シリコンバレーの伝説的なベンチャー・キャピタル(VC)であるクライナー・パーキンス(Kleiner Perkins)の従業員だったエレン・パオが、同社を相手取って性差別訴訟を起こしてから、丸10年が経つ。パオの訴えの2年後、ゲーム内での女性差別・嫌悪運動である「ゲーマーゲート」が起こり、それに続く「#MeToo」運動ではテック業界の著名なビジネスマンたちの看過できない悪行も発覚した。これらは、長らく放置されてきたテック業界に蔓延する性差別、人種差別、そして経営幹部としての資格の欠如を世間に知らしめることになった。こうした出来事は、テック業界の性差別問題にどれほどの影響を与えたのだろうか。
確かに、洗練されたデザインの「ダイバーシティ報告書」が多数発表され、女性として初めて数学の博士号を取得した計算機科学者グレース・ホッパー博士のマグカップが1万個作られた。だが、最も顕著な変化は、テクノロジー分野自体の規模と富だ。2022年に株式市場全体が弱気に転じたときでさえ、大手テック企業5社の時価総額の合計は8兆ドルに達していた。テクノロジー分野の巨万の富と、女性、LGBTQ+、および人種的少数派の権利を守るために取り組んでいるという各企業の自画自賛にもかかわらず、テクノロジー分野は依然としてほぼ異性愛者の白人男性の世界であり続けている。大企業の技術職に占める女性の割合は、以前よりは高くなったものの、それでも25%という痛ましいほどの低水準にとどまっている。社会的に疎外されたジェンダーを対象としたプログラミング教育は拡大し、トップクラスのコンピューター科学を専攻する女性の数は増加している。それでも全体的に見ると、特に有色人種の女性の数はまだ少なく、離職率も高いままだ。
こうした差別的なシステムを改変するための負担の多くは、もっぱら女性自身に課せられてきた。プログラミングを学び、STEM(科学、技術、工学、数学)を専攻し、より自己主張するよう女性は奨励される。メタの前最高執行責任者(COO)シェリル・サンドバーグは、2013年のベストセラーとなった著書『LEAN IN(リーン・イン)女性、仕事、リーダーへの意欲』(2013年、日本経済新聞出版社刊)の中で、女性に対して、男性と同じように行動することで、もっと積極的に、より多くを要求するよう促した。
自信に溢れた男らしい態度だけでは、構造的なハードルは克服できない。特に、子どものいる技術者にとってはなおさらだ。新型コロナウイルス時代に広く採用されたリモートワークは、技術者の仕事環境の向上にはつながらなかった。デロイトの最近の調査によると、テック業界で働く女性の大多数が、パンデミック以前よりも自分の今後のキャリアについて悲観的になっていることが分かった。仕事と生活のバランスがうまくとれないため、10人中6人近くの女性が転職を考えている。また、20%以上が技術職そのものからの離職を考えているという。
アマゾン、アップル、グーグル、マイクロソフトは、最高経営責任者(CEO)のバトンを男性から男性へと受け継いできた。それに比べてテック業界の女性といえば、前出のサンドバーグは2022年6月にCOO退任を発表し、血液検査企業セラノス(Theranos)のCEOだったエリザベス・ホルムズは詐欺罪で有罪判決を受けている。一瞬の盛り上がりを見せた「#GIRLBOSS(ガールボス)」は、ジェフ・ベゾスのように宇宙服にカウボーイハットをかぶって宇宙に飛び立つテック業界の大御所の男らしさを誇示するパフォーマンスに取って代わった。
「ロー対ウェイド判決(編注:1973年に下された、中絶を合衆国憲法上の権利として認める判決)」を覆す連邦最高裁の判決後、大手テック企業は中絶のために他州へ行く必要がある従業員に、費用を負担することをいち早く発表した。しかし、判決そのものについての立場を表明することは控えた。メタは、社員が社内掲示板でこの件について話すことを妨げ、当時現職のCOOだったサンドバーグがこの判決を嘆くソーシャルメディアの投稿を一般公開することさえ制限した。妊娠中絶の権利とそれを擁護する女性たちへの支援は、その程度の限定されたものだった。
テック業界のジェンダー問題の多くは、米国企業全体の問題でもある。女性、特に有色人種の女性は、どの分野でも経営幹部層の人数は著しく少ないままだ。しかし、テック業界は、これまでの人と違うことを考え、世界を変え、悪事を働くことなく稼ぐことを約束した業界だ。また、技術系の女性を数多く雇用してきた長い歴史もある。
