ハーバード大学化学部のチャールズ・リーバー教授の運命は、ボストンの陪審員が審議を始めてから3時間足らずで決まった。リーバー教授は12月21日、中国の大学への所属と人材誘致プログラムからの資金提供についての虚偽報告や税金詐欺など6件の重罪で有罪となった。
リーバー教授の裁判は、スター科学者であるリーバー教授の今後だけでなく、彼を起訴に追い込んだチャイナ・イニシアチブ(China Initiative)の将来の行方を占う意味でも注目された。 チャイナ・イニシアチブは学術界からの反発を受け、ますます窮地に追い込まれているからだ。
チャイナ・イニシアチブは、中国の経済スパイ活動の脅威に対抗することを目的として米司法省が2018年11月に始動した。しかし、MIT テクノロジーレビューの調査(リンク先は翻訳中)によると、実際には、研究上の公正性の問題で非難された学者に着目し、中国系の血を引く個人を不当に標的にしていることが判明している。リーバー教授は、チャイナ・イニシアチブの下で起訴された学者としては2人目で、陪審員と対峙して有罪判決を受けた初の学者となった。
チャイナ・イニシアチブは当初から人種プロファイリングを助長していると批判されており、ここ数カ月は政府検察側の検察官の不手際に端を発したいくつもの困難に見舞われている。夏には、主としてビザ詐欺の容疑をかけれた学者に対する5件の訴訟が説明なしに却下された。また、テネシー大学ノックスビル校のアンミン・フー教授の裁判は、研究上の公正性の事件として初めて裁判にかけられ、未決定審理となった後、すべての容疑が解かれ、調査に当たった米国連邦捜査局(FBI)捜査官の不正行為が非難される結果となった。
最近では、チャイナ・イニシアチブに関わっていた司法省の元高官などから、イニシアチブを終了するか、あるいはその焦点を大幅に変更するべきだとの声も上がっている。議会で証言したメリック・ガーランド司法長官は、司法省はチャイナ・イニシアチブの見直しを実施すると約束した。
このような背景から、「もしこの(リーバー教授の)事件で全面無罪の判決が出ていたら、政府は面目を失っていたでしょう」と語るのは、チャイナ・イニシアチブについて詳細な記事を発表したシートン・ホール大学のマーガレット・ルイス教授(法学)だ。
しかし、リーバー教授がFBI捜査官に対して、中国の大学から現金を受け取ったことや中国の銀行口座を持っていること、それにハーバード大学の管理者や政府の調査官からこれらの問題やその他の問題について問われた時に、(彼自身の言葉を借りれば)「どう考えても完全に透明ではない」と認めている映像を見ると、この事件を裏付ける事実は強固なものだったと言える。
そのような事実があることから、リーバー事件はチャイナ・イニシアチブ事件の中でも「異例」だと語るのは、自身のクライアントの次の裁判の手がかりを求めてリーバー事件を追ったある被告側弁護士だ。リーバー事件は、チャイナ・イニシアチブの下で政府が今後、研究公正性の事件をどのように扱うかを予測する上では特に役立たないが、調査における重要要素である中国の人材誘致プログラムに関していくつかの問題を提起した。
千人計画への参加を隠していたことが問題か?
リーバー教授が無罪か否かについては、少なくとも現時点では決着がついたかもしれない。リーバー教授の弁護人を務めるマーク・ムカシー弁護士は、「評決を尊重しますが、闘い続けます」と記者団に語り、控訴の可能性を示唆した。しかし、この裁判によってチャイナ・イニシアチブそのもの、特に米国政府にこのような精査をさせた中国の「人材プログラム(千人計画)」に関する新たな疑問も浮上している。
人材プログラムは、海外の専門家(いわゆる「人材」)を中国で働くように誘致するために中国政府支援の下に始まった人材誘致計画だ。米国の研究機関は、人材プログラム経由の協力を含め、中国の大学との連携を長年奨励していた。しかし、連邦政府はここ数年、人材プログラムに対する懸念を強めている。
2019年の上院報告書によると、中国は200以上の人材プログラムに資金を提供し、合わせて7000人以上の参加者を採用していた。同報告書はまた、人材プログラムがそのメンバーに対して「米国の助成金提供団体に嘘をつき、米国で取り組んでいる研究と同じ研究を再現する『シャドーラボ(影の研究室)』を中国で作り、場合によっては米国の科学者が苦労して得た知的資本を移転」するように「インセンティブ」を与えていると警告している。
「リーバー博士が調査対象となった理由には、彼の研究室に中国人学生が多かったということもありますよね?」
リーバー教授の弁護人マーク・ムカシー弁護士
MIT テクノロジーレビューのデータ調査によると、チャイナ・イニシアチブの既知の77件の事件のうち19件(25パーセント)は、被告が中国の人材プログラムに参加していた容疑が発端となっていた。一方、この19件の人材プログラム関連の事件のうち14件では、助成金の申請文書で中国の事業体との提携をすべて開示しなかったことを発端とする研究上の公正性が問われている。この14件のうち、被告の科学者が米国の知的財産を中国に移転したと訴えられた事件はない。
