米バイオ業界を知る投資家・キヨイズミ氏に聞くイノベーターの条件
米国在住のエンジェル投資家であり、バイオベンチャー起業家としての経験を持つキヨイズミ・タカシ氏。医師から起業家、投資家としてのキャリアを歩んだキヨイズミ氏に、医学/生物工学の分野におけるテクノロジーとイノベーションの現状と医学ならではの課題、さらに医学分野でのイノベーターの条件について聞いた。 by Noriko Higo2022.08.12
MITテクノロジーレビューが主催する世界的なアワード「Innovators Under 35(イノベーターズ・アンダー35)」の日本版「Innovators Under 35 Japan(イノベーターズ・アンダー35ジャパン)」が、公式サイトで候補者の推薦および応募を受付中だ。締め切りは2022年8月15日(月)まで。事前審査を経て、書類による専門家審査によって本年度のイノベーターが決定される。
本年度の「Innovators Under 35 Japan」では、これまでの応募分野である「コンピューター/電子機器」、「ソフトウエア」、「インターネット」、「通信」、「AI/ロボット工学」、「輸送(宇宙開発含む)」、「エネルギー/持続可能性」に加えて、「医学/生物工学」分野が新設された。その医学/生物工学分野の審査を務めるのが、カリフォルニア大学サンディエゴ校日本センターのキヨイズミ・タカシ(Kiyoizumi Takashi)氏だ。米国でバイオベンチャー起業家としての豊富な経験を持ち、エンジェル投資家としても活躍するキヨイズミ氏は、「医学/生物工学のイノベーションは患者に届けるまでに時間がかかる。しかし、患者は今日、明日にでもほしい」というジレンマを抱えていると話す。
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資金に加えてさまざまなアドバイスもする「エンジェル投資家」
──キヨイズミ先生はエンジェル投資家として年間300社ほどベンチャー企業と面談すると伺っています。エンジェル投資家の仕事について教えてください。
端的に言うと、立ち上がったばかりのベンチャー企業に自己資金を投資する個人投資家のことです。企業としてのベンチャーキャピタルは、ファンドを作って企業や年金資金などから集めた資金を投資します。ファンドは通常10年満期なので、10年という期限までにベンチャー企業に成果を上げさせる必要があります。
一方、エンジェル投資家は自己資金ですから償還期限はありません。主に、ベンチャーキャピタルが投資対象とする前の段階、具体的には会社が設立したばかりやその準備段階で投資を実行します。
もちろん、エンジェル投資家も趣味で投資しているわけではなく、技術と経営陣を正当に評価した上で、高いリスクを覚悟して投資しています。エンジェル投資家は、私自身がそうであるように、実際に起業の経験がある人材が多く、自身の経験に基づいてメンターとしてベンチャー経営のコツなどをアドバイスすることもよくあります。
──先生のキャリアは、大学病院の医師からスタートしています。そこから、どのように今の仕事につながったのでしょうか。
大学病院で働いていると、患者さんの治療や研究、学生への講義だけではなく、病棟や外来の運営などにも携わるようになります。ただ医師は忙しいのでマネジメントに割ける時間があまりありません。また、マネジメントに関心もありません。そのため、「(運営管理は)これまで通りでいい」とおっしゃる先生がほとんどでした。
それを見ていて、医師であってもある程度はビジネスのマネジメント・スキルを持っていたほうがいいのではないかと考えるようになりました。治療のときは、患者さんの話を聞いたり検査をしたり、さまざまな手段を講じて的確な診断を導き出します。そして、リスクなども検討した上で、ベストな治療法を選びます。病院の経営も同じように考えるべきではないかと思ったんです。
そこで、ボストンにあるMITスローン経営学大学院に留学してMBAを取得し、帰国したら学んだことを生かして、もっと効率的に大学病院の経営をしようと考えました。ただ、実際に留学してみると場所とタイミングの巡り合わせというのでしょうか。1990年代のボストンはバイオベンチャーがいくつも立ち上がっている時期で、MITやハーバードの教授が起業していたりする。しかも資金は助成金ではなく、ベンチャーキャピタルから投資によって調達する。当時日本では見聞きしたことのないビジネスモデルで、バイオベンチャーに関心をもち、ビジネススクール卒業後は米国に留まりバイオベンチャーに就職しました。
──不安はありませんでしたか?