ソフトウェア・プログラミングはかつて、ほぼ完全に女性の職業だった。1980年には、シリコンバレーのプログラミング職の70%を女性が占めていた。今や、その比率は完全に逆転している。かつてシリコンバレーのハードウェア組立ラインでは、女性技術者が男性労働者を2対1以上の比率で上回っていた。そのような仕事は現在、ほぼすべて海外に移ってしまった。1986年には、コンピューター科学の学士号を取得した学生のうち36%が女性だった。それ以降、女性の割合が再び同じ水準に達することはなかった。
教育パイプライン、ギークに対するステレオタイプな見方、テック業界が長年依存してきた従業員の紹介による採用(リファラル)、テック業界はジェンダーにとらわれない「能力主義」という根強く残る虚構など、多くの要因が男性優位に寄与している。
だが、テック業界のジェンダー問題の中核にあるのは、やはり「マネー」だ。
テック業界は、時には個人に莫大な財産をもたらしてきた。そのほとんどは、男性である。テック企業の幹部たちは、人類史上最も裕福な人になっている。現在、テック業界で最も裕福な20人のリストに登場する女性は2人だけだ。1人は男性テック億万長者の未亡人、もう1人は元妻である。
VCの運用は以前から変わらず、テック業界のエコシステムの中で最も多様性に欠ける領域だ。白人とアジア系の男性が、投資の意思決定責任者の78%を占め、ベンチャー企業への投資額全体の93%を管理している。数年前と比べて女性主導の投資ファンドが増えたとはいえ、大半のVCでは、ゼネラル・パートナー(無限責任出資家)やファンド・マネジャー(自主的な判断ができる運用責任担当者)に女性は皆無のままだ。
VCでそのような職務に就いている数少ない女性は、ほぼ全員が白人だ。米国VC業界は、2021年に1万7000件を超える取引を実施し、過去最高となる3290億ドルを投資した。この記録的な投資額のうち、女性が創業したスタートアップへの投資は2%に過ぎず、2016年以来最低の水準だった。黒人の女性創業者がいるスタートアップへの投資は、2021年上半期にVCが投資した額の0.004%未満だ。
投資家や創業者の多様性の欠如は、広範囲に影響を及ぼす。誰が金持ちになるかを決定するだけではない。テック企業が解決しようとする課題の種類、開発する製品、サービスを提供する市場の方向も決めてしまうのだ。
現在のVCに見られる図式は、70年以上かけて作られてきたものだ。それが、この図式を解消するのを難しくしている理由の1つだ。そして、より厄介な別の問題がある。米国のテック産業創成期から継続している成功の秘密が、ベンチャー企業の多様性、そして一般的な技術者の多様性を妨げることにあるからだ。
始まり:「限りない未来」
テック業界における女性にとっての黄金期は、実は一度もなかった。女性中心の仕事は、賃金も評価も低いことが多く、代わりはいくらでもいると思われていた。女性が男性と同じ仕事をしても、男性優位の企業社会では、珍しくて風変わりな存在と見なされた。
1935年、IBMのトーマス・ワトソン・シニアCEOは、新規顧客の技術サポートを提供する「システム・サービス・ウーマン」の第一期生として35人の大学新卒者を採用し、大々的にアピールした。男性も同じ職に就いたが、女性だけが入社して最初の1週間、初舞台を踏む女優のように、花束とワトソンCEOが主催するフォーマルなディナー・ダンス・パーティでもって歓迎された。
1940年代に戦時中のコンピューター・プロジェクトをプログラムした女性たちは、当初「オペレーター」と呼ばれ、その仕事は全米の電話交換機の前に座っていた数千人もの頭の回転の速い女性たちとほとんど変わらないように思われていた。1950年代初頭にプログラム・コンパイラー(女性によって発明されたテクノロジーと用語)が登場すると、携わる労働者は「コーダー」と呼ばれるようになった。この言葉は、プログラミングを機械的なもの、実質的に速記的なものとする根強い誤解を反映している。
同時期に、IBMはニューヨーク市にあった本社のロビーにメイン・フレーム・コンピューターを設置し、女性プログラマーを雇って通行人の目に留まるところで仕事をさせた。そうすれば、メイン・フレームが「簡単なものに見えて、男性が買ってくれるだろう」とある上司は女性の新入社員に説明した。
一方、企業は男性の技術者を積極的に採用し、高い給与と将来の昇進を約束した。1950年代後半から1960年代前半にかけて男女別に分かれていた男 …