アリゾナ大学のマイケル・ウォロビー教授は、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の起源について、もともと確信を持っていたわけではなかった。ウォロビー教授は、パンデミックの間、新型コロナウイルスの経時的変化について研究しており、今年5月に発表された書簡では影響力のある18人の科学者グループの1人として署名している。この書簡は、研究所の事故によって新型コロナウイルスが出現したという説(いわゆる研究所流出説)の証明、あるいは反証のために、さらなる調査を求めるというものだ。
ところが最近、ウォロビー教授は、サイエンス誌に新しい研究を発表し、最も初期に診断された新型コロナウイルス感染症の症例が誤って理解されたこと、研究所からの流出ではなく、武漢の華南海鮮市場がほぼ間違いなくウイルスが動物からヒトに広がった場所だった可能性を指摘している。ウォロビー教授の発表によって自然起源説への信頼性が高まり、新型コロナウイルス起源探求をめぐる議論が再燃しそうだ。
ウォロビー教授は、査読済み論文、一次情報にアクセス可能だった疫学者の洞察、メディア報道などの無数の情報源を利用し、武漢の臨床医がウイルスの発生を理解しようとした際にバイアスが忍び込んだ可能性を判別しようと試みた。
その結果、明らかなバイアスは確認されなかったものの、初期に診断された新型コロナウイルス感染症の症例の多くは、海鮮市場で働いていた人または市場の近くに住んでいた人であり、ウイルスが研究所の流出事故から出現した可能性は低く、海鮮市場で動物からヒトへウイルスが広がったとの結論に落ち着いた。
では、その結論に至る経緯を紹介しよう。
「奇説好き」
武漢の中心部にあり、かつては毎日何千人もの買い物客が訪れ、賑やかであった華南海鮮市場は、パンデミックの起源をめぐる白熱した、しばしば激しい議論の中心となっていた。パンデミックによって市場は閉鎖されたが、初期の新型コロナウイルス感染症の症例の多くはこの市場絡みのものだった。しかし、すべてがそうであったわけではない。
この市場はまた、病気の温床となる可能性があることで悪名高い場所だった。
2014年10月、武漢疾病予防管理センターの職員は、シドニー大学のウイルス学者であるエドワード・ホームズ教授を連れてこの市場を訪れている。華南海鮮市場では、生きたままの動物を購入して、その場で屠殺してくれる。近隣の複数のレストランは、死んだばかりの野生動物を調理した「野味」(野生の味)を提供することで有名だった。ホームズ教授と職員は、積み重ねられたケージにヘビ、タケネズミ、タヌキなどの生きた動物を入れて売っている露店の行列の中を歩いた。特に混雑した日ではなかったが、尿、血、糞の悪臭がぷんぷんする場所だったと、ホームズ教授は振り返る。
かつて毎日何千人もが訪れていたこの市場の近くには、幼稚園や複数のショッピングセンター、数十棟の高層住宅がある。800メートルほど離れたところには、毎日数千人の人々が行き交う漢口駅があり、多くの人々が移動する毎年1月の春節(旧正月)では利用者は10万人に達する (SARS=重症急性呼吸器症候群も新型コロナウイルスも、春節の期間に制御不能となった)。
「武漢の職員は、将来的なアウトブレイクを引き起こす可能性のある場所として、この市場を案内してくれました」とホームズ教授は話す。
新型コロナウイルス感染症の蔓延における華南市場の正確な役割は、パンデミックが始まって以来、論争の的となっている。2019年12月に罹患した174人のうち、3人に1人は市場に行ったことがあったが、ハーバード大学のウィリアム・ハナージ准教授をはじめとする疫学者は、それが目くらましである可能性があると主張してきた。 「非定型肺炎のクラスターが発生すると、最も近い市場が犯人扱いされる傾向があります。『ほら、市場があった! 市場が発生源に違いない!』となるのです」とハナージ准教授は話す。そして、もし仮定が間違っていた場合、華南市場の役割は不釣り合いに強調され、市内の他の場所での多くの症例が見過ごされる可能性があったと、ハナージ准教授は付け加える。 「症例が見つかることが期待されている場所に厳しい目を向け、そうでない場所はよく調べない傾向があります」。
英国グラスゴー大学のウイルス学者であるデビッド・ロバートソン教授いわく「奇説大好き」人間で知られるウォロビー教授は、危険なウイルスに関する白熱した議論の理論に取り組んだ実績がある。2000年代初め、ウォロビー教授は汚染されたポリオワクチンによってHIVが人間に感染した可能性があるという陰謀説の発生状況を調査するために、コンゴ民主共和国を訪れた。ウォロビー教授は後に、その陰謀説の反証を助けた科学者グループの一員となった。
ウォロビー教授はパンデミックの間、初期の新型コロナウイルス感染症の症例と華南市場との明らかな関連性が真実か幻想かを問うことによって、自然起源説に「穴をあけよう」としていたと語る。
そういった理由から、ウォロビー教授は、武漢の臨床医がウイルスの発生を理解しようとしたときに、いわゆる「確証バイアス」が忍び込んだ可能性を取り上げることにした。
ウォロビー教授は、入手可能な不完全かつ断片的な情報から、武漢にある3つの病院における新型コロナウイルス感染症患者の最初の20人が、どのように診断されたかを追跡した(2019年12月30日までに計27例が疑わしいと見なされた)。その結果、臨床医は、華南市場で曝露した可能性の有無にかかわらず、疾患の臨床所見、特に肺のCTスキャンの特徴に基づいて症例を特定していたことが分かった。うち9人は市場の労働者であり、市場での曝露がない1人の患者については、市場で働いている友人が自宅を訪れていた。
これらはすべて、武漢の公衆衛生当局が華南市場に注目する以前の話であり、診断が歪められることはない。そしてこの調査では、市場は確かに初期の症例の中心であり、医師がより多くの時間をかけた場所で新型コロナウイルスがより多く発見された結果ではないと結論付けられている。
ウォロビー教授はまた、これまで新型コロナウイルス感染症が初めて記録された症例と考えられていた、華南市場とは無関係の患者が、誤って最初の患者として認識された可能性があると主張している。 世界保健機関(WHO)は当初、41歳の会計士が2019年12月8日に新型コロナウイルス感染症に似た症状と診断されたと報告し、これが「インデックス・ケース(感染症の流行の際に捕捉された最初の症例)」として知られるようになった。しかし、中国メディアのテレビ報道、ウォロビー教授がオンラインで発見した病院の記録、さらに科学論文によると、この男性は当初、歯に問題があると診断され、その8日後まで新型コロナウイルス感染症の症状はなかったという。
会計士の男性が当初考えられていたよりも実際には遅く新型コロナウイルス感染症にかかったのだとしたら、12月11日に具合が悪くなったウェイ・グイシャンという女性が、最初に記録された新型コロナウイルス感染症患者だったことになる。ウェイは華南市場 …