巨大銀行や大企業は、デジタル通貨のためにブロックチェーンを研究しているわけではない。信頼性が必須の通貨が扱える分散データベースなら、他のデータも扱えるはずだ、と考えているのだ。
ブロックチェーンはビットコインを実現する分散データベースとして生まれたテクノロジーだ。しかし、ビットコインは通貨として主流になれないのは確実だ。たとえば昨年3月には大規模な障害が発生し、当時約2万件のビットコインの取引が処理待ち状態になり、1秒間に最大7回までしか取引を処理できない仕様上の限界が顕在化した。
今年初め、ビットコインは初めて1BTCあたり1000ドルを突破し、2017年2月中旬時点でも同水準を維持している。だが、採掘済みビットコイン約1616万コインの時価総額は約160億ドルに過ぎず、トリニダード・トバゴ共和国(カリブ海に浮かぶ千葉県ほどの大きさの島国)のマネー(現預金)の総額168.1億ドル(2016年12月)程度の存在感しかない。米中央情報局(CIA)のワールド・ファクトブックによれば、全世界のマネー(2016年12月31日時点)の総額は約97兆ドルであり、ビットコインの時価総額は約0.02%分(日本円の総額は約9.2兆ドルで全世界のマネーの約12.83%を占める)でしかないのだ。また、ビットコインを上限の2100万コインまで採掘しても、総額は215.5億ドル程度で、コスタリカ通貨コロンのマネー総額分にしかならない。ビットコインが世界を作り替える通貨になることなど、決してあり得ないのだ。
では、世界中の有力銀行が、なぜ「ブロックチェーン・テクノロジー」を検討中なのだろうか? たとえば、スペインのサンタンデール銀行は、ブロックチェーンによって銀行業界は年間200億ドルの費用を削減できると予測している。つまりブロックチェーンは、分散データベースであること(低コスト)と、データの改ざんが不可能であること(高セキュリティ)で注目されているのだ。
ブロックチェーンは中央コンピューターが不要の分散データベースであり、銀行は巨費を投じてハードウェア・メーカーからコンピューターを購入せずに済む。通貨や債権、デリバティブなど、従来からある金融資産の取引を、分散データベースで記録できれば、大幅にコストを削減できる可能性がある。
ただし、取引の記録は間違いなく残しておく必要がある。監督機関に提出を求められたとき、改ざんできるシステムでは役に立たない。その点、世界中のコンピューター・ネットワークによって維持される公開台帳(public ledger)に取引履歴が記録されるブロックチェーン方式なら、取引記録の正確さは暗号によって検証され、改ざんされていないことが原理的に証明できる。
魅力的な仕組みではるが、銀行は自前ではブロックチェーン型システムを開発できない。この点に目を付けたのがソフトウェア企業だ。たとえばマイクロソフトは、自社のクラウド・コンピューティング・サービス「アジュール」上で動作するブロックチェーン型のシステムを金融業界向けに試験提供している。また、スタートアップ企業数社と提携し、銀行等の大手企業向けにブロックチェーン・ソフトウェアを開発中だ。
コンサルタント会社アクセンチュアが作ろうとしているのは、いわゆる許可型ブロックチェーンだ。招待を受けて初めて参加できるブロックチェーンで、複数の銀行が関心を持っているという。ビットコインのような許可不要のブロックチェーンは、編集できないがゆえに、改ざん不可能な取引記録が提供される。しかし、純粋なブロックチェーンにはシステムの根幹を脅かす問題があっても、修正されない可能性がある。アクセンチュアは、編集可能なシステムであれば、取引記録が改ざんされていないことを保証しつつシステムを維持できるため、企業向けにはこの方法が適している、と考えているようだ。
一方、イギリスの中央銀行であるイングランド銀行は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者に、中央銀行が通貨供給量を制御できるなど、通貨全体の管理権がある、改良型のビットコイン「RSコイン」を研究させている。
RSコインには従来の金融システムを継承する特徴があり、ビットコインよりも発行できる通貨の総量を増やし、元帳の制御権を中央銀行が握り、取引そのものは大手銀行に委託する。ただし、この仕組みを先進国で導入することはいまのところ考えていないようだ。金融システムが未整備の発展途上国では、そもそも中央コンピューターに取引記録を残す先進国型の金融システムを今から構築するのは無理がある。であれば、コストがかかりにくい分散データベースとスマホで使える電子マネーを組み合わせる方が現実的、というわけだ。
NEC FinTech事業開発室の岩田太地室長は、インドを例に発展途上国の金融システムの実情をこう説明した。「民主主義国であるインドには一定期間働くと年金を受け取れる制度があります。しかし、読み書きでない人も多く、最寄りの銀行まで歩いて何時間、といった場所に住んでいれば、現金を持ち帰るのは危ない。この環境でも国民IDと指紋認証を組み合わせることで、年金の受取りを電子化できました。インドはかろうじて中央に大きなデータベースのある従来型のシステムを構築しましたが、それはITに強いインドだからです。これから発展する国では、国中にネットワークを引き、データセンターを構えて、銀行システムを構築するのはコストや構築保守面で無理がある。だからこそ、ブロックチェーンと生体認証の組み合わせが重要なのです」
