この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。
ある論争を呼んでいる治療法について、先日、長い記事を執筆した。3人の遺伝的な親を持つ赤ちゃんを作るという治療法だ。この「3人の親を持つ赤ちゃん」という手法は、両親から子どもへの病気の遺伝を防ぐ方法として活用できると考えられていた。しかし、常に成功するわけではなく、重篤な疾患を抱えた赤ちゃんが生まれてしまう可能性が、新たな証拠によって示されている。
その証拠となっているのは、遺伝性疾患ではなく不妊治療を目的として「3人の親」の手法を利用して生まれた2人の赤ちゃんの事例だ。問題が発覚したのがこの2人の赤ちゃんであったことは、不幸中の幸いだ。2人の赤ちゃんの両親は疾患を引き起こす突然変異を持っていなかったため、赤ちゃんの健康には問題がないとみられるからだ。
この結果は、ポジティブに捉えられる側面もある。「3人の親を持つ赤ちゃん」という手法が不妊治療に役立つ可能性を示す証拠が増えたことになる上、なぜ赤ちゃんがなかなかできない人がいるのか、解明する糸口にもなっているからだ。
長年にわたって、科学者は「3人の親を持つ赤ちゃん」という技術を不妊治療に応用する構想を馬鹿にしてきた。しかし、その態度が今、変わりつつある。その理由を探ってみよう。
まずは、復習からだ。「3人の親を持つ赤ちゃん」という技術の名前は、3人の遺伝子を用いて胚を作ることに由来している。私たちの細胞のDNAのほとんどは、核の中に存在している。しかし、ミトコンドリアにも、37個の遺伝子が連なって格納された第2の小さなゲノムが存在している。
ミトコンドリアは、細胞にエネルギーを供給する、小さな細胞小器官だ。ミトコンドリアは、核を取り巻く液状の細胞質の中に浮かんでいる。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は、母親から子どもにしか伝わらない。つまり、私たちのmtDNAは、すべて私たちの遺伝的な母親から受け継いだものだ。
ミトコンドリアの遺伝子には、疾患を引き起こす突然変異が存在していることがある。頻度は低いが、ミトコンドリア病は、複数の臓器に影響を与えることがあり、重篤な症状を引きおこすこともあり、死に至ることもある。卵子のmtDNAに突然変異があると、子どもが疾患を持って生まれてくる可能性がある。そのような子どもの中には、生まれてからすぐに亡くなる例もある。
その対策として科学者が開発したのが、ミトコンドリア置換法(MRT:Mitochondrial Replacement Therapy)だ。親となる人物の卵子の核と、もう1人の精子の核からそれぞれDNAを取り出し、別のドナーに由来するmtDNAを組み合わせて、胚を作るという考え方だ。それにはいくつかの方法があるが、どの方法でも両親の核のDNAをドナーの受精卵または未受精卵の細胞質に埋め込むという作業が必要になる。その結果、3人のDNAを持つ胚が誕生するのだ。
2016年、このような手法の一種を利用して生まれた初の赤ちゃんについて報じられた。ドナーの卵子から核を取り除き、そこに女性の核のDNAを導入したのだ。生まれてきた男児の母親は、リー症候群という疾患の原因となるミトコンドリア遺伝子を持っていた。この女性から最初に生まれていた2人の子どもは、リー症候群で亡くなっていた。しかし、この男児は健康に生まれてきた。
その後、他の医療機関もこの治療法の提供を始めた。英国のニューカッスルには、世界で唯一規制承認を受けてミトコンドリア病のカップルにミトコンドリア置換法を提供している病院がある。この研究チームは2017年に臨床試験を開始したが、結果は一切公表していない。
ミトコンドリアをめぐる混乱
一方で、ミトコンドリアは不妊の原因の1つではないか、と考える科学者もいる。米国では約10%の人が不妊だが、原因が明確には分からないことが多い。考えてみれば、ミトコンドリアは細胞にエネルギーを供給するという、重要な役割を担っている。そのため、ミトコンドリアが正常に働かなければ、細胞は分裂に必要なエネルギーを十分に得られないかもしれない。さらに、40歳を超えた女性の卵子のミトコンドリアは、膨張して異常が見られることがある。それが加齢に伴う不妊の原因の1つではないかと考えている人もいる。
