マイケル・マクソンは、何年もの間、自宅のベッドよりもホテルに泊まることの方が多い生活を送りながら、ヘヴィロック音楽の大物たちの世界ツアーのためのスピーカー・システムに携わる仕事をしてきた。マクソンが妻と2匹の犬と共に定住を決めたときに選んだのは、他のどの場所よりも多くロック音楽の大規模ライブを見られる場所だった。そう、ラスベガスだ。
数年間賃貸で住んだ後、マクソンは2021年にクラーク郡に良い物件を見つけた。ラスベガスの主だった場所へ行きやすい閑静な場所にあり、2000エーカー(東京ドームおよそ173個分)の大きな公園に面したダンシング通りにある、漆喰の平屋だ。彼は毎朝起きて湖と公園を眺めることを夢見た。「美しい家だったよ」とマクソンは言う。「山々や、日の出や日没が見えるんだ。いいよね」。
だが、マクソンの家探しは予想外に混沌としたものになった。その年、ラスベガスの住宅価格は25%跳ね上がり、住宅市場は低利の住宅ローンと狼のような投資家で溢れかえっていた。
彼の夢のマイホームは、個人ではなく、あるテック企業が所有していた。ジロー(Zillow)だ。米国最大の不動産物件情報サイトであるジローは、不動産の「ワンクリックで楽々(One Click Nirvana)」購入を実現できるとの思惑から、2018年に家の買い占めを始めていた。ジローは年間200億ドルの利益を見込んでいた。ジローの「即時購入(インスタント・バイイング)」事業であるジロー・オファーズ(Zillow Offers)は、先行するオープンドア(Opendoor)やオファーパッド(Offerpad)などのスタートアップと同様に「アイバイイング(iBuying)」という事業モデルの開拓者だった。アイバイイングはデータシステムを使って住宅に値段をつけ、投資家の現金で住宅を先に購入してリフォームして販売するという、いわゆる「ハイテク・フリッピング」事業モデルである(日本版注:フリッピングとは、安価に購入した中古住宅をリフォームして短期間に高値で売り戻すこと)。
2021年、アイバイイングを仕掛ける「アイバイヤー(iBuyer)」らによる購入はパンデミック前の2倍に跳ね上がり、住宅購入額は数百億ドルに達した。ラスベガスは、これらスタートアップ企業が投資を集中させた住宅市場のトップ10に入る。この熱狂の夏に、マクソンは住宅を2度購入しようとしたが、どちらもジローとオープンドアによる現金購入提案と競合し、競り負けてしまった。ダンシング通りではジローが売り手となり、6月24日に47万ドルでその家を売りに出した。わずか2週間前よりも、6万ドル近く高い価格になっていた。だが、マクソンはこの家が欲しかったため、希望売価ぎりぎりで契約することに同意した。
ところがマクソンが物件を見に行ってみると、そこには3万7000ガロン(およそ14万リットル)もの水漏れがあり、庭の壁が浸食され、隣家の庭まで水浸しになっていた。住宅の所有者であるジローは気づかなかったが、市当局は気づいていた。マクソンは、ガレージのドアに貼られた1枚の通知書を見つけた。緑色の水が溜まるのを放置していると、西ナイルウイルスを持った蚊が寄ってくるため、罰金を科すという警告が書いてあったのだ。これは、「顔の見えない」企業が住宅を所有することの弊害の1つだとマクソンはいう。「(所有者は)住宅から離れている。住宅はスプレッドシート上のただの数字にすぎないからね」。彼は3万ドルの修理費を自分で負担し、提示価格から3万ドル低い価格でジローから買い取ることを提案したが、ジローは拒否した。マクソンはその直後に、その住宅が彼が提示した価格で別の家族に売られているのを知った。この夏、マクソンは家を購入しようと22回試みた中で最も成約に近づいたこの物件に関して、検査やその他の費用で約2000ドルを失った。
しかしまた、彼の夢のマイホームで利益を得たこのスタートアップ企業の事業基盤にも亀裂が走っていた。結果的に、ジロー・オファーズは3カ月間にわたる乱脈な住宅購入と採算の合わない住宅販売により、4億2000万ドル以上の損失を出すこととなった。ジロー・オファーズの閉鎖に伴い、アナリストたちは他のアイバイヤー各社にもリスクがあるのではないか、もしくはこのテクノロジー主導の事業モデルが全体的に不可能でないのではないかと疑問を抱くようになった。住宅の隣人や賃貸人や購入希望者など、その他の全ての人々にとっては、より大きな疑問が残る。シリコンバレーのテック企業の参入は、業界にとってより良い未来を指し示すものなのか、それとも恐れるべき業界の破壊なのかということだ。
