米民主党上院議員のジョー・マンチンは、同党のチャック・シューマー上院院内総務との間で、気候変動対策とエネルギー問題プロジェクト、法人税増税などを盛り込んだ「インフレ抑制法案(Inflation Reduction Act of 2022)」について合意したと発表した。米上院は民主党と共和党の議席数が拮抗しており、法案可決には民主党議員全員の賛成が必要だが、マンチン議員は不支持を表明。2週間前の7月14日に開かれた党内での交渉でも改めて不支持を伝えていた。
上院民主党が提案した大規模な支出を盛り込んだこの包括法案が、そのままの形で議会を通過するかどうかはまだ分からない。しかし、もし可決されれば、気候変動対策に向けた取り組みが重要な勝利を収めることになる。11月の中間選挙を控え、民主党が上院または下院、もしくは両方で主導権を失う可能性がある今、クリーン・エネルギーと気候変動に関する重要法案を通過させる貴重な機会となる。
今回の新しい合意を発表するにあたりシューマー院内総務は、この法案によって 「米国は2030年までに排出量を約40%削減する道を歩むことになります」と主張した。 専門家らも、法案は今後数年間で米国の排出量を削減し、今後数十年間の温暖化や異常気象を抑制するのに役立つ、ゲーム・チェンジャーになる可能性があると認める。
法案の中身は?
ひと言でいえば、数千億ドルの支出だ。クリーン・エネルギーや輸送業界だけでなく、農業のような他の領域までもカバーし、研究開発や事業の実施、製品の製造などのための数千億ドル規模の助成金、融資、連邦調達、税額控除が法案には盛り込まれている。
「人々が待ち望んでいた、革新的なクリーン・エネルギーと気候変動対策の包括的な法案です」。気候変動対策に関して民主党に助言しているカリフォルニア大学サンタバーバラ校のリア・ストークス教授(環境政策)はこう話す。
支出の大部分を占めるのが、クリーン・エネルギーの促進に関するものだ。風力、太陽光発電、その他のクリーン・エネルギー・プロジェクトの新設に対する既存の税額控除が延長され、約300億ドルの新しい税額控除も加わる。また、蓄電池、太陽光パネル、ヒートポンプなど、あらゆる製品の国内製造に対する600億ドルの奨励金も計上されている。
法案による助成金の増額は、化石燃料や工業プラントにおける気候汚染防止設備の設置に伴う経済的負担を軽減する。また、二酸化炭素の回収・貯蔵設備が果たす役割がますます強化される可能性がある。
法案は、クリーン・テクノロジーの研究開発費として270億ドル、特に国立研究所での研究費として20億ドルを計上している。
気候変動のための取り組みであれば、工業以外の分野も対象だ。農業からの排出削減には約200億ドルが計上され、森林の保全・再生プロジェクトには50億ドル近くの助成金が計上されている。
法案は野心的でありながら政治的に現実味のある政策で、米国の製造業を後押しし、雇用が変化しつつある諸方面を支援し、よりクリーンで近代的なエネルギー・システムへの移行に必要なインフラを構築すべく設計されている。こう説明するのは、シンクタンク「サード・ウェイ(Third Way)」で気候・エネルギー・プログラムの責任者を務めるライアン・フィッツパトリック部長だ。
「この分野としては米国史上最大の投資となるでしょう」(フィッツパトリック部長)。
電気自動車に対しては?
消費者に最も直接的な影響を与えるのが、電気自動車の税額控除だ。
法案では、新車の電気自動車購入時の適用される7500ドルの税額控除が維持され、中古車購入時の4000ドルの控除が追加された。いずれの控除にも、所得や車両価格には制限がある。
またこの税額控除は、自動車の国内生産を促進する施策にもなっている。新車の控除を受けるには、バッテリー部品の半分以上が北米で製造または組み立てられたものでなければならないからだ。この割合は2024年のものだが、割合は徐々に増え、2028年末には100%に達する。
さらに法案には、電気自動車、ハイブリッド車、水素燃料電池車を生産する工場への20億ドルの助成金と30億ドルの融資も盛り込まれている。また、大型トラックに対しては10億ドル、郵便事業のゼロエミッション車に対しては30億ドルの助成金がある。
他にはどのような内容が?