2014年、オバサイエンス(OvaScience)という企業が、この考えに基づいて設計された技術を売り出し始めた。オバサイエンスは、別途採取したミトコンドリアを高齢女性の卵子のエネルギー生産に使うという体外受精(IVF:In Vitro Fertilization)の手法を開発した。しかしこの手法では、女性本人の幹細胞から採取したミトコンドリアを使用した。幹細胞は、「若い」状態を保っていると考えられているからだ。
オバサイエンスは、この治療法を「オーグメント(Augment:増強)」と呼んでいる。そして、不妊のカップルが男児を授かるのを助け、その男児は2015年に生まれたと主張している。極めて小規模ないくつかの臨床試験から、この手法はほかのカップルにも有効である可能性が示された。しかし、妊娠自体が悪名高いほど予測不能であるように、体外受精も悪名高いほど予測不能だ。長年妊娠できず、体外受精を数回試みて失敗していたのに、40代になって思いがけず妊娠したという話を、何度も聞いたことがある。さらに、オーグメントをより大規模な対照実験で検証すると、効果がないことも分かった。
こうした混乱が1つの理由となって、多くの科学者はミトコンドリア置換法が不妊に有効であるとは考えていなかった。2020年、ある産婦人科教授は、不妊治療にミトコンドリア置換法を使用している医師について、「効果が実証されていない不妊治療技術を、必死に妊娠を望んで出費も努力もいとわない人々に提供するという(中略)犯罪的行為に加担している」と表現した。
しかし、科学者の間での考え方が変わろうとしているようだ。新たに公開された論文によると、ミトコンドリア病に対してミトコンドリア置換法を使用することには、大きなリスクが存在する可能性がある。しかし、不妊治療においては、ミトコンドリア置換法を有望視できる結果が出ている。今では、ミトコンドリア置換法をいつどう使うべきか、考えを変えつつある科学者もいる。
この論文では、研究チームは、生まれ持った性別と性自認が一致し異性を愛している、不妊と診断された25組のカップルに対して、ミトコンドリア置換法を使用した。どのカップルにおいても、女性の卵子が不妊の原因であるようだった。合計すると、女性たちはそれまでに、体外受精で使用する卵子を集めるために排卵を刺激する治療を、159回も受けていた。女性はそれぞれ、平均で6回の体外受精に挑戦していた。こうした努力にも関わらず、どの女性も一切妊娠できていなかった。
サクセス・ストーリー
しかし、この女性たちには、ミトコンドリア置換法が奏効したようだ。研究チームは、女性たちから112個の卵子を採取でき、ドナーから提供された112個の卵子の細胞質を使用した。オックスフォード大学の生殖生物学者で研究チームの一員だったデイガン・ウェルズ教授は、これらの卵子は受精に成功し、正常な数の胚、つまり不妊ではない人とほぼ同数の数の胚が作り出されたと述べている。
合計19個の胚が16人の女性の子宮に移植され、うち7人の女性が妊娠した。1人は流産したが、残りの6人は健康な赤ちゃんを出産した。長年子どもを授かれず苦しんでいる女性にとっては、とても大きな成果となった。ウェルズ教授は、「ミトコンドリア置換法には本当に、根本的な原因をすべて治す効果があったようです」と語った。
この臨床試験は、ミトコンドリア置換法が不妊治療に実際に有効である可能性を示す証拠を示した、ごく初期の臨床試験である。しかし、その手順は、皆さんが想像したものとは違うかもしれない。この手法は「ミトコンドリア置換法」と呼ばれているが、実際には胚培養士は卵子の細胞質全体を取り替えている。細胞質はミトコンドリアのほかにも多くのものを含んでいる。例えば細胞質には、数千種類ものタンパク質が浮かんでいる。これらのタンパク質が受胎にどのように影響するのか、まだ分かっていない。
また、この臨床試験からは、ちょっと驚かされる結果も得られている。被験者に移植された胚のミトコンドリアは、どれもドナーから提供されたものだった。母親由来のミトコンドリアのDNAは、全体の1%に満たなかった。5人の赤ちゃんは、生まれた時点で微量ではあるが母親由来のmtDNAを依然として持っていた。
しかし、1人の赤ちゃんでは、母親由来のmtDNAの割合が大きく変化していた。生まれた時点で、この赤ちゃんのmtDNAのうち、ドナー由来のものは半分ほどにとどまっていた。残り半分は、母親由来だったのだ。この現象は「リバージョン(Reversion)」と呼ばれており、ウクライナのクリニックでミトコンドリア置換法を利用して生まれたもう1人の子どもにおいても観察されている。
