ジェンダー・ニュートラルな絵文字を描くアドビのタイプ・デザイナー
アドビのタイプ・デザイナーであるポール・D・ハントは、いまや世界共通言語となった絵文字をより包摂的で、性差別的ではなく、人間の経験をよりよく反映したものにしたいと考えている。その新しい提案は広がりを見せている。 by Tanya Basu2022.09.05
絵文字(emoji)の選定と標準化を担う非営利団体「ユニコード・コンソーシアム」の絵文字小委員会は、多様なジェンダー・アイデンティティ(性自認)を反映した新しい絵文字のラインナップを発表した。ポール・D・ハントの功績である。ハントは2016年以来、絵文字をより包摂的で、性差別的ではなく、人間の経験をよりよく反映したものにするよう提唱してきた中心人物だ。
- この記事はマガジン「量子時代のコンピューティング」に収録されています。 マガジンの紹介
絵文字に見られるジェンダーの固定観念を払拭するために戦うことは、さほど重要なことではないように思えるかもしれない。だが考えてほしい。1999年に栗田穣崇によって発明された絵文字は、当初の176種類のシンプルなアイコンから、現在では3633種類(2021年9月時点)のより詳細な画像へと発展している。ますます多くの人々が携帯電話を手にした今、テキスト・ベースのコミュニケーションに豊かな表現を添える絵文字は世界中で日々利用されているのだ。
絵文字におけるジェンダー・インクルーシブの戦いは、ノンバイナリーでトランスジェンダーであるハント個人にとっても重要なことだ。ハントは、言語学と芸術をベースにした専門教育を受けたタイポグラファーであり、デザイナーでもある。多様な性自認を反映した絵文字を制作・消費する意味について考えるのに、これほど適した人物はそういないだろう。
ハントの「言語、アルファベット、デザイン、文化」への興味のルーツは、アリゾナ州ナバホ・ネイションのモルモン教徒のコミュニティにある、小さな町で過ごした子ども時代にある。大学では国際ビジネスの学位を修得するつもりだったが、デザインに転向した。ハントは、ニューヨーク州バッファローの活字鋳造所でインターンをしながら、タイポグラファーのネット・コミュニティ「タイポハイル(Typophile)」で活動し、文字を描いたりフォントをデザインしたりして過ごした。レディング大学(英国)でフォント・デザインの修士号を取得し、アドビのタイプ・デザイナーとして非欧文フォントを専門に扱う第一人者となった。
しかし、ハントが最も高く評価されたのは、絵文字小委員会における活動だった。ジェンダーと絵文字に関するハントの考え方は、意外なところから影響を受けていた。『ル・ポールのドラァグ・レース(RuPaul’s Drag Race)』である(日本版注:LGBTG向けのテレビ・チャンネルで放送されている米国のリアリティ番組)。
ハントはドラァグ・レースを見始めた頃、出場者たちの派手さに目を丸くしていた。「ル・ポールは、わざとらし過ぎると思っていました。ドラァグ・クイーン(女装でのパフォーマンス行為の一種)というものをよく理解していなかったのです」とハントは言う。しかし、ハントの夫が番組のファンだったことから、ハントはこの番組を見始め、出場者たちが従来のジェンダー・ロール(性役割)や固定観念を拒否することに感動し、ますます番組に引き込まれていった。その結果悟ったのが、「ジェンダーはパフォーマンス」だということだ。私たちは毎日、「男性的か女性的かにかかわらず、どちらかの外見になるように自分自身を傾ける」選択をしているとハントは説明する。「そして、男性的、女性的とはどういうことなのかを、自問するようになったのです」。
絵文字には、男性らしさ(ひげ、口ひげ、短髪)と女性らしさ(ネイル、長髪、スカート)を表す古典的なシンボルでジェンダーを分類する傾向があった。ハントはこれを窮屈で、不快であるとさえ感じていた。なぜ看護師は女性で、警察官は男性なのか。なぜ、ネイルを塗ったり、ダンスをしたりといった「軽い」活動が女性らしいと描かれ、建設業のような「重い」活動が常に男性らしいと描かれているのか。なぜ、このような頑固なジェンダー・イメージがあるのだろうか。
ハントはどうにかしたいと考えた。ハントはこの時すでに、デザイナーや業界の専門家からなる絵文字小委員会の一員だった。絵文字小委員会は、ハードウェアやソフトウェア企業と協力して、あらゆるデバイスで絵文字を読みやすく、ユニバーサルなものにする活動をしている。そして2016年、ハントはジェンダー・インクルーシブな絵文字を推進するための提案書を提出した。ハントは「ジェンダー・インクルーシブな絵文字」を、「明らかに男性的または女性的という固定観念を排除し、すべてのジェンダーに共通する視覚的な手掛かりを採用した、人間的な外観」と定義している。
画期的な提案だった。多くの人にとって絵文字はかわいらしく、テキストに対するシンプルな付加要素であり、人文主義的なものでもなければ、政治的なものでもなかった。ハントにもそれは分かっており、委員会の運営メンバーからは懐疑的な意見もあったと控え目に認めている。デザイナーの中からは、グーグル・チャットでは黄色の丸い塊を使うことで、ジェンダーや人種を表現しないようにしているとの話も出た。こうした絵文字がうまくいくこともあるが、ハントはそうした対応に違和感を覚えた。なぜ絵文字は、抽象的な表現に頼らずに、人間が持つ経験をもっと細かく表現できないのだろうか。
ハントの提案は、現在、絵文字小委員会の委員長を務めているジェニファー・ダニエルという理解者を得た。ダニエル委員長は、表現の手段としてのシンボルを包摂的かつ創造的に使用することを推奨する時代の先駆的役割を果たしており、絵文字を言語学的に再定義することに貢献している。
ダニエル委員長は、小委員会に参加した2018年当時、「ハントが提案したジェンダー・インクルーシブな絵文字は、きちんとした支持を得られていませんでした」と言う。ダニエル委員長はハントの提案の実現を強く推進し、ジェンダー・ニュートラルな絵文字を作るためのガイドラインも公開した。
言葉では表現できないことがあるからこそ、ハントにとって絵文字は強力な表現手段なのだ。サンフランシスコに住んでいた頃、将来、夫となるオーストラリア人と出会った時のことを思い出してハントはこう話す。「誰かと知り合うと、共通のストーリーを一緒に築き、ちょっとした自分たちだけが分かる言語を作り上げるんです」。ハントとハントの配偶者にとって、その言語にはキラキラと光るハートの絵文字が含まれており、それは芽生えつつある関係の「シンボル」となった。「その絵文字は、私にとってとても大切なものでした」とハントは言う。「今でもそうなんですよ」。
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- ターニャ・バス [Tanya Basu]米国版 「人間とテクノロジー」担当上級記者
- 人間とテクノロジーの交差点を取材する上級記者。前職は、デイリー・ビースト(The Daily Beast)とインバース(Inverse)の科学編集者。健康と心理学に関する報道に従事していた。