「世界を変えるイノベーター」として選ばれた研究者は今、何を考えているのだろうか? MITテクノロジーレビュー「35歳未満のイノベーター」に2012年に選出されたXiborg(サイボーグ)代表取締役でソニーコンピュータサイエンス研究所研究員の遠藤 謙氏。2021年12月16日、「Innovators Under 35 Japan Summit 2021」に登壇した遠藤氏は、自身の取り組みを振り返りながら、今年度の日本発のイノベーターとなった後進たちにエールを送った。
受賞したその後のストーリーが大事
講演のテーマは「IU35の経験から学んだこと」。遠藤氏がキーワードとして示したのが、「Socratic ignorance(無知の知)」と「Uncertainty(不確実性)」の2つだ。
かつてMITメディアラボに所属していた遠藤氏は、当時の研究仲間であるジンハ・リー(Jinha Lee)、ディビッド・センゲ(David Sengeh)、ホセ・ゴメスマルケス(Jose Gomez-Marquez)、プラナフ・ミストリー(Pranav Mistry)の4人の顔写真をスクリーンに映し出し、それぞれの研究内容や業績を紹介した。
「彼らは、僕が持っていない知識を話してくれて、すごく刺激を受けた人物です。この中にはIU35に選ばれた人も選ばれてない人もいますが、こういった人とのつながりが僕が受賞したきっかけの1つだったと感じています。そして、彼らとの交流の中で『自分は何も知らないんだ』ということを知りました」。
さらに、遠藤氏と同じ2012年にIU35を受賞したレン・ン(Ren Ng)とダニエル・エク(Daniel Ek)の2人について話した。
「レン・ンは当時アントレプレナー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれ、IU35を受賞した中で一番目立っていた人です。ライトロ(Lytro)という会社を起業してライトフィールド・カメラを開発していましたが、2018年には倒産しています。Uncertaintyの時代、当時あれほどライジングスターだった人でも失敗するんだ、と思いました」。
一方のダニエル・エクは、スポティファイ(Spotify)の共同創業者として知られている。
「当時スポティファイを知っている人はほとんどいなかったと思いますが、今や世界中で使われるサービスになりましたよね。当時の審査員の目利きもすごかったですし、彼の受賞後の頑張りもすごかった。僕がIU35受賞の経験から学んだことは、受賞そのものよりもその後に、その人がどう活躍していくかというストーリーのほうが大事だということです」。
身体完全性と規律のバランスを意識して研究を続ける
遠藤氏がMITに在籍していた当時、米国では「トランスヒューマニズム」という言葉が流行し、遠藤氏自身も好きな言葉だったそうだ。トランスヒューマニズムとは新しいテクノロジーが人間の身体や認知能力を進化させるという考えで、テクノロジーを礼賛する風潮がその頃の米国にあったのだという。しかし、遠藤氏が師事したMITメディアラボのヒュー・ハー教授は、その「危うさ」についてもよく語っていた。「今となってその話を思い出し、『そういうことだったのか』と感じるようになった」と遠藤氏は話す。
当時、遠藤氏が学んだ言葉に「身体完全性(Bodily Integrity)」があった。身体完全性とは、人は自分の身体に対する不可侵性のことだ。
「例えば、同意なく人を殴ったり、髪を切ったりしたら罪になるし、服を切るなど身体に直接でなくても、その人の完全性を阻害することがあったら罪になるんですよね。一方で、それを侵害してでも規律を守るということも今まで行われてきました」
その例として、一部の文化圏で今も行われている割礼を挙げた。「割礼をして出血多量で亡くなることもある。これはまさに身体完全性の侵害だけれども、まだ習慣として残っている。本人の意思にかかわらずやらなければいけない」。
日本でも、例えば身近なところでは坊主頭の強制や学生に制服の着用を課すこと、そのほかにも予防接種や安楽死禁止などが身体完全性の侵害だと考えられるのだという。
「いろいろなところで、人間の完全性を侵害してでも規律を守ろうということはたくさんあります。私が研究している義足も身体に関わることなので、どこまで踏み込んでよいのかを考えながら研究をするようになりました。多様性が前提の中で、どこまで協調性を強いて、どこまで自律性を尊重するか。そのせめぎ合いの中で、バランスをどう取っていくか。地球規模で存続させるためにはどうしたらいいか」。