ミトコンドリア病の遺伝子を持っていない人にとっては、これは問題ではない。しかし、ミトコンドリア病の対策としてミトコンドリア置換法に頼ったカップルでも同じことが起きれば、重い病気を抱えた赤ちゃんが生まれてしまう可能性がある。ベルギーのゲント大学で医療倫理を研究しているハイディ・メルテス助教授は、「この臨床試験がミトコンドリア病の患者を対象に実施されなかったことに安堵」していると言う。私も同感だ。
オックスフォード大学のウェルズ教授は、「ミトコンドリア病のリスクがないよう、意図して患者を選びました」という。「私たちは、その方が安全なやり方だろうと考えたのです」。
今では、その他の科学者からも、ミトコンドリア置換法の研究は、少なくとも何が起きているのかを理解して、潜在的に危険なリバージョンを確実に防ぐ方法などを見つけられるまでは、ミトコンドリア病の予防を目的とする人々ではなく、まずは不妊の人々を対象とすべきであるという声が上がるようになっている。
8年前、ゲント大学のビョルン・ヘンドリック教授は、ミトコンドリア置換法は不妊治療として使われるべきではなく、ミトコンドリア病の予防のみを目的に使われるべきであると論じる、数多くの著名な科学者の一人だった。ヘンドリック教授は、「しかし、この技術に対する私たちの見方は、少し変化しました」という。ヘンドリック教授は、今では逆の立場を取っている。つまり、ミトコンドリア置換法は、ミトコンドリア病の予防目的に使用する前に、不妊の人々を対象に研究を進めるべきであるというのだ。
ウェルズ教授が共同研究者と共に取り組んだ臨床試験からは、不妊に対するミトコンドリア置換法の効果についてははっきりとした結論を導き出すことはできない。まず、ウェルズ教授の臨床試験は、規模がかなり小さかった。そして重要なことに、対照群が設定されていなかった。ミトコンドリア置換法の結果は、同様の集団を対象に一般的な体外受精を試みたときの結果と、直接比較しなければならない。
オレゴン健康科学大学の胚生物学者で、オックスフォード大学のウェルズ教授と共同で研究しているシュークラト・ミタリポフ教授は、400人の被験者を対象にしたより大規模な臨床試験を計画している。ミトコンドリア置換法には、少しでも不妊治療の効果があるのか、あるとすればどれほどあるのか、よりはっきりと確かめることが目的だ。
ミトコンドリア置換法についてまとめると、いい話もあれば悪い話もあるということだ。ミトコンドリア置換法がミトコンドリア病の予防にはつながらず、重い病気のリスクがある赤ちゃんが生まれてしまう可能性があるというのは、懸念すべきことだ。しかし、子どもを授かれずに苦しんでいる人々を対象としたミトコンドリア置換法の臨床試験を通して、不妊の原因とその治療法がより明らかになれば、ミトコンドリア置換法には依然として大きな可能性があるということになる。
MITテクノロジーレビューの関連記事
ミトコンドリア置換法の臨床試験と、リバージョンが起きた2例については、この記事で詳しく報じている。
オバサイエンスのオーグメント手法とその失敗については、カレン・ワイントローブが2016年に記事にしている。どちらの記事も同じ月に公開されている。ここからも、この分野の進展の速さが窺えるのではないだろうか。
ミトコンドリア置換法は、トランスジェンダーの男性が自身の卵子で子どもを授かるための方法としても研究されている。初期段階のものではあるが、ある研究の結果からは、ミトコンドリア置換法を用いることで、本人の卵子からより多くの健康な胚を生み出せる可能性が示唆されている。この件については、私が昨年報告している。
ミトコンドリア置換法で生まれた赤ちゃんは、厳密には遺伝的な親を3人持つことになる。また、その他にも、遺伝的親を4人持つ赤ちゃん、または遺伝的親を一切持たない赤ちゃんを作り出せる技術の初期研究が進んでいる。私は、親であることの意味についての私たちの理解に対して、こうした新たな技術がどのように影響を与えるのか、チェックアップのバックナンバーで探っている。
不妊治療クリニックは、体外受精に使用できる健康な胚の作り方を見出そうとしている。あるバイオテック企業は、研究用の合成胚を作り出す方法を探っている。この件については、本誌のアントニオ・レガラード編集者が8月に報告している。疑問に思われた方に向けてお伝えすると、胚は「機械の子宮」の中で育てられている。
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