『2001年宇宙の旅』が1968年に公開された頃、宇宙ホテルでくつろぎながらマティーニを味わい、窓の外を地球が横切るのを眺めるという未来像は、決してあり得ない夢物語だとは思われていなかった。このビジョンは、1980年代初頭にスペースシャトル計画によって、地球周回軌道への頻繁かつ定期的な旅が可能になる未来の幕開けが宣言されたことで後押しされた。2000年代に初めて有料の宇宙旅行者が宇宙へと打ち上げられた時、その期待はさらに高まった。多くの人は、いつになったら自分も宇宙旅行に行けるようになるのだろうか? と想像し始めた。
宇宙飛行士でもなく数十億ドルの資産もない「普通の人」が宇宙旅行に行く、夢のような未来を描いた例は無数にある。しかし、楽観的な見通しは数多くあったものの、その夢は完全な現実のものとはなっていない。宇宙旅行に行けるのは、ほとんどの場合、プロの宇宙飛行士か超大富豪に限られてきた。
だが、ごく控えめに言っても、そうした状況は変わりつつあるのかもしれない。2021年9月15日、米国東部標準時の午後8時02分、スペースX(SpaceX)のファルコン9(Falcon 9)ロケットがフロリダ州ケープカナベラルから打ち上げられた。乗組員は4人で、イーロン・マスク最高経営責任者(CEO)率いるスペースXによってすでに成功が収められている2回の有人宇宙飛行ミッションと同じ人数だ。先の2回のミッションは、歴史的な出来事だった。しかし、先の2回と今回の大きな違いは、乗組員に訓練を受けた宇宙飛行士が1人もいないということだ。乗組員は民間人であり、民間企業によって製造された民間のロケットで打ち上げられるのだ。米国航空宇宙局(NASA)の姿はどこにも見当たらない。
「インスピレーション4(Inspiration4)」の名で知られるこのミッションは、有人宇宙飛行にとって極めて画期的な出来事だと評価されている。すべてが民間によって賄われ、地球周回軌道に乗るミッションが実行されるのは今回が初めてだ。米国のテクノロジー億万長者のジャレッド・アイザックマン(決済企業シフト4・ペイメントの創業者)が、セント・ジュード小児研究病院の資金調達を目的として、推定2億ドルとされる今回の打ち上げ費用を提供した。
アイザックマン創業者と共に旅をするのは、億万長者からは程遠い3人の乗組員だ。がん生存者で医師助手のヘイリー・アルセノー、このミッションに参加する権利を友人から譲り受けたロッキード・マーチン従業員のクリス・センブロスキ、それに地球科学の教授であるシアン・プロクターだ。「この人たちは人類の代表です。彼らは大使なのです」。宇宙コンサルティング会社、アストラリティカル(Astralytical)のローラ・フォルチクは言う。
過去にも民間人が宇宙に行ったことはある。2001年から2009年にかけ、7人が1人あたり3000万ドル以上の費用を支払って、ロシアのソユーズ(Soyuz)ロケットで国際宇宙ステーション(ISS)まで旅した。より最近では、億万長者のリチャード・ブランソン(英国ヴァージン・グループ創業者)とジェフ・ベゾス(アマゾン創業者)が、それぞれの会社が製造した宇宙船で数分間の準軌道飛行を体験している。
莫大な資産を持たない人が、NASAなどの国家宇宙機関の監督なしに地球周回軌道へと旅することは過去になかったことだ。「すべての乗組員が民間人で、地球周回軌道に乗る民間運営の宇宙飛行は今回が初です」とハーバード・スミソニアン天体物理学センターの宇宙飛行専門家、ジョナサン・マクダウェル博士は言う。「準軌道飛行と比べてずっと野心的です」。
ISSにドッキングするこれまでのスペースXの有人ミッションとは異なり、今回、クルー・ドラゴン(Crew Dragon)宇宙船は自らの推進力を利用して、地球周回軌道に3日間とどまる。乗組員は、大型車のおよそ3倍の室内容積を誇る「レジリエンス(Resilience)」宇宙船の中で食事をしたり、眠ったり、トイレへ行ったりする。暇を持て余さないため、通常ISSに接続するために使われる宇宙船のドッキング・ポートはガラス製のドームに変更されており、ドームからは地球とその向こうにある宇宙を捉えた素晴らしい景観を楽しめるはずだ。
ミッションの目的は、これ以上ないと言ってもいい。いくつかの科学実験が計画されているが、最も注目すべきは「何が起こらないか」である。とりわけ注目すべきは、乗組員は誰も宇宙船を直接操縦しないということだ。その代わり、宇宙船は地上のミッション管制センターの助けを借りて自律的に制御される。マクダウェル博士によると、これは些細な変更ではなく、リスクも伴うという。「これまでにはありませんが、もし自動システムが機能しなくなったら大問題となるでしょう。このミッションが示しているのは、旅行客を添乗員なしで自信を持って飛行させるまで、ソフトウェアと自動制御システムの信頼性が高まったということです」。
これらの事柄を全部ひっくるめると、インスピレーション4は民間人を初めて宇宙に送り込むミッションではないにせよ、有人宇宙飛行の歴史においてわくわくする瞬間だ。1980年代に、NASAも似たようなことを始めようとしていた。「宇宙飛行参加者プログラム(Space Flight Participant Program)」と呼ばれ、目的はスペースシャトルに乗って宇宙に行く機会をさまざまな民間人に提供することだった。「一部の宇宙飛行士は、宇宙飛行の体験を説明するのが少し控えめであると感じられていました」と計画を主導したアラン・ラドウィッグは言う。NASAは宇宙飛行の体験をより上手く説明できる人材を求めて、教師、ジャーナリスト、アーティストを選んだ。
しかし、この計画は悲惨な結末を迎える。最初の参加者だったニューハンプシャー州の教師クリスタ・マコーリフは、スペースシャトルのチャレンジャー号爆発事故で、搭乗していた他の6名の乗組員と共に命を落とした。計画は中止され、スペースシャトル計画全体も停滞することになった。専門家は、スペースシャトルが年間数百回ものミッションをこなすと想定していたが、2011年にシャトルが引退するまでの25年間で打ち上げられたのは、わずか110回だった。
当分の間、ほとんどの宇宙旅行はプロの宇宙飛行士か超大富豪に限定されるだろう。大金持ちではない場合、コンテストに応募したり、億万長者のスポンサーに期待したりするしかない。現実の宇宙旅行は、多くの人が思い描いていたすばらしい未来とは違うのだ。
しかし、インスピレーション4はごく「普通」の人が宇宙に行ける機会が、ごくわずかであっても存在することを示した。「人類の宇宙へのアクセスにとって、画期的な出来事です」とジョージワシントン大学宇宙政策研究所の宇宙史家、ジョン・ログスドン名誉教授は話す。「単純に、誰でも宇宙へ行けるということなのですから」。
パンアメリカン航空の宇宙飛行機に乗って、巨大な回転する宇宙ホテルへ行くのはまだ先のことかもしれないが、未来がどのような可能性を秘めているのかは誰にも断言できない。「まだ始まったばかりのまったく新しい事業で、人々はその初めの一歩を見ているに過ぎません。どこまで実現するのか、まだ分かりません」(フォルチク)。