フィンテック以外のブロックチェーン
NECの岩田室長は、ブロックチェーンの価値は「本人確認と医療、保健を含む履歴確認、情報の所有権をユーザー側が握るプライバシー」にあるという。たとえば内戦で国民の財産や出生届(本籍)などを保管するデータセンターが失われれば、どこの誰でどんな教育を受け、どんな資産を持つのかは第三者に証明できなくなる。ブロックチェーンであれば、世界中のどこかにデータが残る可能性があり、生体認証と組み合わせれば、本人が生きてさえいれば自分のデータにアクセスできる。
実際、ケニヤのダダーブ難民キャンプで、住民が支援機関とのやりとりを通して経済上の身元を確立するのをブロックチェーンで支援するプロジェクトがある。また、WebサーバーApacheの開発に関わったブライアン・ベーレンドルフは現在、ブロックチェーンのオープンソース開発を支援する非営利団体「ハイパーレッジャー・プロジェクト」を率いている。ハイパーレッジャーは2016年10月、保健医療分野でプロジェクトを提案する作業グループを形成した。患者が自身の医療記録を医療提供者間で転送しやすくすることをテーマに掲げている。
ハイパーレッジャーはブロックチェーン型ソフトウェアの開発を加速するための組織であり、IBMやJ.P.モルガン、エアバス等、約100社が支援している。ベーレンドルフは、ブロックチェーンには大企業の事業領域以外にも用途があるという。政府に提出する書類をブロックチェーンでやり取りできるようにすれば、同じ申請なのに所管の省庁別に異なる書式の書類を用意するような無駄を排除したり、必要な情報だけを、申請者が指定した省庁にだけ転送したりする仕組みを構築し、行政を効率化できるかもしれない。
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ブロックチェーンで、インターネットそのものを置き換える構想もある。今年1月、ベンチャーキャピタルから400万ドルの資金を調達したブロックスタック(Blockstack)は、ユーザーが自分のデータを管理できる新しいWebを作り出すオープンソース・ソフトウェアを開発している。
ブロックスタックの構想は自社を含むどの企業からも独立して構築されたIDシステムによって実現される。システムは、ブロックチェーンでユーザー情報を保持しており、グーグルやフェイスブック、アマゾンなど、巨大なインターネット企業に登録されたアカウントを使い回し、結局はどのユーザーがどこでどんな行動をしているか記録されている現在のインターネットへのアンチテーゼになっている。
ブロックスタックは、既存のWebブラウザーから、新しいデジタル領域で構築されたサイトやアプリを閲覧できるソフトウェアを2017年下期にはリリースする予定だ。新しい世界でも、リンクをクリックしたり、アドレスを入力したりして、友だちとチャットしたり、買い物したりできる。ただし、グーグルやフェイスブックのように、各サイトで別のアカウントを作る必要はない。ブロックスタックのシステム上に構築されたサイトのユーザーは、自身で自分のアカウントを管理できる。ユーザーは、自分だけに管理権があるプロフィールへのアクセス権をサイトに許可することで、そのサイトにアカウント情報を提供するのだ。サービスの使用を中止するときは、プロフィールやデータへのアクセス権を取り消し、また別のサイトにアクセス許可を与える。個人データの完全な制御権をユーザー側に戻すのがブロックスタックの構想だ。
ブロックチェーンは、ビットコインを実現するために開発された分散データベースだ。しかし、その真の価値に気付いた人々は、デジタル通貨以外の用途に大きな構想を描いている。国内でもブロックチェーンとビットコインを切り離して理解する動きが今年に入ってようやく活発化した。
NECの岩田室長は「日本は便利なのでブロックチェーンの必要性を認識しづらい」としながら、パスポート申請のために役所から戸籍謄本を取り寄せたり、就職・転職で卒業証明書を大学に発行してもらったり、地元の両親の判断力が落ちてきたとき、後見人として財産を管理したりするなど、生体認証による本人確認とブロックチェーンの組み合わせが威力を発揮する場面があるという。役所や学校のコンピューターを接続し、ブロックチェーン型システムを構築すれば、災害や廃校で施設がなくなっても、データは保持され、自分の情報を誰に送るかを本人が指定できる。
お金を管理できる仕組みだからこそ、データを低コストかつ高セキュリティに扱えるのがブロックチェーンの魅力なのだ。フィンテックとは異なる文脈でブロックチェーンを活用する方法はまだまだ未開拓であり、日本企業も十分に活用できるチャンスがあるはずだ。
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