「ちょっと待って、え?どうやったの?」。エミリー・ジョーンズが後方に取り残されるのは珍しいことだった。レースシミュレーションで何度も優勝しているトップクラスのeスポーツ・ドライバーのジョーンズは、ドライビング・シミュレーター「グランツーリスモ」のコクピットに座り、目の前の画面をじっと見つめてハンドル操作をしていた。「ついていくので精一杯。どうやって走ってるの?」 ジョーンズの驚きの声をタイヤのスキール音がかき消す。彼女は「グランツーリスモ」のバーチャル・カーレースでクルマを時速190キロメートル(その後、225、240キロメートル)で走らせ、世界最速のグランツーリスモ・ドライバーを追いかけた。
2020年にソニーが立ち上げた研究所「ソニーAI(Sony AI)」で開発された「グランツーリスモ・ソフィ(Gran Turismo Sophy、以降GTソフィ)」は、実在するクルマやトラックの超リアルなシミュレーションで知られるビデオゲーム「グランツーリスモ」でレーシングカーを運転するために訓練されたコンピューター・プログラムだ。昨年非公開で実施された一連のイベントで、ソニーはGTソフィを人間のプロのeスポーツ・ドライバーたちと勝負させた。
一連のレースとその後に開催されたレースでソニーが発見したことは、人間と連携して働く機械を作ったり、人間と共に道路を走る機械の未来の形成したりするのに役に立つ可能性がある。
オーストラリア・メルボルンを拠点に、eスポーツチーム「トランス・タスマン・レーシング(Trans Tasman Racing)」のメンバーとしてレースに出場しているジョーンズは、2021年7月当時、何が起こるのか分からない状態だった。「あまり詳しいことは聞かされていませんでした」と、当時を振り返る。「練習をしないようにと指示されました。ラップタイムを見るな、とも。私に秘密にしているのなら、優れているに決まっていると思っていました」。結局、GTソフィはジョーンズのベストラップに1.5秒差で勝利した。ミリ秒単位で記録が更新されるこの世界では、1.5秒は圧倒的大差だ。
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しかし、スピードだけではGTソフィは勝てないことを、ソニーはすぐに悟った。GTソフィは誰も走っていないコースでは、人間のドライバーを凌ぐ走りを見せ、3種類のバーチャルコースで超人的なラップタイムを記録した。しかし、ソニーがGTソフィを複数の人間ドライバーと競うレースでテストしたところ、スピードだけでなく知性も必要となる場で、GTソフィは負けてしまったのだ。攻撃的過ぎて無謀な運転で何度もペナルティを受けることもあれば、臆病過ぎて必要以上に道を譲ることもあった。
ソニーは体制を立て直し、AIを再訓練し、10月に再戦の場を設けた。今度はGTソフィが快勝した。何が違いを生んだのか?確かにソニーは、より大きなニューラル・ネットワークを搭載し、プログラムが瞬時に判断できる能力を増強した。しかし、最終的には、ソニーAIアメリカの責任者であるピーター・ウーマン博士が「エチケット」と呼ぶものをGTソフィに与えたことが勝敗を分けた。つまり、攻撃性と臆病さのバランスを取り、状況に応じた最適な行動を選択する能力を与えたのだ。
このことがまた、GTソフィがグランツーリスモの枠を超えて重要な存在になる理由でもある。サーキットでのドライバー同士のエチケットは、ロボットが人間と交流するときに求められる動的に状況を認識した上での行動を具体的に示す例だと、ウーマン博士は言う。
リスクを取るべきときと、安全策を取るべきときを認識することは、製造現場でも、家庭用ロボットでも、無人乗用車でも、人間とうまく交流できるAIにとっては有益であるはずだ。
「遵守すべき人間の規範にどう対処するかについて、まだ一般原則を理解していないと思います」とウーマン博士は言う。「しかし、これは出発点であり、この問題一般について何らかの洞察が得られることを期待しています」。
ゲームチェンジャー
GTソフィは、チェスや囲碁から「スタークラフト(StarCraft)」や「ドータ(Dota)」といったビデオゲームまで、さまざまなゲームで世界最高峰の人間のプレイヤーに勝利してきた人工知能(AI)システムの最新のものにすぎない。しかし、「グランツーリスモ」はソニーに新たな課題を提示した。他のゲーム、特にターン制のゲームとは異なり、「グランツーリスモ」では同じことをしようとしている他のすべてのプレ …