2020年2月、ハーバード大学に到着した捜査官は、著名なナノテクノロジーの研究者で、同大学の化学・化学生物学部長だったチャールズ・リーバー教授を探していた。目的は、中国のある大学との経済的なつながりを隠していた容疑でリーバー教授を逮捕するためだった。ハーバード・ヤードの近くでリーバー教授を逮捕することで、当局は学術界に対し、中国とのつながりを開示しないことは重罪だというメッセージを高らかに送ったのだ。
リーバー教授は、ボストンの連邦裁判所で12月14日から始まった裁判を受けている(日本版中:21日に有罪判決が下った)。リーバー教授は無罪を主張し、何百人もの大学関係者が彼を支持する書簡に署名している。実際のところ審理にかけられるべきは米司法省のチャイナ・イニシアチブ(China Initiative)であって、リーバー教授ではないと批評する声もある。チャイナ・イニシアチブとは、中国による経済スパイ活動や企業秘密の奪取に対抗することを目的に、2018年に米政府が始めた広範囲の活動だ。批判者らは、リーバー教授の刑事訴追には根本的な欠陥があると考えており、基礎科学のオープンな性質を誤解し、実際のスパイ行為やテクノロジーが盗まれた証拠もないのに、経済的な不正や事務処理のミスによって科学者のキャリアを選択的に壊そうとする「魔女狩り」だと指摘している。
一方の検察側は、抜かりのない事件だと考えている。検察側は、トップレベルの科学者を集めるための中国政府のプログラム「千人計画」にリーバー教授が採用され、多額の報酬を得て武漢理工大学に研究所を設立したものの、米国の助成機関にはこうした所属を伏せていたと主張している(起訴状の写しはこちら)。リーバー教授は6件の重罪に問われている。捜査員への虚偽の説明で2件、虚偽の所得申告で2件、海外銀行口座の申告漏れで2件だ。
「簡単に言えば、政府はリーバー教授がハーバード大学での自分の評判やキャリアを守るために、故意に虚偽の説明をしたことを証明するでしょう」。検察側は提出した事件の概要にこう記述した。
これに対し、被告側弁護人のマーク・ムカシー弁護士は、リーバー教授が「犯罪になることを知っていながら、意図的に、故意に行動した、あるいは何らかの重要な虚偽の説明をしたこと」を政府は証明できないだろう、と述べた。
リーバー教授は、チャイナ・イニシアチブによって告発された最も著名な学者であり、人種的に中国とのつながりがない人物の一人だ。
リーバー教授以外にも、複数の大学教授らが中国とのつながりを助成機関に開示しなかった容疑で係争中となっており、リーバー教授に対する訴訟は今後の裁判の行方を示すものとなる可能性がある。
マサチューセッツ州のアンドリュー・レリング元連邦検事は、個々の事件についてコメントするつもりはないと断りつつ、政府はリーバー教授らの進行中の訴追事件で成功を収めることを確信していると述べた。レリング元検事は一時、チャイナ・イニシアチブの運営委員会のメンバーだったが、すでに連邦政府からは離れている。
「私の考えでは、研究不正に関連した事件では、たいてい政府が勝つ結果となります。新型コロナウイルス感染症のせいで大幅に進行が遅れていて、解決していない事件が多数ありますが、大部分は政府が勝ち取るでしょう」。レリング元検事はMITテクノロジーレビューに対してこう述べた。
チャイナ・イニシアチブ
チャイナ・イニシアチブは2018年、当時のトランプ政権で司法長官だったジェフ・セッションズが、対中強硬姿勢を示す中核的な政策として発表したものだ。
12月初めに発表されたMITテクノロジーレビューによる調査(日本版は現在翻訳中)で、チャイナ・イニシアチブは、何らかの形で中国に関連したさまざまな種類の訴追を包含しており、カメの密輸組織を操る中国人や、複数の史上最大級のデータ漏洩事件の背後にいると考えられている国家支援のハッカー集団など、幅広く対象にしていることが分かった。MITテクノロジーレビューは同イニシアチブによる合計77件の訴追事件を突き止め、そのうち4分の1は有罪答弁または有罪判決に至っていることを確認している。だが、3分の2近くは未決のままだ。
