『個人間取引におけるコンピューターを利用したサービス(Computer-Based Services in Personal Transactions)』(1969年4月号)
コンピューターが未来に投げかけた挑戦とは、紙を使用せずに情報を伝達することだ。この挑戦は、「小切手のない社会」に対して憶測を呼ぶこととなった。「小切手のない社会」という言葉は、その経済的、社会的、法的側面が解決されるよりもはるか前に、ジャーナリストの想像力をかきたて、その概念を一般化させることにつながった。IBMのトーマス・J・ワトソン・ジュニアは、このように記している。「たとえば銀行業に限って言えば、昨日の進歩は明日の驚異へのかすかなプロローグに過ぎません。私たちが生きている間に、電子取引が事実上現金を必要としない時代が来るかもしれません。口座引き落としや口座への振り込みは、銀行の店舗に設置された端末に身分証明書を挿入し、端末のキーボードに取引額を打ち込むことで実行されます。すると入力された金額が、瞬時にその人の口座から移動し、別の人の銀行口座に入るのです」
「チェックレス・バンキングの要点(The Bottom Line on Checkless Banking)」(1980年2月号)
炭酸飲料の自動販売機にお金を入れたのに、炭酸飲料が出てこないといった経験がある人なら誰でも、動かない機械に対処することが人間にとって難しいことを知っている。銀行の明細書を見た友人は、50ドルという謎の請求があることに気がついた。彼は銀行へ行き、銀行の支店長に問題を訴えた。支店長は、この請求は「コンピューター取引」によるものだと説明した。しかし彼はその日、コンピューター端末を利用した取引をしていない。残念ながら彼は及び腰になり、結局は諦めてしまった。彼は後日、その理由について、「コンピューターと議論してもしょうがない」と説明した。消費者はまだATM端末に懐疑的だ。人間の性質はすぐに変わるものではないことを歴史は示している。銀行や小口利用者にとってのメリットは、それにかかる莫大な費用の影に隠れてしまうのだ。そのため、この分野の成長は今後も緩やかなものとなるだろう。
「インターネット商取引のネバーフッド(The Neverhood of Internet Commerce)」(1997年8月号)
新たなテクノロジーは時として、狭い経済的枠組みの中でのみ通用する利益をもたらすという幻想を生じさせる。私たちは、新たなツールが提供すると思われるお金と労力の節約を熱心に追いかける一方で、最終的に私たちの繁栄の感覚をあざむく可能性のある、より広範な社会的費用を無視することがある。従来の店舗での買い物をネットショッピングに移行する前に、隠された代償を払わなければならなくなることを、私たちは認識する必要がある。すなわち、従来型の店舗が消滅することだ。書店は、まず何よりも書籍と読書に関心を持つ人々が集まる場所である。こうした場所では、商品を購入することは、その体験の一部に過ぎない。確かに、あらゆるインターネット資源を駆使して、市場を探り、賢く比較することは必要だろう。しかし「商品の購入」という形で意思表示するのなら、誰も住んでいないデジタルの世界ではなく、より身近な、実際に人が住んでいる地域でお金を使ったほうがいい。