新型コロナ変異株追跡、
試されたゲノム解析の真価
新型コロナウイルスのゲノム研究は、新しい変異株に対する対応策を実施するのに役立っている。パンデミックによって欧米だけではなく、アフリカや南アメリカにもゲノム・シーケンシングの手法が広がり、成果をあげている。そして、さらに世界を救う可能性を秘めている。 by Linda Nordling2022.04.08
南アフリカのステレンボス大学にある、1億ドルをかけた新しい生物医学研究棟の駐車場を歩くトゥリオ・デ・オリベイラ教授の姿は、孤独そのものだ。南アフリカの1月初旬は夏の盛りで、ほとんどの学生や職員は休暇をとっている。だが、デ・オリベイラ教授は違う。南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領と電話会議をしているところだ。
- この記事はマガジン「世界を変える10大技術 2022年版」に収録されています。 マガジンの紹介
大統領との会談はこの1カ月余りで2度目になる。最初の会談は、デ・オリベイラ教授のゲノム解析研究所が新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の新しい変異株を発見した直後だった。2回目の今日は別の話をしているが、デ・オリベイラ教授は具体的なことは教えてくれない。電話はしばらく続いた。デ・オリベイラ教授が歩き回っているのは、自分でも認めているように忍耐強い男ではないからだ。だが、デ・オリベイラ教授の科学は政策に直接的な影響を与えており、それは彼にとって喜ばしいことなのだ。
デ・オリベイラ教授は電話を切った後、「パンデミックが科学のあり方を変えたのです」と話した。1つは、科学が「速くなった」ということだ。その6週間前、彼のチームは、国内で最も人口の多いハウテン州で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者が再び増えたことに対して、「何かがおかしい」と感じた。この不安な気持ちが、ゲノム解析を急がせることになった。その結果、わずか1日で、現在「オミクロン」と呼ばれる感染力の強い新しい変異株を特定できたのだ。デ・オリベイラ教授らは保健相と大統領に説明し、さらに1日かけて再検証した。そして11月25日、デ・オリベイラ教授はこの発見を世界に発表したのである。
オミクロン株は、同系統のウイルスよりもヒトの免疫防御を回避する能力に優れており、その後あらゆる場所に拡散して、前例のないパンデミックの波を引き起こした。1月上旬には、毎週の感染者数増加率が欧州で65%、東南アジアで78%、南北アメリカ大陸で100%になった。徐々にではあるが、死者数も増えていた。
それでも、2021年11月にデ・オリベイラ教授のチームが新しい変異株を発見して特定できたことで、世界に重大な早期警告を発することになった。発見から数週間後、科学者たちはオミクロン株に対する一連のテストに取り組んだ。既存の新型コロナウイルス・ワクチンに効力があるかどうかを判断し、感染力と致死性を明らかにするために、大規模な取り組みが速やかに始まった。政策面では、この発見がワクチンの追加接種、新しい規制、渡航禁止の増加につながった。
デ・オリベイラ教授の研究所にある4台のピカピカのシーケンサー(塩基配列解読装置)は、購入すれば合計300万ドルもするものだ。しかし、それらはすべて寄贈されたものである。
新型コロナウイルスのパンデミック以前、デ・オリベイラ教授は拠点としていた南アフリカ東部のダーバンでジカ熱やチクングニア熱、結核などの疫病のゲノム解析に取り組んでいた。パンデミックによって、彼の研究分野にかつてないほどのリソースが投入され、多大な政治的関心が寄せられた。デ・オリベイラ教授の新しい研究所「エピデミック・レスポンス&イノベーション・センター(CERI:Centre for Epidemic Response and Innovation )」には、数百万ドル相当の機器が揃う。その多くは、資金に余裕のある研究所や国際保健機関、製造会社から寄贈されたものだ。ここは、ゆくゆくはアフリカ大陸最強のゲノム解析研究所になることを期待されているのだ。
新型コロナウイルスの蔓延をきっかけに、世界中で雪崩を打つようにゲノム・シーケンシング(塩基配列解読)が始まった。750万以上のウイルスの解読データが世界的なデータベース「鳥インフルエンザ情報共有の国際推進機構(GISAID)」にアップロードされ、科学者は数百万種類ものウイルスを樹形図にして、その進化を追跡した。これほど多くの塩基配列が作成され、共有された病原菌は今までなかった。また、ゲノム解析テクノロジーは、これまで普及していなかった地域でも一般化してきており、新たな脅威が発生した時にそれを検知する上で欠かせないものとなるだろう。
新型コロナウイルスに関する膨大なデータにより、科学者はこのウイルスの進化をほぼリアルタイムで追跡できるようになった。英国の新型コロナウイルス・ゲノミクス・コンソーシアムを率いるケンブリッジ大学のシャロン・ピーコック教授(微生物学)は、ゲノム解析の利用によって医療政策のあり方が一変したと話す。「これまでに起こった脅威のときは、ゲノム解析は遡及的な研究ツールとして使われていました」とピーコック教授は言う。「今では、ゲノム解析によって実用的な情報が得られることが分かっています」。
科学者たちは新型コロナウイルスを利用して、変異した病原菌がどのようにヒトに影響するか、ヒトの体内でどのように振る舞うのかをゲノム・シーケンスで予測し、次の動きを推測するのにも役立ようとしているのだ。世界的なゲノム解析の取り組みにはまだ間隙があり、変異株が検出されずに流出して蔓延する可能性があるが、アフリカ大陸などではその取り組みが飛躍的に増加している。そしてデ・オリベイラ教授たちは、さらにその先を目指そうとしている。
デ・オリベイラ教授たちは新型コロナウイルスに注目する一方で、ゲノム・シーケンシングに対する現在の勢いと資金を、結核、HIV、ウイルス性肝炎など他の疾患への取り組みにも利用したいと考えている。そして、このテクノロジーが、薬剤耐性(AMR)に対して現在進行中の致命的な戦いにおいて、人間が優位に立てるかどうかを確かめたいと思っている。
実際、この研究の真価が明らかになるのは、パンデミックが収束してかなり経ってからになるのかもしれない。
今日のウイルスに対するゲノム追跡は、科学的には比較的単純である。科学者は、新型コロナウイルス検査で陽性となった患者から綿棒などで採取した検体からRNAを単離し、それからシーケンサーが読み取れる形にRNAを加工する。
20年前、ヒトゲノム・シーケンスには1億ドルかかっていた。今は1000ドルもかからない。しかし、新型コロナウイルス検査で陽性となった遺伝子をすべてシーケンスして新しい変異を探すのは、まだ費用的に無理がある。そこでデ・オリベイラ教授たちは、国立研究所や現場の医師から報告される予想以上に感染が増加している地域から優先的に検体を採取することにした。
デ・オリベイラ教授が 「非線形シーケンシング」と呼ぶターゲットを絞ったこの手法によって、南アフリカで発見された1つではなく2つの変異株について、警告を発することができた。2つの変異株とは、2021年11月のオミクロン株と、その1年前の東ケープ州のベータ株のことだ。
感染力のより強い変異株の新型コロナウイルスが迅速に検出されたことで、確かに政府や医療機関は速やかに対応ができたが、変異株の拡散は止められなかった。しかし、新しい変異株を …
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