2017年版ブレークスルー・テクノロジー10:遺伝子療法2.0
生命の再定義

10 Breakthrough Technologies 2017: Gene Therapy 2.0 2017年版
ブレークスルー・テクノロジー10
遺伝子療法2.0

科学者が遺伝性疾患の治療を妨げてきた基礎的な問題を解決したことで、一部の希少疾患を治療できるようになった。今後は、同様の手法により、がんや心疾患等、一般的な病気の治療が進展するだろう。 by Emily Mullin2017.02.23

カーラ・ルックスが2015年の1月に二卵性双生児の男の子を産んだとき、ひとりが命に関わる遺伝子の突然変異を抱えていることがわかってもどうすることもできなかった。

生後3カ月で息子のレビーは「SCID(重度複合免疫不全症)」と診断された。感染症に対する体の抵抗力を失わせる病気だ。レビーの血液には病気と闘うのに不可欠な免疫細胞が少ししかなく、最後にはすべて失われ、免疫システムはまったく働かなくなると思われた。

カーラと父親のフィリップは自宅を必死で清潔に保ち、レビーの命を守ろうとした。飼い猫を手放し、あらゆるものの表面に殺菌スプレーを吹きかけ、双子の玩具を熱いお湯に入れた。フィリップは仕事から帰って来ると、手術用のマスクを着用した。

遺伝子療法2.0
  1. ブレークスルー アメリカ初の遺伝子療法。さらに多くが生まれようとしている。
  2. なぜ重要か ひとつの遺伝子の誤りから数千の病気が枝分かれするが、新手法で治療できる。
  3. キー・プレーヤー スパーク・セラピューティクス、バイオマリン、ブルーバードバイオ、ジェンサイトバイオロジックス、ユニキュア
  4. 実現時期 実現済み

最初、カーラとフィリップは、自分たちにはレビーに骨髄移植を受けさせる以外選択肢はないと思っていた。しかし、レビーに適合する骨髄は見つからなかった。そこで夫婦はボストン子ども病院の実験的な遺伝子療法について学んだ。レビーのような症状の子どもに、免疫システムを破壊する遺伝子を取り替える治療を施すのだ。

カーラは「私は、これは現実ではないと思いました。効くわけがないと思ったのです」という。

それでもルックス一家は2015年5月にミシガン州の自宅からボストンへ飛んだ。数日後、レビーは治療として血管への点滴投与を受けた。それ以後、レビーは普通の子どものようだ。しかも、双子の兄弟より大きく成長した。従来、SCIDをともなって生まれた赤ん坊は、おおむね2歳を過ぎるまでは生きられなかった。現在、レビー・ルックスのような患者は1回の治療で回復するようになったのだ。

研究者たちは数十年にわたって遺伝子療法の夢を追いかけている。考え方は明快だ。遺伝子に欠陥のある患者の体内に遺伝子操作したウイルスで健康な遺伝子のコピーを届けるのだ。しかし、最近までは成功よりも多くの失望が生み出されてきた。1999年、当時18歳だった肝臓に病気を抱えたジェス・ゲルシンガーが遺伝子療法の実験で亡くなって以来、遺伝子治療の研究は減速していた。

遺伝子療法のタイムライン

しかし現在、複雑なパズルが解かれ、遺伝子療法は命に関わる遺伝疾患を治療できるところまで到達した。遺伝性疾患に対するふたつの遺伝子療法(SCIDの一種に対するストリムベリス、血流中の脂肪の代謝不全を引き起こす病気に対するグリベラ)がヨーロッパ規制当局から承認された。米国では、スパーク・セラピューティクスの治療薬(進行性の失明の一種に効果がある)が最初に市販されるだろう。他の遺伝子療法も血友病の治療や表皮水疱症等、皮膚の病気の治療に向けて開発中だ。

希少疾患の治療は印象的だが、それは始まりにすぎない。小児科医で、初期の遺伝子療法をイタリアで主導し、ストリムベリスの基礎を築いたスタンフォード大学のマリア=グラシア・ロンカローロ教授は、研究者は、遺伝子療法の臨床試験を40~50のさまざまな病気について実施中だという。10年前と比べても少しの進歩だ。ある遺伝子によって引き起こされる病気の治療に加え、アルツハイマーや糖尿病、心疾患、癌など、研究者はこうした治療の、より一般的な病気への応用を視野に入れている。ハーバード大学のジョージ・チャーチ教授(遺伝学)は、いつか誰かが老化現象を抑えるために遺伝子療法を使えるようになるだろう、という。

初期の遺伝子療法は遺伝子を届けるメカニズムが原因で失敗することもあった。1990年、米国立衛生研究所の科学者によりSCIDの一種にかかっていた4歳の少女が治療を受けた。少女の赤血球を取り出し、そこへ彼女の欠陥のある遺伝子のコピーを挿入し、その後修正された細胞とともに彼女に注射したのだ。しかし、その後、別のSCIDの治療を受けた患者は白血病を発症した。新しい遺伝子素材と細胞内に遺伝子を運び入れるのに使われたウイルスがゲノムの間違った部分へ遺伝子を届けてしまい、それが何人かの患者の癌の原因となる遺伝子のスイッチを入れてしまったのだ。ゲルシンガーの例では、作用する遺伝子を細胞に運ぶのに使われたウイルスによって免疫システムが暴走し、複数の組織の不全と脳死を招いた。

遺伝子療法の研究者はこのような初期の課題を、細胞内により効果的に遺伝子を運ぶ新しい遺伝子素材としてウイルスを使うことで克服してきたのだ。

しかし、いくつかの課題が残されている。比較的稀な病気のいくつかに対する遺伝子療法が開発された一方で、複雑な遺伝的原因のある、より一般的な病気に対する治療はさらに難しい。SCIDや血友病等の病気であれば、科学者は対処すべき遺伝子の変異を正確に理解している。しかし、アルツハイマーや糖尿病、心臓疾患は複数の遺伝子が関係している。しかも、そうした症状のすべての人に、同じ遺伝子が関係しているわけではない。

とはいえ、カーラとフィリップ・ルックスにとって、遺伝子療法の成功は現実だ。自分たちの子どもの恐ろしい病を取り除ける、今までなかった治療法なのだ。