政府が人材プログラムに対して疑念を抱いているにもかかわらず、人材プログラムへの参加の開示が連邦政府にとって重要であるとみなされるのか、重要でないとみなされるのかは、まだ完全には明らかになっていない。
自分のクライアントの事件の準備に役立たせようとリーバー教授の裁判を見守っていたチャイナ・イニシアチブの別件の被告側弁護人(担当事件への悪影響を避けるため匿名希望)は、この不明点が今回の裁判の過程で明らかになることを期待していた。そこが明確にならないと、人材プログラムへの参加自体を報告することが重要だとは知らなかったと主張する被告が出てくるだろう、とその弁護人はいった。
結局、この点はリーバー教授の裁判では明確にされず終わった。リーバー教授はハーバード大学の関係者に対しても、その後の政府の調査官に対しても、自分の人材プログラムへの参加と収入を隠蔽しており、検察官は公式に「千人計画」への参加を報告する必要があるのか否かを明らかにする必要はなかった。
今回の裁判はチャイナ・イニシアチブに関する政策論議ではない
裁判の5日目に、リーバー教授の弁護人であるムカシー弁護士は、米国防総省の調査官エイミー・ムソーに、この化学者を調査しようと思った動機について一連の質問を投げかけた。「海軍研究所から、リーバー教授の研究室には『中国人学生が多すぎる』と知らせがあったのは本当ですか?」とムカシー弁護士は質問した。
「はい」とムソー調査官は答えた。
しかし、連邦検事ジェームズ・ドラビックがこの質問に異議を唱えたので、ムカシー弁護士は質問を言い換えた。「リーバー博士が調査対象となった理由には、彼の研究室に中国人学生が多かったということもありますよね?」
「今回の裁判はリーバー個人の有罪を問うもので、チャイナ・イニシアチブに関する政策論議ではありません」
シートン・ホール大学のマーガレット・ルイス法学部教授
ムソー調査官がすぐに答えなかったため、ムカシー弁護士は続けた。「リーバー博士の研究室で多くの中国人学生が研究に携わっているという調査に伴い、あなたは関心を持ったのですか?『はい』または『いいえ』で答えてください」。
「はい」とムソー調査官は答えた。
このやりとりを要約した法廷ツイートに「目を奪われました」とシートン・ホール大学のルイス教授は言う。「『政府、そして米国社会一般が、中国とのつながりをどの程度疑惑を強める理由として捉えているのか?』という根本的な問いに関わるからです」 。
このやりとりは、「司法省の行動は、民族、人種、国籍、出身、その他いかなる要因にもよらず、純粋に人々がした行動に基づいている」という司法省による長年の主張に反する「バイアス」を示していると、ルイス教授は付け加えた。
しかし、FBI特別捜査官時代に内部告発を行い、現在はブレナン司法センターのフェローであるマイケル・ジャーマンによると、FBIと司法省内でよく知られているこの人種的バイアスは、今回の裁判が明らかにした唯一のバイアスではないという。ジャーマンが考えるもう一つの問題は、選択的起訴だ。
「もし司法省が同じリソースを、学者ではなく企業幹部の捜査に集中させれば、所得をすべて適切に申告していない人をはるかに多く見つけることができるはずです」とジャーマンはいう。リーバー教授が最終的に有罪判決を受けた2つの罪の「脱税」は、「問題ではありますが、チャイナ・イニシアチブが解決しようとしていた問題ではありません」 。
チャイナ・イニシアチブを批判する多くの人々にとって、チャイナ・イニシアチブの各事件は、その結果にかかわらず、より広範でより根本的な問題を浮き彫りにするものである。
法学者のルイス教授は、「この種の情報開示違反に対する罰として、何年もの懲役刑が適切だと社会全体が考えているのでしょうか?」と問いかける。この判決はまた、チャイナ・イニシアチブが「中国とつながりのある人々により大きな脅威を与える」という別の懸念について何も語っていない、とルイス教授は付け加えた。
ルイス教授によると、リーバー教授の裁判が終わった時点でこれらの問題は未解決のままであることが予想される。「今回の裁判はリーバー個人の有罪を問うもので、チャイナ・イニシアチブに関する政策論議ではありません」とルイス教授はいう。
公民権弁護士であり、アジア系アメリカ人連邦政府職員の無差別で公平な取り扱いを求める権利擁護団体「AAFEN:Asian American Federal Employees for Nondiscrimination」の共同設立者であるアーヤニ・オングは、チャイナ・イニシアチブが広くもたらしてきた科学者に対する抑圧効果を考慮すると、今回の有罪評決がどのようなメッセージを送っているのかという点も問題だと指摘する。チャイナ・イニシアチブは常に「中国に関連する政府機関の取り組みの一環」であり、「政治の一環、より正確には、公的メッセージ」だとオングはいう。「今回の件は、実際のスパイ活動が阻止されたというよりも、米中間の交流が厳しく監視されていることを伝える警告として使われていると思います」
チャイナ・イニシアチブに関する政策決定がなされるまでは、チャイナ・イニシアチブとその学者に対する訴追は続くだろう。さらに5件の研究公正性に関する事件が来年裁判にかけられる予定だ。
リーバー教授やアンミン・フー教授と同じく、5人全員が虚偽報告で起訴されている。