今回の法案には、昨年12月に頓挫した「ビルド・バック・ベター法案」にあった、送電線に対する税額控除は含まれていない。電力関係のコンサルタント企業「グリッド・ストラテジーズ(Grid Strategies)」の創業者であるロブ・グラムリッチ社長がニューヨーク・タイムズ紙の記事で指摘するように、結局は顧客への送電が必要になるため、太陽光や風力発電の設備建設が複雑になる可能性がある。
マンチン上院議員の事務所の発表によると、今回の合意をめぐっては、主要なエネルギー・プロジェクトの承認と構築を容易にする「一連の改革を可能にする常識的な判断」をこの秋に推進することで意見が一致し、実現に至ったという。「一連の常識的な判断」の中には、送電線、天然ガスのパイプライン、炭素貯留プロジェクト、発電所などが含まれ、クリーン・エネルギーと化石エネルギーの両方を網羅するものになるだろう。
詳細はまだ分からないが、法案が議会を通過するための十分な支持を得られれば、重要な気候政策になる可能性がある、とプリンストン大学のジェシー・ジェンキンス助教授はインタビューで述べた。
法案に盛り込まれている唯一の規制条項が、一定の限度を超えるメタン排出量に対する課金だ。メタンは大気中に排出されてから数十年間は二酸化炭素よりもはるかに強力な温暖化効果があるため、油田やパイプラインからの漏出を防ぐことが気候変動対策の最優先事項となっている。
また、法案には連邦公有地から採取され、天然ガスとして使われるすべてのメタンの使用料が記載されており、その施行を支援するメタン監視のための追加資金も盛り込まれている。
しかし、化石燃料への妥協案もいくつか含まれている。特に注目すべきは、化石燃料プロジェクト用に、数百万ヘクタールの土地と沿岸水域を確保していることだ。
含まれていないものは?
法案は支出に関するものばかりで、産業界に向けた新しい規則や制限はほとんど含まれていない。
排出量の削減に最も効果的な方法だと多くの経済学者が長年訴えてきた、炭素税も含まれていない。
カリフォルニア州やニューヨーク州の送電網で風力発電や太陽光発電の比率を高めるのに貢献している、再生可能エネルギー利用割合基準(RPS)制度もない。また、電力会社などの企業に炭素汚染の削減を義務づける、排出削減義務もない。
報酬や罰金によってクリーンな電力の販売比率を高めるよう電力会社に促す「クリーン電力報酬プログラム(Clean Electricity Payment Program)」といった以前の歳出法案の条項は、今回の包括法案をめぐる交渉でいち早く犠牲になった。
専門家らによると、今回の包括法案によって排出量の大幅な削減が期待できるという。しかし、明確な要件がないため、消費者や企業がさまざまな奨励策にどのような反応を示すかを予測するのは難しく、結局運まかせにならざるを得ない。
排出量に対して施策が持つ意味は?
法案の支出条項が、クリーン・エネルギーのプロジェクトに弾みをつけ、太陽光パネルなどのテクノロジー製品の国内生産を拡大し、新しいインフラ計画の展開を加速させるかもしれない。
すべての施策が、米国の排出量の大幅な削減につながる可能性がある。
プリンストン大学らが中心となって進める気候・エネルギー政策の影響を分析する取り組み「リピート・プロジェクト(Repeat Project)」では、今回の包括法案に組み込まれたすべての支出施策を分析している真っ最中だ。
リピート・プロジェクトによると、この法案が成立した時点で含まれる可能性がある構成要素を、米国の大気汚染レベルのピーク時であった2005年のモデルに当てはめた場合、2030年までに排出量を約40%削減できる可能性が高いという。現在の政策と比較して、2030年にはさらに約8億トンから10億トンの削減が上乗せされるということだ。
「要するに『インフレ削減法案』が可決されれば、気候変動との闘いを続行できるのです。大統領令、州や地方自治体の政策、民間部門のリーダーシップなどによって、目標値の到達が可能になると確信しています」とリピート・プロジェクトを主導したジェンキンス助教授はメールで語った。「この法案がなければ、気候問題に関する目標から絶望的に遠ざかってしまうでしょう」。