空中戦
2021年夏、米国住宅市場はほぼ全ての記録を更新した。ワシントンポスト紙は、住宅価格が史上最高値(6月の中央値は38万6000ドル)を記録する一方、販売中の住宅数は過去最低(全国で138万戸)になったと報じた。この夏に、平均的な住宅は15日間で売れたが、これは1年前の半分の期間だった。現金を豊富に持つ投資家やセカンドハウス購入者が、かつてないほど多く購入したからだ。11月になると、ニューヨーク・タイムズ紙は見出しで「不動産がまた普通に戻ることはあるのだろうか?」と問いかけるようになった。
この期間中の全米の住宅購入に占めるアイバイヤーの割合はわずか2%弱だったが、アイバイヤーの影響が大きくなり、より予測不可能になってきたため、ロサンゼルス市の指導者たちはこれらプラットフォームの禁止を求めるようになった。アイバイヤーは都市単位に成長する。投資はサンベルト地帯の数カ所に集中しており、上位5か所(フェニックス、アトランタ、ダラス、シャーロット、ヒューストン)が全体の半分以上を占めている。2021年の年間を通じてアイバイヤーが購入した住宅は全米で7万400戸。英国、欧州、カナダでも新しいアイバイヤーたちが資金調達をしているが、いずれも米国の先行者の成功と失敗を参考にしている。
全米経済研究所(NBER:National Bureau of Economic Research)が2013年から2018年にかけてジロー、オープンドア、ノック(Knock)、レッドフィン(Redfin)、オファーパッドによるアイバイイング活動を分析したところ、これらの都市は、先行したフェニックスと「驚くほど似た」傾向をたどっており、きれいな成長パターンを見せている。アイバイヤーたちのフェニックスにおけるシェアは2015年にはおよそ1%だったが、2018年には6%に伸びている。2021年の狂乱の夏には、アイバイヤーたちはフェニックスの住宅購入の10%を占めた。「特定地区においては、現時点で売りに出ている住宅の25~30%がアイバイヤーらによって所有されています 」。不動産テック・ストラテジストであるマイク・デルプレートは述べる。
現在、業界のリーダーであるオープンドアは44の市場で事業を展開している。アイバイヤーらは、ビッグデータと人工知能(AI)を活用し、一般人に対して一方的な優位に立つことで、超高騰する住宅市場に介入しているの。かつて住宅購入は個人間の「空中戦」だったが、「今は誘導ミサイルの時代」とデルプレートが言うように、データ駆動型の買い手が大きな優位性を持つ。
不動産には、当然ながら多額の資金がひもづいている。住宅用不動産は、今でも米国の家庭が保有する主要な資産であり、普通の世帯(資産額中央値の世帯)の資産の約70%を占めている。2021年を通じて、米国の住宅在庫の価値は7兆ドル跳ね上がり、総額で43兆4000億ドルとなった。
住宅売買には時間がかかり、分かりにくく、隠れた出費が多いため、不動産取引は長い間、再構築が必要だと考えられてきた。しかし、住宅用不動産業界のイノベーションは遅れており、オープンドアによれば「米国最大の未破壊市場」となっている。
不動産テック(あるいはプロップテック)は売買における3つの点を変化させていると、ベンチャーキャピタルであるメタプロップ(MetaProp)の共同創設者であるザック・アーロンズは述べる。「第一に、売りに出ている物件のリストを見せることができること」。アーロンズは、ジローが市場における物件を1カ所で見れるようにすることで初期に成功したことを挙げて述べる。第二に、スタートアップ企業は、「基本的に何世紀にもわたってペンと紙でやってきた」時間のかかる作業をデジタル化し始めている。
「どうすれば、より透明性が高く、より説明でき、より迅速なタイミングで権利証書を提供できるのか」と彼は問いかける。「電子契約締結、電子公証をどのように実現するか?パンデミックは、その多くを加速させたと思います」。
第三の問題である価値評価は、依然として最も厄介な問題である。自動価値評価モデル(Automated Valuation Model:AVM)は、業者独自の複雑なデータシステムだ。具体的には、不動産業者にとって欠かせないデータである全米600の物件掲載サ …