もちろんありました。もともとは医師で、ビジネススクールを卒業してバイオベンチャーの世界に入ったのはまさに「35歳」頃です。その時点ではビジネスで何かをやり遂げて実績があったわけではなく、そこからキャリアをスタートさせたのです。当時は日本国籍だったこともあり、米国で米国人と競争する中で就職する大変さを実感しました。さらにベンチャー企業は約8割が途中でつぶれてしまうため、就職後もリスクはありました。バイオベンチャーで働きながらも、常にバックアップのポジションを考えておくように行動していました。
「医工連携」が進んでいる米国のテクノロジー事情
──先生から見た、米国の医学/生物工学分野の学問、またテクノロジーの現状について教えてください。
米国は原則自由経済の国ですから、景気・経済の状況によって学問も影響を受ける部分があります。理学や基礎医学といった真理を追究する学問はそうでもありませんが、医学や工学など社会実装が重要になってくる分野については、どこに需要があってどのくらいの市場が見込めるのかという点にみんな非常に敏感です。医学系のテクノロジーはそういう部分に左右される面はありますね。
今、大きな傾向として言えるのは、医学と工学がどんどんつながってきているということです。20年ほど前から、EE/CS(Electrical Engineering and Computer Science)といって、電子工学とコンピューター科学が一つの学科に統合される大学が増えています。そのEE/CSやナノテクノロジー、また5Gなどの通信技術などを、医学と結んで役立てようという流れです。
例えば医療機器開発のように工学が直接関与するケースもありますし、創薬にAIやナノテクノロジーを活用する例も増えています。医療や介護、健康管理にAIをはじめとする最新のデジタル技術を取り入れようという「デジタルヘルス」も大きな産業になってきています。医学と工学の融合、あるいは連携はこれからますます進んでいくと見ています。
医学のテクノロジーは、特有の事情を考える必要がある
──そうした状況の中、現在、研究やテクノロジーに関連して気になっていることがあれば教えてください。
1つは研究やテクノロジーの流行においては「歴史は繰り返す」ということです。これは、私が30年ほど医学やバイオベンチャーにかかわってきて実際に何度も経験したことですが、30年前に流行した研究テーマやテクノロジーが、当時は何年かで廃れたけれど、その後時間を経て再び流行するということが起きています。
一例を挙げると「遺伝子治療」です。1990年代に流行しましたがここ数年再び流行していて、言ってみれば今は「遺伝子治療2.0」です。2.0ですから当然以前より良くなっています。過去の失敗から学んだことを生かせたからこそ、再び流行したのだと考えています。
ですから、1回目の流行で突っ走ってベンチャーキャピタルもどんどん投資をして、でも結局失敗してしまったとしても、それが礎になって次の世代がそこから学び、2回目で飛躍することがある。新しいチャレンジは失敗する可能性も高いですが、1回目で成功するかどうかは別として、とことん突っ込んでやることは非常に重要なのではないかと思っています。
──特に医学に限った場合、先生が注目している社会的な課題は何かありますか?
医学特有というと、医学が完全なサイエンスではないことに起因する課題ですね。医学は、物理などのように理論が先にあって現象を予測することはできません。遺伝子やゲノムなどの解明で、実はだいぶ変わってきた部分もありますが、それでも理論がすべて通るわけではなく、「やってみないとわからない」というところがあります。
わからないといっても対象が人間ですから、サイエンスをイノベーションとして患者さんのもとに届けるためには臨床試験を経る必要があります。実験動物をベースにした理論があっても、それが必ずしも人に当てはまるかどうかわからない、つまりブラックボックス的なところがあるからです。そこが医学にとっては常に挑戦であり、リスクでもあります。
そのブラックボックス的なところを何らかのテクノロジー、例えばAIなどを使って解決できるのであれば、そこは期待したいところです。ただ、AIも現状は機械学習が主ですから、まずはデータなり現象なりを入力していく必要があります。そう考えると、この課題の解決にはまだまだ時間がかかるかもしれません。
──ビジネスや投資という視点から見ると、医学/生物工学分野の特徴はどこにありますか?