「乙武プロジェクト」で感じた変化
「社会課題という言葉を、たぶん皆さんも聞かれると思います。私が学生だった当時、社会課題を意識しながらやっている研究者はあまりいませんでしたが、それが今では当たり前になった」。そう言って遠藤氏は、最近の取り組みである「乙武プロジェクト」を紹介した。同プロジェクトは2018年にスタートしたもので、先天性四肢欠損で知られる乙武洋匡氏が、遠藤氏らの開発によるロボット義足を用いて歩行に挑戦するプロジェクトだ。
「乙武さんのように可動域も筋力も少ない中で、ロボットの義足を使って歩けるためにはどうすればいいか。『事例紹介』のような研究になります。研究というものは通常、数多くのデータを取り、標準偏差を取って傾向を見るものが多く、n=1、人間1人のデータを元にした研究は学術的なものとして認められこなかった。ですが最近は、そういった論文も学会などに採択されるようになってきました」。
従来であれば、四肢欠損者を10人や20人を集めて実験することが、学術研究には求められてきた。しかし、研究に協力してくれる四肢欠損者を10人集めることですら難しい。また、同じ四肢欠損でも、ロボット義足で歩ける能力があるとは限らない。
「そんな中でも、社会的に意義があると思われる研究を続けられるために、n=1のアプローチも認められるようになってきたのではないかと思います」。
イノベーションを起こす上でのコミュニティの重要性
乙武プロジェクトは、「研究・技術開発」「デザイン」「リハビリテーション」という複数の分野の掛け合わせが重要なプロジェクトだった。歩行するための膝の動かし方の制御理論や、四肢欠損者が受け入れられるデザイン、歩くまでの練習メニューの考案など、さまざまな分野の知見と技術を掛け合わせて1つの課題を解決する「総合型プロジェクト」だったと遠藤氏は話す。
「その中でも、僕がすごく斬新だと思ったのは『コミュニティ』の考え方でした。乙武プロジェクトは、JST(科学技術振興機構)のCRESTという研究費が国から出るプログラムの一環であり、論文の発表や特許取得などのアウトプットが求められます。それらに並ぶ形で『コミュニティ形成』が成果として高く評価されたことに私は感動すら覚えました。乙武さんが歩く姿をみんなで応援してもらうことを通じて世の中に発信し、それを見た人が歩きたいと思ったときの技術的なオプションを用意するという流れの中で、コミュニティ形成が研究の1つの要素だということが、日本でも認められ始めていると思いました」。
義足で日常的にスポーツする人を増やしたい
遠藤氏はMITメディアラボでロボット義足を研究して博士課程を修めた後に、カーボン製のスポーツ義足、ブレードを作り始めた。
統計によると、日本にいる下肢切断患者のうち義足を使って日常的に歩けている人は50%程度なのだという。そもそも義足を履いて日常生活を送ること自体リスクが高く、約半分の人が車いすになってしまうためだ。その中で、義足を使って日常的にスポーツをしている人となると全体の1%にも満たない。
「ブレードで走る姿を見て、かっこいいなと思った。僕は『みんな走ればいいじゃん』と思うんですけれども、そうはなっていない。背景に、ブレードを開発する上での技術的な課題だけではなく、社会的な課題があるから。そこで僕は、義足のアスリートがもっと早く走るためにどうすればよいのかを研究する以外にも、どうやったら一般的な義足ユーザーの人が楽しく走れるようになるかを考えて活動しています」。
その取り組みは、安価なブレードを開発するためにカーボンファイバーの成形技術や製作プロセスなどの技術的な研究開発に始まり、学術的なアウトプットや走りやすい環境・場作りにまで及ぶ。
「MITに留学して、IU35を受賞して、他の人と接するようになって得たものは、研究のアウトプットだけではなく、大局的・長期的に見て、社会が変わるムーブメントにつなげるような見方ができるようになったなったこと」だと遠藤氏は話す。
「自分が今正しいと思っていることも、時間とともに変わっていきます。僕がまだ知らないことも多いですし、皆さんが知らないことも多いはず。それぞれの人が知っているのはとても狭い領域だと感じます。そういったことを自覚しながら、自分を疑いながら、新しい領域を広げていくことが大事だと思います。何が起こるかわからない不確実な時代ですが、皆さんはこれからの活躍を期待されて受賞されたのだと思いますし、僕も皆さんの今後を期待しています」。