要因に依存するだろうという。「私が挙げた要因はどれも極めて重要なものです」。

より感度の高い検査法も開発されているが、これらは現在のところは研究室でしか使えず、あなたのかかりつけ医が使えるものではない。仮にクリニックで曝露試験ができるようになったとしても、その結果を見た後にどうしたら良いのかが分からないだろう。さまざまな化学物質への曝露量を測定する方法の解明は進んでいるが、私たちの健康にどのように影響する可能性があるのかを理解できるまでには、まだかなりの時間がかかるのだ。

マーシット教授は、「多くの種類の化学物質を対象に曝露量を測定することは可能です。しかし、どれほどの量までの曝露なら安全なのかということすら分からないこともあるのです」という。比較的理解が進んでいる汚染物質の安全基準を推定してみても、蓋を開けてみれば間違っていたという可能性もある。マーシット教授は、「私たちはよく安全基準を設定しますが、実際には安全基準はもっと低かったということがあります」という。

例えば、鉛について考えてみよう。米国疾病予防管理センター(CDC:Centers for Disease Control and Prevention)は、子どもの血中鉛濃度について「安全基準は存在しない」としている。ただしCDCは、血中鉛濃度参照値(BLRV:Blood Lead Reference Value)を設定しており、この値を上回れば医師による治療が必要だとしている。2012年、血中鉛濃度参照値は、血液1デシリットルあたり5マイクログラムに設定された。しかし、さらに多くの研究から、低濃度の鉛でも子どもの脳、心臓、そして免疫系に有害な影響を及ぼすことが示され、2021年には血中鉛濃度参照値が1デシリットルあたり3.5マイクログラムに引き下げられた。マーシット教授は、新たな知見が得られれば、血中鉛濃度参照値はさらに引き下げられる可能性があるという。

エクスポソームを理解するのは、不可能な課題であるかのように思われるかもしれない。マドウェイ主任講師の言葉を借りれば、私たちが挑んでいるのは、「24時間365日、あらゆる場所で、あらゆる化学物質」から受ける影響という、途方もないものを理解しようとしているのだから。

とはいえ、研究は順調に前進している。一部の研究チームは、特に病気にかかりやすい人々の集団に焦点を当てて、化学物質への曝露が何らかの形で影響していないかを解き明かそうとしている。また、特定の汚染物質の影響を実験室で調べている研究チームもある。それに、化学物質への曝露量を測定する検査法も、徐々に改良が進んでいる。汚染物質を放出している企業や団体に、これほど多くの化学物質を環境中に垂れ流すのをやめるよう説得することの方が、より難しい課題になるかもしれない。

MITテクノロジーレビューの関連記事

マイクロプラスチックを食べた海鳥は、腸内のマイクロバイオームが変化していた。私たち人間も、マイクロプラスチックを誤飲している。その量は、毎週クレジットカード1枚分にものぼるという推定もある。そのため科学者たちは、私たち自身のマイクロバイオームにどのような影響が生じている可能性があるのか知りたいと思っている。この件については、3月末に私が報告している。

米国における排出ガス規制において、米国環境保護庁は弱い権限しか持たない。昨年夏、ただでさえ弱い権限がさらに弱くなってしまった。米国最高裁が、米国環境保護庁には二酸化炭素排出量に上限を設定する権限がないという判断を示したのだ。この件については、本誌のケーシー・クラウンハート記者が報告している。

クラウンハート記者は、航空機からの二酸化炭素排出量を削減するテクノロジーについて探求してもいる。

残念ながら、大気汚染を減らすと、気候変動に思わぬ影響が生じる可能性がある。大気が綺麗になると、干ばつがさらにひどくなると示唆する研究があるのだ。この件に関しては、本誌のジェームス・テンプル編集者が2019年に報告している。

汚染を減らして、芸術を増やす。それを目標に立ち上げられたのが、グラヴィキー・ラボス(Graviky Labs)というスタートアップ企業だ。グラヴィキー・ラボスは、煤煙を回収してインクや絵の具に作り変え、芸術家に使ってもらうというシステムを開発した。この件に関しては、ロブ・マシソンが2018年に報告している。

医学・生物工学関連の注目ニュース

エムポックス(サル痘)は、再感染の可能性が極めて低いと考えられている。しかし、この男性は不運にも、たった数カ月の間に2回も感染してしまった。(ザ・ランセット

世界保健機関(WHO)は近いうちに、減量のための医薬品を「必須医薬品」に指定する可能性がある。そうなれば、貧しい国で暮らす人々も、より簡単に減量のための医薬品を使いやすくなる可能性がある。(ロイター通信

イタリア政府は、実験室で培養された肉やその他の「合成食品」の禁止を検討している。実験室で作られた食品がイタリアの食品やワインの質に達することはないと、禁止に賛成するある大臣は論じている。(BBC

英国では、アストラゼネカに対して数十人が訴訟を起こしている。アストラゼネカの新型コロナウイルス感染症ワクチンの接種後に、まれな副反応が現れたというのだ。およそ75人の原告が、接種を受けた後に血栓ができたとして補償を求めている。一部の例では、血栓によって脳卒中、心不全、または脚の切断に至っている。(BMJ

実質現実(VR)の中で、見知らぬ人と抱き合いながら眠りに落ちることはできるだろうか。本誌のターニャ・バス記者が、VR睡眠室の「居心地はいいが気味が悪い」世界を実際に体験して報告している。(MITテクノロジーレビュー