「サイエンスとしての理想」と「ビジネスとしての社会実装」の違いではないでしょうか。サイエンスとしての理想を追求するのであれば、それは個別医療しかありません。一人ひとりの患者さんに合わせて、どの薬が効くのか、どの分量でどのように投与すれば良いのかを提案できるのが理想です。ただ、世界の何十億人に対して個人のレベルで医薬品を開発していたらビジネスとしては成り立たなくなってしまいます。理想を追求しながらビジネスとしての社会実装をどうするのか、その兼ね合いを考えることも、これからの課題と言えるかもしれません。
また、いわゆる「投資」としての成功と、実際に医療機器や薬が役に立つことは、必ずしも同じベクトルを向いているとは限りません。ベンチャー投資では、投資額に見合ったリターンを出すことが重要です。ベンチャーキャピタル投資家はそれが仕事であり、10年くらいの期間で投資の回収を考えます。けれども、医療機器や薬の開発にはもっと時間がかかる可能性もあります。両者の意図が一致していないとぶつかり合いが生じます。
資金調達だけなら公的なグラント(補助金・助成金)も考えられますが、日本のAMED(日本医療研究開発機構)やJST(科学技術振興機構)も含めてそうしたものは原則サイエンスを評価します。市場性や経営チームメンバーの資質などは評価対象ではないため、最終的にうまくいかないベンチャーにもお金がいく可能性が増えてしまいます。サイエンスとビジネスがうまくかみ合うことが望ましいですが、そこはなかなか難しいですね。
ただ、ベンチャーとして起業するだけがやり方ではありません。例えば、大手製薬企業と提携したり、M&Aで買収されてその一部門として開発を続ける方法もあります。患者さんの役に立つ薬や機器を一日も早く開発することが、最終的な目的のはずですから、そこに到達するためには最も効率の良い道筋を考えることが重要です。
「リサーチャー」が「イノベーター」にならない分野で、いかに「出口」までの道筋を見通せるか
──先生が考える「イノベーター」、特に医学/生物工学における「イノベーター」の条件を教えてください。
医学の場合、繰り返しになりますが、革新技術は患者さんの役に立って初めてイノベーションと言えます。ただし、製品ができて実際に使えるようになるまでにはモノにもよりますが非常に時間がかかります。
ですから、開発から承認、製品化までの道を明確に考えながら進めている人が、真の「イノベーター」と言えるのではないでしょうか。サイエンスだけを面白くやるのであればそれは「リサーチャー」です。「出口」が見えていて、そのためには何をしなくてはいけないのか、どういう方向で進めていけば良いのか整理がきちんとできている人、それが医学における「イノベーター」だと思います。
医学以外の工学分野は、医学分野と比較すると開発から実装までの期間が短く、いわゆる「リサーチャー」がそのまま「イノベーター」になりやすいと思っています。けれども、医学や生物工学でそれは難しい。「いいアイデアだったね、いいリサーチだったね」で終わってしまいます。ですから、全体を見通してビジネスプラン、開発プランを組んだり、必要な人材を集めたりできる人やグループだけが真のイノベーターになれるのではないでしょうか。
──先生ご自身が投資先候補を検討する場合、技術的なことだけではなく、例えば人柄なども考慮されますか?
人柄ももちろん関係はあります。投資するということはお金を託すことなので、投資候補になっているベンチャーのCEOの人柄や能力はとても大切です。ただ、実際にはその企業全体で取り組むので、チームとしてきちんと機能して、事業をイノベーションに向かって進めていけるのかがより重要ですね。
また、スタートアップは資金も人材もそんなに潤沢ではないケースがほとんどです。そうした状況の中で、自分たちには何が足りないのか、どういう能力が足りないのかを正しく理解していることも重要だと考えています。会社によっては自分たちでなんとかしようとして失敗するケースもありますが、わからないことは周囲の専門家に積極的に聞くという姿勢があることも大切だと考えます。
一般的にイノベーションは、「今より効率良く」「今より安く」など生活のクオリティをこれまでより向上させるものです。しかし、医学の場合は対象が患者さんであり、患者さんの健康レベルは原則、普段より下がっているので、「下がっている生活のクオリティを正常レベルまで持ち上げる、しかも一日も早く、副作用なく」というのが、医学/生物工学分野におけるイノベーションの使命になります。前述したように、それにはとても時間がかかります。しかし、患者さんは今日、明日にでも新しい治療法を望んでいます。
そこがこの分野のチャレンジであり、悶々とするところでもあります。医学/生物工学系のイノベーターの方たちには、どうすれば患者さんに一日も早くイノベーションを届けられるのか、さまざまな方向から考えていただきたいと思います。
MITテクノロジーレビューは[日本版]は、才能ある若きイノベーターたちを讃え、その活動を支援することを目的とした「Innovators Under 35 Japan」の候補者を募集中。詳しくは公式サイトをご覧ください。
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