KADOKAWA Technology Review
×
2024年を代表する若きイノベーターたちに会える!【11/20】は東京・日本橋のIU35 Japan Summitへ
脳の解明を目指す「巨大科学」はなぜ行き詰まったのか
Andrea Daquino
生物工学/医療 Insider Online限定
How big science failed to unlock the mysteries of the human brain

脳の解明を目指す「巨大科学」はなぜ行き詰まったのか

米国と欧州連合の2つの巨大な脳研究プロジェクトは、当初描いていた壮大な成果を出せていないのが現状だ。リミットはあと数年、研究者たちは複雑な脳をどこまで解明できるのだろうか。 by Emily Mullin2021.09.07

2011年9月、英国の田園地帯にある絵画のように美しい建物で、神経科学とナノサイエンスの分野融合を目指すシンポジウムが、両分野の研究者を集めて開催された。

このシンポジウムで、コロンビア大学の神経生物学者ラファエル・ユステ教授とハーバード大学の遺伝学者ジョージ・チャーチ教授は、大胆な提案をした。ヒトの脳全体の活動を、個々のニューロンのレベルでマッピングし、それらが形成する神経回路の詳細を明らかにすると宣言したのだ。これにより得られる知見は、アルツハイマー病、自閉症、統合失調症、うつ病、外傷性脳損傷といった、さまざまな脳の病気の治療に役立つはずだ。そして、科学における最大級の謎の一つ、すなわち「脳はいかにして意識を生み出すのか?」に答えを出す手がかりにもなるだろう。

ユステ教授とチャーチ教授らが執筆した研究計画の草案は、ニューロン誌に掲載された。彼らの目標は壮大だった。草案には「大規模で国際的な開かれた取り組みを通じて、脳活動マッププロジェクトは、神経回路全体で起こる全ての神経活動を完全に記録し、再構築することを目指す」と記されている。1990年代から実施されたヒトゲノム計画と同様に、脳活動マッププロジェクトは「まったく新しい産業と投機的事業を生み出すだろう」と研究者たちは記した。

目標の達成には新たなテクノロジーが必要であり、そこでナノサイエンス研究者に白羽の矢が立った。草案が掲載された2012年頃、研究者は数百個のニューロンの活動を一度に記録するのがやっとだった。しかし、ヒトの脳には約860億個のニューロンが存在する。「テレビを1ピクセルずつ観ているようなもの」だったと、ユステ教授は2017年に当時を振り返っている。ユステ教授らの研究チームは、ニューロンの発火が複雑な思考を生み出す過程を解明するため、「全てのニューロンの全ての発火」を記録するツールを提唱した。

この大胆な提案はオバマ政権の関心を引き、これを基盤にして計画された、複数年にわたる「革新的なニューロテクノロジーを通じた脳研究(BRAIN)イニシアチブ」が、2013年4月に発表された。オバマ元大統領はこれを「次なる偉大な米国のプロジェクト」と呼んだ。

しかし、脳に関する大胆な計画はこれが最初ではなかった。実はユステ教授らの提案よりもほんの数年前に、スイス連邦工科大学ローザンヌ校の神経科学者ヘンリー・マークラム教授が、もっと途方もない目標を掲げていた。生きている人間の脳のコンピューターシミュレーションの作成である。マークラム教授は、個々の細胞レベルの解像度で完全にデジタル化された三次元モデルを構築し、ニューロン間の無数のつながりを再現しようと考えた。「10年以内に実現できます」と、2009年のTEDトークでマークラム教授は豪語した。

2013年1月、米国のプロジェクトが発表される数か月前に、欧州連合(EU)はマークラム教授の脳モデル構築に13億ドルを拠出した。米国とEUのプロジェクトを契機に、同様の大規模研究計画が、日本、オーストラリア、カナダ、中国、韓国、イスラエルなどの国々でも発足した。こうして神経科学の新時代が幕を開けた。

実現不可能な夢?

それから10年が経った。米国のプロジェクトは下火になり、EUのプロジェクトは「デジタル脳」の完成期限を迎えようとしている。結果はどうだろうか。ヒトの脳の秘密の解明は進んだのだろうか。それとも、10年の歳月と数十億ドルの資金を費やしてもなお、私たちは掴みどころのないビジョンを追い続けているだけなのだろうか?

発足当初より、米国とEUのプロジェクトは批判を集めていた。

EUの研究者たちは、マークラム教授の計画にかかる膨大なコストに懸念を示し、ほかの神経科学研究が犠牲になると考えた。加えて、2011年のシンポジウムでユステ教授とチャーチ教授が壮大なビジョンを示した時からすでに、同業者の多くは、無数のヒトニューロンが示す複雑な発火をマッピングするのは端的に言って不可能だと主張していた。また、不可能ではないがコストがかかりすぎ、そこから生まれるデータはあまりに膨大で研究者にも扱いきれない、という声もあった。

2013年にサイエンティフィック・アメリカン誌に掲載された記事のなかで、コールド・スプリング・ハーバー研究所の神経科学者パーサ・ミトラ教授は、脳活動マップを後押しした「根拠のない熱狂」を痛烈に批判し、プロジェクトの最終目標に意義があるかどうかさえ疑わしいと述べた。

たとえ全てのニューロンの全ての発火を同時に記録できたとしても …

こちらは有料会員限定の記事です。
有料会員になると制限なしにご利用いただけます。
有料会員にはメリットがいっぱい!
  1. 毎月120本以上更新されるオリジナル記事で、人工知能から遺伝子療法まで、先端テクノロジーの最新動向がわかる。
  2. オリジナル記事をテーマ別に再構成したPDFファイル「eムック」を毎月配信。
    重要テーマが押さえられる。
  3. 各分野のキーパーソンを招いたトークイベント、関連セミナーに優待価格でご招待。
人気の記事ランキング
  1. This AI-generated Minecraft may represent the future of real-time video generation AIがリアルタイムで作り出す、驚きのマイクラ風生成動画
  2. Promotion Innovators Under 35 Japan Summit 2024 in Nihonbashi 2024年のイノベーターが集結「U35 Summit」参加者募集中
  3. Inside a fusion energy facility 2026年の稼働目指す、コモンウェルスの核融合施設へ行ってみた
  4. How ChatGPT search paves the way for AI agents 脱チャットGPTへ、オープンAIが強化するプラットフォーム戦略
▼Promotion イノベーター under35 2024
日本発「世界を変える」U35イノベーター

MITテクノロジーレビューが20年以上にわたって開催しているグローバル・アワード「Innovators Under 35 」。2024年受賞者決定!授賞式を11/20に開催します。チケット販売中。 世界的な課題解決に取り組み、向こう数十年間の未来を形作る若きイノベーターの発掘を目的とするアワードの日本版の最新情報を随時発信中。

特集ページへ
MITTRが選んだ 世界を変える10大技術 2024年版

「ブレークスルー・テクノロジー10」は、人工知能、生物工学、気候変動、コンピューティングなどの分野における重要な技術的進歩を評価するMITテクノロジーレビューの年次企画だ。2024年に注目すべき10のテクノロジーを紹介しよう。

特集ページへ
フォローしてください重要なテクノロジーとイノベーションのニュースをSNSやメールで受け取る