2021年2月のある夕方、ウーバー(Uber)のドライバー、ニラディ・スリカント(23歳)は、自分の中型セダンで新しいシフトに入る準備をしていた。南インドの都市ハイデラバード周辺で乗客を運んでいるスリカントは、本人確認のためにウーバーのアプリにログインしてスマートフォンでセルフィー(自撮り)を撮った。いつもなら簡単に終わる手続きなのに、その夕方はセルフィーが認識されなかった。
スリカントがその理由を思いつくのに時間はかからなかった。スリカントは、およそ560キロメートル離れたティルパティにあるヒンドゥー教の寺院を参拝し、剃髪して豊かな暮らしを祈願し、帰ってきたばかりだったのだ。
ウーバーのアプリが再試行を促したので、スリカントは数分待って、もう一度写真を撮った。また認識されなかった。
「予約のことが心配になりました。一定数の予約をこなしてインセンティブを得るという1日の目標があるからです」とスリカントは説明する。「時間を無駄にしたくないので、本人確認を終えて仕事を始めたいと思いました」。そこで彼は、もう一度試みた。今度は、2台目のスマートフォンを使って、寺院を訪れる前の自分の写真を撮影したが、ウーバーからアカウントがブロックされた。
これはスリカントに限ったことではない。MITテクノロジーレビューがインド国内のウーバー・ドライバー150人を対象にした調査では、約半数がセルフィーに問題があった結果、アカウントが一時的または永久に締め出された経験があると判明した。多くのドライバーは、ヒゲや剃髪した頭、散髪など、外見の変化が原因ではないかと疑っていた。また、別の4分の1のドライバーたちは、照明不足が原因だと考えていた。
スリカントは、2台目のスマートフォンに保存してある写真を撮るという一瞬の判断が、月500ドル以上の収入ある生計をゼロにしてしまったと考えている。その後、何カ月もかけてアカウントを復活しようと試みたが、無駄だった。結局、彼は故郷に戻らざるを得なくなった。いくつかの仕事を掛け持ちしているが、ウーバーで働いていた頃に比べれば、わずか10%程度の収入にしかならない。
インドで顔認識テクノロジーを使わなければならない労働者は、スリカントの他にもたくさんいる。インドにいる60万人のウーバー・ドライバーのほかにも、インドの配車プラットフォームのオーラ(Ola)、食品配達のスウィギー(Swiggy)やゾマト(Zomato)、美容師、セラピスト、配管工などの専門家を派遣するアーバン・カンパニー(Urban Company)といったスタートアップで働く人は多い。いずれも、労働者に自社プラットフォームへのログインと、本人確認のためのセルフィーのアップロードを求めている。
他の地域では、ギグワーカーが顔認識に反撃している。例えば英国では、少なくとも35人のウーバー・ドライバーが2021年、アカウントを不当に停止されたと訴えた。英国の独立系労組 IWGB(Independent Workers Union of Great Britain)は、「人種差別的アルゴリズム」と非難している。ウーバーはソフトウェアが原因で、英国で少なくとも2件の訴訟に直面している。
一部の国や地域では、ギグワーカーに対する保護を強化する動きがある。欧州連合(EU)は2021年、労働条件を改善し、アルゴリズムの透明性を提供する指令を提案した。また同年9月、ギグワーカーをカリフォルニア州法で保護されている従業員給付の対象から除外するという州の「プロポジション22」は住民投票で可決されたが、カリフォルニア州の裁判所は州憲法に違反しているとして無効にした。このような規制は、アルゴリズムを使ったシステムが「労働者の権利に悪影響を与える」可能性を認識している、とユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの博士研究員、ディビジ・ジョシ弁護士は話す。しかし彼によると、インドでは現在、ギグワーカーに対する法的保護がほとんどない。「インドでの政策や規制において、こうした透明性への取り組みは見られません」(ジョシ弁護士)。
問題が解決されず、保護手段が限られたままであれば、仕事だけにとどまらず非常に大きな範囲に影響 …