中国機関との繋がりを隠した疑いでリーバー教授のような研究者を訴追する政府の動きは、多くの論争を呼びながらも急速に発展している。2020年に新たにチャイナ・イニシアチブによって起こされた31件の訴訟のうち半分は、科学者や研究者に対する事件だった。ただ、これらの事件はほとんどは、「経済スパイ活動法(Economic Espionage Act)」違反による告発ではない。
今秋、スタンフォード大学やプリンストン大学など全国の教育機関の数百人もの学術関係者が、チャイナ・イニシアチブの停止を呼びかけるメリック・ガーランド司法長官宛ての書簡に署名した。同イニシアティブは、中国による知的財産の奪取と闘う当初の使命から逸脱し、代わりに学術関係者が米国に来たり、滞在したりするのを阻んで、米国の研究競争力を阻害しているとの主張だ。
遺伝学を研究していたエモリー大学のシャオ・ジャン・リ元教授は、2020年5月に虚偽の所得申告をしたとの1訴因に対し有罪を認めた。リ元教授は、1年の保護観察を言い渡され、3万ドルの賠償支払いを命じられた。リ元教授は現在、中国科学アカデミーの研究者となっている。
オハイオ州立大学のソング・グオ・ツェン元教授は、2020年11月、中国の大学や千人計画との繋がりについて捜査員に虚偽の説明をしたとの1訴因に対し、有罪を認めた。自己免疫疾患について研究していたツェン元教授は昨夏、懲役37カ月の刑を宣告され、米国立衛生研究所と元雇用者に約400万ドルの賠償金を支払うよう命じられた。
ツェン元教授の判決の後、検察側はツェン元教授の運命が他の学者らへのメッセージとなることを望んでいると述べた。「ツェン元教授の懲役刑が、他の人々が中国のいわゆる『千人計画』やその変種と関係を持つのを思いとどまらせるようになればと願っています」。オハイオ州南部地区のバイパル・J. パテル連邦検事代理はこう述べた。
裁判にかけられる科学
チャイナ・イニシアチブの取締りによって学者が刑事訴追されたのは、リーバー教授が2人目だ。それ以前にただ1人、研究上の公正性に関わる罪で裁判を受けたテネシー大学のアンミング・フー教授は、陪審の行き詰まりから未決定審理となった後、6月の判決ですべての容疑から放免された。
米国の大学教授に対する研究上の公正性に関わる容疑についてまとめたMITテクノロジーレビューのデータベース(米国版)によると、係争中の事件はほかに5つある。
5つの中には、2020年にボストンのローガン国際空港で逮捕されたマサチューセッツ工科大学(MIT)のガング・チェン教授の事件も含まれている。チャン教授には助成機関を騙し、海外銀行口座の報告を怠った容疑もかかっている(チャン教授の弁護士費用を払っているMITは、問題となっている主な共同作業は実際には正式な合意を得ていたとしている)。
ナノワイヤ―
現在、有給扱いでハーバード大学を休職中のリーバー教授は、シリコン製のナノワイヤーを電子機器やレーザー、脳コンピューター・インターフェイス(BCI)として脳に挿入できるニューラル・メッシュにまで組み込むことを専門とする著名な研究室を運営していた。
ニューラル・メッシュを紹介したリーバー教授の2015年の論文は、研究室の研究成果を代表するもので、13人の著者のうち10人が中国語名を持っていた。彼らはハーバード大学の博士課程生や博士研究員で、その多くは最先端の化学分野で厳しい役割を担うために中国本土から採用され、次世代の科学者として訓練を受けているところだった。
同じくハーバード大学の化学・化学生物学に所属するデビット・リウ教授(遺伝子編集)は、リーバー教授の法的な事情についてはよく知らないと述べた。「しかし、世界レベルの科学者だということはさておき」、「チャーリーは学生や後輩にとって親切で熱心な助言者であり、他の人々を助けるためにたゆみなく、献身的に働く人でした」と話す。